僕は55歳で死ぬ。
何故かわからないが子供ころから55歳までしか生きれないと思っていた。
多少の理由はある。
裕福ではない環境。
もちろん、ガリガリ体型。
風邪をよく引いていた。
疲れやすい。
同学年との持久力で勝てたことがない。
子供心にこのようなことを思い自分の終わりを55歳という年齢に決めていた。
しかし、歳を重ねていくにつれてもしかしたら僕は長生き出来るのかと感じ始めた。
それは、今の妻との出逢い。
そして、娘が孫に会わせてくれた。
でも、突然の癌。
2021年1月。52歳
まさかの余命宣告。
4ヶ月。
ってことは、何もしなかったら5月で終わり。
とりあえず、やれることやっていく。
ただ、それしか思い浮かばなかった。
今、思えば何もしない選択肢もあったのかも。
2021年10月ごろに身体の異変がありふらふらしだした。しばらくして左耳が耳鳴りやら頭を動かすと気持ち悪くなった。
とりあえず耳鼻科へしばらく通院したが原因が分からず医大へ招待状を描いてもらった。
早速、医大へ行ったが聴力検査ばかり。クソ医者に当たってしまった。足腰の痛みが出てきて整骨院やら整形外科にて痛み止めを打って貰い騙し騙し仕事をしていたが11月に入り等々自宅で立てなくなった。
救急搬送してもらい現在も治療していただいてる病院へ行った。
とりあえず、状態説明。頭の可能性があるとのことでCTがMRIかで頭の確認をしてもらった。
ふらふらでその時のことは覚えてないが目立った原因は見つからなかったが気になる画像があるらしく後日脳外科の診察をしてもらうことになった。
この救急搬送が運命の分かれ道だった。
後日、脳外科へ診察。
緊急性はないが動脈瘤があるとのことで身体の異常はそれではなさそうだけど後回しをするのが嫌なで最短でカテーテルでの手術をしてもらうことにした。
また、この分かれ道が今につながる。
詳しく脳を調べでもらい手術の準備のため頭の画像を診断してもらった結果、緊急性のものが見つかった。
1月中旬にカテーテル手術の準備の為に入院しいた。
そして、身体の写真を急遽撮ってもらいやっと今までの原因がわかった。
肺腺癌。全身に癌が転移していた。
突然のことで呼び出された妻も訳がわからず。僕は何故だか原因がわかって少しホッとした。
このままだったら、予定と違う。
まだまだ、やりたいことあるし妻も前向きに行動してできるからやれることやっていくことにした。
呼吸器内科の先生に変わり、僕の治療をしてくれることになった。
最初は痛みのコントロール。
全身が痛い。特に足。
もう、歩けない。
歩行器を使いトイレに行くのがやっとだった。
早く治療していかないとかなりやばい。
抗がん剤治療をし、副作用が強烈で身体の数値がギリギリアウト。
味覚などもおかしくなり始め甘いものは何とか食べれた。
食事出来ないと一気に体力が無くなり気づけば体重が20kgダウン。
Rザップより痩せれるが筋肉が落ちて力が入らない。
リハビリの先生に教わり寝ながら無理なしの運動にて少しずつ足腰を動かした。
食べれないのはきつい。
脂肪がない全身には点滴で補充と
栄養ドリンク。
シャトレーゼで妻が買ってきてくれたかりんとうの饅頭はとても美味しく頂けた。
抗がん剤治療と放射線治療。
僕の癌はどないなってんのか?
もう、気力もなくなりはじめたが退院してからのことを考えた。
いきなりだが退院したら旅行。
それからキャンプ。
妻と一緒に予定を組んだ。
4月に退院出来そうになってきた。
治療がうまくいってる。
身体はボロボロだが気力は回復。
あきらめが悪い性格がよかったのか。
なんとか杖が有れば歩ける。前のようにはいかないだろう。
病気になる前には戻れないだろう。
無理して運動してしまいそうだが骨に癌があるので放射線治療している。だから、無理して万が一骨折したらもう歩けなくなる。我慢、我慢。
つい、今までのように動いてしまう。
ベットからの起き上がりも要注意。
今の身体の調子にも慣れてきた。
普通に歩くのもできない。階段は一段一段ゆっくりと。
幸い我が家は平家で両親と同居する時にバリアフリー仕様なので家中は何も用意しなくて良さそうだ。
薬が効いてくれた。
僕の癌は遺伝子変異でROS1ということがわかり、数少ない種類だがそれに対抗してくれる薬が多少ある。
抗がん剤から投薬をザーコリに変えたことがよかったのか副作用のつらさはあるがまだ生きてる。
55歳の光は見えてきた。
光はすぐに消える。
肺に影が現れた。
まだ、治療方法がある。
入院にて放射線治療をした。
放射線治療の為薬の投与は止めた。
しばらくは化学治療ができない。
だから、お願いだ。僕の癌よ。
放射線治療はうまくいったのか、肺に影が無くなってきた。
次は抗がん剤治療。
のはずが、MR画像を確認していただいた結果。
脳に2箇所の点が見つかった。
ガンになると1日、1週間が大事。
1ヶ月は待ってくれない。
肺がんは脳転移になる確率が高い。わかっていたけど、脳転移はまた、終わりに近づいている。
今回はガンマナイフ治療にて僕の転移ガンは無くなる予定。
4ヶ所を治療した。
ガンマナイフ治療は期間を明ければ何度でもできる。だから、やるタイミングが大事だ。