必死さの中の余裕
あなたたちがこの学部に入りたいのなら、必死に勉強をすることは当たり前だ。
でもそれだけではいけない。
必死さの中に余裕を持ちなさい。
という話を、中学3年生の夏、大学のオープンキャンパスで聞いた。
私はこの言葉が好きで、今でも心にとめている。
目標に向かってがむしゃらになること、ただ、目標外のことにも目を配り柔軟に手を伸ばしてみる余白も大切にすること。
それは、私の生き方の理想でもある。
この考え方のいいところは、必死さだけでも、余裕だけでもだめで、どちらも持ち合わせることが良いことだ、と示しているところだと思う。
必死さだけでは視野が狭くなってしまう。
余裕(寄り道)だけでは、信念のない、ふにゃふにゃの存在になってしまう。
芯がありつつしなやかな存在でいること、それが「必死さの中の余裕」なのかなあと思っている。
以前は、ときんときんの存在に憧れていたし、そうなりたいと考えていた。
でも今は違う。
しなやかさこそ、強さ。
自分はこう生きたい、こう生きていく、という信念を忘れずにいたい。
でも、相手がどう生きていきたいか、そのスタンスも受け入れていきたい。
相容れないものだとしても、受け止めたい。
優劣など必要なく、ただそのままを見つめる。
それが、生き方に関する「必死さの余裕」なんじゃないかなと。
最近の自分は、「あなたがそうおもうんだったらそれでいいんじゃない」が口癖で、受け止める、取り入れる、そんな柔軟さを忘れていたように思う。
理解しようという姿勢を諦めないこと。
またひとつ、自分がしなやかになれた気がして、少しうれしい。