好きの形のお話

下書きには、今まで感じた事が沢山残っている。
他にアカウントを作ることはあっても、
このアカウントは決して消さないだろう。
文字の思い出が沢山残っている。

その時その時の感情の正しさを、
目に見える形として残しておくために、
自分はnoteをはじめた。
このnoteは今までの好きの形のお話。


好きにも色々種類がある。
BUMPが好き RADが好き
ラーメンが好き カレーが好き
オレンジジュースが好き
犬が好き 猫が好き
友達が好き 恋人が好き
同じ好きでも多分意味合いが違う。


これまでの過去の成就されなかった恋達を、
今だからこそ、大切だったと思える。
相手に気持ちが伝わらなくても、
逆に相手の気持ちが分からなくても、
必死になってその気持ちと向き合った時間が、
間違いなく存在した事が嬉しくも思える。




今までの恋人のことを思い返すと、
正直どこが好きとかあんまり覚えていない。
可愛い。面白い。楽しい。
そんな ちまちましたものだけじゃない。
相手に好意を向けられたから好きになったとか、
顔がタイプだから好きになったとか、
入口はちまちましたものだったかもしれないけれど。
一度でも好きだと自覚した相手への、
好きな所が1つや2つくらいで収まるわけがない。

自分は元恋人の事を悪く言えるほど出来た人間では無い。
可愛くない。面白くない。楽しくない。
思うことはいくらでもあったかもしれないけれど、
それはちゃんと自分と向き合ってくれた、
1度でも好きになってくれた相手に失礼だと思うし、
何より自分が相手を好きになった事実を有耶無耶にしたくない。

友人と元恋人との悪口で盛り上がるのは間違いないし、
別れて正解っていうある種の自己肯定に走りたくなる気持ちもある。
でも振った側であれ 振られた側であれ、
友人とそう思ってた事を話して笑いあって、
今後の出会いに期待出来るほど自分は出来た人間では無い。
嘘でも相手を悪く言えるのは良く出来た人間だと思う。


恋愛の一番の醍醐味は「この人でなければ駄目だ」と
感じることだと思う。
「優しいところが好き」だとしても、
「優しくない」ところが好きじゃない筈がないし、
その人でなければ駄目なのだから、
その人が良いのだから、
好きじゃないところも好きになれる。


今まで友人に「今付き合ってる子はどこが好きなの?」
と聞かれたら、「全て」と答えてきた。
細かい部分をあげたらキリがない。
それはそうに決まってる。
ただ本当に言いたいのは、嫌な所を嫌なんて思っておらず、
無意識の内に受け入れていた自分がいるって事だ。
これからも友人に胸を張って恋人を紹介できる人間になりたい。


誰と付き合っていたわけでも無い頃に思っていた、
"こういう人は嫌"に該当するような相手に、
恋をしていた時は、相手に対するキャパが広くなり過ぎていて
そう思っていた事すら忘れている。
恋は盲目と言われる所以かもしれない。
今 あの頃は愚かだったなあ。よく頑張ってたなぁ。
辛かったなぁと思う事もあるけれど、
自分の最優先事項が相手になる その恋の経験は、
とても楽しかったと胸を張って言える。


恋愛で大事なことは、相手の好きなところを
的確に答えることでもなく、恋が成就することでもない。
「この人でなければ駄目だ」、
「この人を好きでよかった」、
と思いその経験を積むことだ。

マッチングアプリが当たり前のこの時代は、
気軽に仕事終わりに飲める人と、
SEXをするだけの人と、
一生を添い遂げるかもしれない人と、
写真1枚から気軽に知り合える。
一期一会が流行っていた小学生の頃からは、
想像もつかない世界になっている。
メンタルがやられる理由が分かる。
人と出会うハードルはとてつもなく下がっているのに、
好きに関する感覚は何も変わっていない。
誰でもいいから人に会いたいと
会いたい人に会いたいと、
会うべき人と会いたいは、
全くの別物だとちゃんと心に刻んでおきたい。
会うべき人には少し無理しても会う。
これ自分のモットー。


人に恋をするということは、
自分の中に相手の部屋を、作ることなんだと思う。
出会いを繰り返していく中で、
その部屋に物がどんどん飾られて、
別れを繰り返していく中で、
その部屋の物がどんどん捨てられていく。
ずっとずっと捨てられず残っている物が、
後悔であり、未練であり、思い出になる。
相手の部屋には自分の物が残っているんだろうか。
自分なんかよりいい人を見つけて、
幸せになって欲しい。
少しだけでも自分の事を
ずっとずっと覚えてて欲しい。


いいなと思ったら応援しよう!