子どもだった私は大人になろうとコーヒーを飲んだ。

 私はコーヒーを愛飲している。必ず1日1杯は飲んでいるが、そこまで拘りは無いためコーヒー好きとは言えないのかもしれない。珈琲通の方達の記事は漢字で“珈琲“と書いているイメージだが、私はそこまでコーヒーの事を良く知っている訳では無いのでカタカナで記載する。

 話が逸れてしまったが、何故コーヒーを飲むようになったかを説明していく。

 そもそも私の家族殆どがコーヒーが大好きな人間達なのだ。最早カフェイン中毒者の温床と言っても過言ではないので、私もカフェイン中毒者になる運命だったのかもしれない。

 コーヒーとの出会いは小学3年生の頃だった。兄と母と一緒にマクドナルドでハンバーガーを食べている時、トイレから戻った私は自分のコーラを口にした瞬間、強烈な違和感を感じ吐き出した。兄が私のコーラとコーヒーをすり替えたのだ。おかげで真っ白なTシャツが仕立て屋に行かずにコーヒー色に染まってしまった。

 彼との第一印象は最悪だった。

 それから時が経つにつれて家族達が飲むブラックコーヒーに興味を示すようになった。影響を受けやすく、形から入るタイプの子どもだった私は、コーヒーが飲める=かっこいい大人という考えだった。だがあの苦さが耐えられない。当時ミルクティー派の私はコーヒーに大量の砂糖と牛乳を入れてカフェオレにすることで頑張って飲んでいた。白いTシャツを染められた腹いせにコーヒーの黒さがわからなくなるまで白く染め上げるという寸法だ。

 だがこれでは真の意味でコーヒーが飲める訳では無いと薄々気づいていた。なにしろ私が飲んでるのはブラックコーヒーではなくカフェオレだからだ。どうしてもブラックが飲めるようになりたかった私は兄や母にどうしたら飲めるかを聞いた。

「甘いもの食べながら一緒に飲めばブラック飲めるよ。」

答えは至極単純だった。逆にどうしてわからなかったのだろうか。学校から帰るとインスタントコーヒーを注ぎ、チョコレートと一緒に食べる。いつしかそれが中学時代の私の楽しみとなっていた。

そして中学3年生、遂に私はブラックコーヒーを飲めるようになった。

長い戦いだった。6年の月日を掛けてブラックコーヒーに勝てた。何故かはわからないがどこか誇らしげな気分になっていた。

 コーヒーを飲めるようになってから5年が経った。様々な人達と出会い、コーヒーが飲めない人達が沢山いることがわかった。ブラックコーヒーが飲めるだけで大人になれる訳では無いことを改めて知った。単純な好き嫌いというだけだ。実際の所コーヒーを飲めた私の精神が大人かと問われるとそうではない。でも私はコーヒーが大好きなカフェイン中毒者となった。飲めない人は飲めない。それでいい。

 先日成人を迎え、ビールを飲んだ。あまりの苦さに悶絶した時、家族は「大人になったら苦さの良さがわかる」と言った。多分コーヒーにも同じ事が言えるだろう。でも今度は無理に挑戦はしない。飲み物の好き嫌いで自分にも他人にも優劣が付けられるほど私は偉くない。大人も子どもも関係なく、苦味を楽しめる成長の余地があるからだ。

という記事を私は無糖の紅茶を飲みながら書いている。

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