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北海道リベンジ  1日目

(序)三人組は成長しない

ちょうど一年前、三人組は北海道にいた。7日間で北海道の鉄道を全部乗りつぶす過酷でアホな旅をしていたのだ。そして、かの三人組は今年も北海道にいた。2020年2月の終わり。T氏とK氏、そして私。これは三人組の北海道リベンジである。

今回、旅にでるまでの経緯を簡単に説明しよう。出発からさかのぼること四か月ほど前の夜、三人で前の北海道旅行のことを話していた。その旅行では鉄道乗りつぶしは達成したものの、その超過密なスケジュールにより、観光や名物とは無縁であった。そんなハイパーもったいない旅人にさえ、北海道はあまりある魅力を見せつけ、我々を虜にしたのである。またいつか行きたいよなあ、と深夜テンションで盛り上がっていたとき、神の導きか、たまたまピーチで航空券のセールをやっているのを発見した。そしてその場の勢いで釧路行きの航空券を三枚取ってしまった。

で、現在に至る。

おおまかな行程を決めた以外、四か月間ほとんど何も計画しないまま、当日を迎えた。予約した宿は初日のみ、帰りの航空券はない。だがそんな細かいことを気にする我々ではない。三人組は、リベンジを果たすべく、得意とする何とかなるさ精神武装で極寒の北海道へ旅立った。これはその旅行記である。

はじめに言おう。この旅行記はあきれるほど文量が多い。本人が嫌になるくらいだ。ご覚悟

1日目 AM6:40 石屋川駅

T氏は案の定寝坊した。旅の前日は興奮して眠らないのだ眠れないのだ、と息巻いていた彼は睡魔との闘いに一方的に敗北し、私が下宿のピンポンを押すまで目覚めることはなかった。さすがは永世絶起マンの名を欲しいままにする男である。 

K氏は迅速に切符を紛失した。改札を抜け、旅の出発点たる石屋川駅のホームに立ったとき、すでに彼の手に切符は無かった。しかし「また買えばいいんじゃない?」とへらへら笑って流せるところがK氏特有の羨むべき能天気さと危惧すべき金銭感覚である。

 私はすでに疲労困憊であった。寝違えた首がキリキリ痛み、さらに前日はバイトで三時間も寝れなかった。そのうえT氏の寝坊で駅で30分も待たされたのでぷりぷりしていた。おまけに列車内でやったスマホゲームで大差で負けた。おそらく、あの時の阪神電車の車内で最も人相が悪かったに違いない。

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このように三人の旅のはじまり方はたいていの場合、一般的な旅行につきもののうきうき感やわくわく感が欠如している。にじみ出る陰キャの気配は留めようもなく、関西空港に向かう混んだ列車の中から見上げる空はこれ以上なく曇天。旅の先行きには不安しかない。

1日目 AM8:30 関西空港

我々の荷物は多い。それはもう、空港の保安検査場で手荷物の重量オーバーを覚悟するくらいには。下宿に重量を量る道具を持ち合わせていない我々にとって7kgという制限をクリアできるかは一種の賭けである。おそるおそる空港のカウンターのそばにある量りにでっぷりと肥えた荷物を置いてみる。私とK氏は6kg台でクリアし、T氏は0.5kgほどオーバーしていた。T氏はこれくらいならなんとか、と言ってパンパンのバッグに入っていた上着を何枚か着こんで、さらに分厚い時刻表を比較的余裕のあるK氏のカバンに突っ込むことで事なきを得た。ほとんど反則に近い気もするが、これなら三人で21kg以内に収まれば後はどうとでもなる。

ピーチの航空機は関西空港でもはじっこの第二ターミナルから出発する。搭乗開始のアナウンスがあったので建物の外に出て飛行機に向かった。階段で乗り込む方式なので飛行機が近く感じる。

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途中で私が航空券を財布にしまおうとしたとき、財布のポケットにいれていた大量のカード類が抜け落ちて大阪湾の強風に舞った。彼等も飛行機を見て空に憧れたのかもしれない、などと書けば格好がつくが要は不注意である。慌てて拾い集めたが、大きな翼を前に地べたを這いずるのはなかなか悲惨である。午前10時。なんだかんだあったが我々を載せた飛行機は雲の多い空に向かって離陸した。

1日目 PM0:00 釧路空港

意外にもピーチは定刻どおりに釧路空港に着いた。北海道の天気は快晴で飛行機の窓からは羅臼岳が望めた。我々の普段の行いを鑑みると奇跡に近い天候である。とりあえずバスに乗って釧路駅に向かう。私はとにかくタンチョウがいないか探したかったので窓際の席をとったがいささか気が早すぎた。かわりにK氏が車窓に見つけたのは古い型の路線バスであった。そのバスは同じく釧路駅に着いたので、珍しく興奮ぎみのK氏に引っ張られるようにして見に行った。雪のせいか側面がボロボロで車体にはツララが生えているようなバスで、K氏が何やら熱を帯びて説明していたが、すまない、なにも覚えてない。北海道に着いて最初に撮った写真はバスの前でピースするK氏であった。
釧路駅に着いたのは午後1時ごろでまずは昼飯である。駅近くの魚市場、和商で勝手丼を食べる。ご飯の入った丼を買って、そこに各店で一切れ単位で売っている刺身をのっけていくやつだ。なんでも美味しいが私はせこいので低価格でかつ釧路産の刺身ばっかり買ってたら、記憶力が無いのでどれが何の魚だったかサッパリわからなくなった。まあなんでも美味しいのでよしとした。一切れ特に美味しいヤツがいたがお前は何者(何魚)なんだ...

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1日目 PM2:10 釧路駅

海鮮でほっぺたを落下させた後、駅に戻っていよいよ鉄道旅スタートである。まずは釧網本線に乗って北浜駅に向かう。去年は時間的に夜になってしまったが今年はたっぷりこの釧網本線を楽しむのだ、と思って先頭にかじりついていたら、もう出るわ出るわ。何がって、エゾシカである。

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汽笛が鳴ってようやく列車の接近に気付いた鹿たちが狂ったように線路上を駆け回る。列車は鹿が現れるたびに汽笛を鳴らして急ブレーキを繰り返すので、さながら遊園地のアトラクションである。《釧網コースター 鹿に気を付けろ!!》的な感じでひらパーにありそうである。

現れるのは鹿だけではない。茅沼駅に着くと念願のタンチョウが見えた。いやっふー、と心で叫んでシャッターを切っていると、さらにタンチョウがいるところを列車接近でパニックになった鹿が駆けてぬけていった。

すさまじい大自然だ、駅前にダーウィンが来るぞこんなの。

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さらに列車は進み、キタキツネやワシなどの鳥も見られた。私は敬意を込めてこの釧網本線を釧網サファリ線と呼ぼうと決めた。
T氏と私が車窓の写真を撮ってキャイキャイやっていると(K氏は昨年と同様に「ワイドビューする」と言って車両後部の席にずっと座っていた。彼の思考は人智を超越している。)、あっという間に列車はオホーツク海側へ出た。考えてみれば三時間ほぼ立ちっぱなしだったが疲れはみじんもない。むしろ疲れが飛んだようだ。

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1日目 PM5:00 北浜駅

そして列車は北浜駅に到着し、我々は下車した。
目の前には白い流氷が敷き詰められていた。遠くに知床半島の山々が見える。そこまで流氷の平原は続いているようだった。我々は雪をはじめて見た熱帯雨林の子供のように感嘆の声を挙げて、写真を撮りに走り回った。見れば見るほど地の果て、という言葉が浮かんでくるようだった。駅舎はもちろん、付近の電柱や防風柵などはすべて古い木造、雪原からぽつぽつと伸びる枯草が風になびいている。時折後ろの国道に車が通る音や我々の奇声が聞こえる意外は音もなく動くものもない。静謐でモノトーンな世界。「The 最果て」であった。

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しかし、しばらくして海辺に出てみると意外なことに気付いた。音がするのである。
風で岸辺に寄せられた流氷が行き場をなくして軋む音であった。ギシギシと鳴る方を見てみると大きな皿のような氷の塊が回転寿司くらいのスピードで動いている(意味不明の比喩でごめんな流氷...でも速度は確かにそんな感じやったんや...)。流氷は近づいてみると、薄く青みがかっておりとてもきれいだった。最果ての地に自然の脈動を見た感じがしてなんだか嬉しくなり、感動をK氏とT氏に伝えようとしたが、瞬間的な表現力に欠けるため「ギシギシゆってる!ギシギシゆってる!」しか言えず怪訝な顔をされた。
東のはじにあるオホーツクの夕暮れは早く、「楽しい時間は早くすぎる」の格言との相乗効果で一瞬でとっぷり暮れた。その一瞬の間に見せてくれたオレンジの空はまた格別であった。

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そのあと、北浜駅にある喫茶店、『停車場』で夕飯を食べた。店の内装は古い客車列車をイメージしたもので、鉄道関係のグッズで埋め尽くされている。迷った末、私はカニラーメン、T氏はオムライス、K氏はポークカレーをそれぞれ頼んだ。カニラーメンはとても美味しかったが、私は隣の芝が異常に青く見える眼球を持っているのでT氏のオムライスがとても美味しそうに見えた。なかば強制的に交換して、一口食べてみると案の定最高であった。何人かで飯を食べると最後にいつも少し悔しくなる、みみっちい性格である。
しばらくして外に出ると満点の星空があった。最高級の冬空である。三脚を立てて30秒のシャッタースピードで写真を撮ってみた。風が吹きさらすちょっとした展望台の上、30秒の間じっと待つしかないので気を抜くとたぶん死ぬ(大袈裟)。夜のオホーツクという天然の冷凍庫で撮れたのは、まあ案の定というか真っ暗で何かよくわからない写真であった。かろうじてオリオン座が見えた。やがて網走行の列車が来たのでそれに乗り込み列車の暖かさに感動した。が、しばらくするとむしろ暑いくらいだったので感動は薄れた。

1日目 PM7:50 網走駅

網走駅に着いた。切符をいつもと違うところに入れていたのでこれはフケコウか!?とかなり焦った。(以前に三人で南海電車に乗りに行ったときに私が深日港(ふけこう)駅で一日乗車券を失くしたことから、この三人は切符を無くすことをフケコウという。)誰もいない網走駅の広いホームで一人でわちゃわちゃと財布をひっくり返したりしてようやく切符を見つけた。しばらくして改札から出てきた私に対し、「おっそい!フケコウ?ねえフケコウ?」とニヤニヤしながら聞いてくる友人を二人ももってぼかぁ幸せだよ。

宿までは徒歩である。北海道の道は完全に凍結していて、暗いといっそう危険だ。私とT氏が滑らないように探り探りひょこひょこ歩いている横を雪国生まれのK氏が冷やかすようにひょいひょいと歩いていく。転ばないまでも、ツルッといきかける場面が何度かあり、そのたびにK氏から「ころりく」だの「すべりく」だのと意味不明の罵倒を受けながら(私の名前がリクであることに由来するものと思われるが、彼の思考は人智を超越している。)なんとかこの日の宿にたどり着いた。
この宿の従業員はみんななんだかずれている人が多く、インターフォンを押しても誰も来なかったり、受付もなしに部屋に通されたり(そもそも案内してくれた人、あれ誰なんだ...)、そもそも1人で予約したことになっていたりしたが応対は優しかった。六畳一間のテレビは床に直置きのブラウン管、受付に鎮座するのは現役なのを初めて見た博物館にありそうな骨董品のパソコン、歩くたび軋む床、圧倒的薄さの敷布団、といった感じでレトロ感が半端ない、いい宿であった。下の写真はフロントとおぼしき場所。

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時折、汽笛が聞こえるのがまた風情がある。
大きめの風呂があったので別に一度に入る必要もないのに三人で入った。風呂場の床には床暖房があり、地味に温度設定が高くて、若干の炙られてる感があったがいいお湯だった。
部屋にもどってブラウン管テレビの砂嵐を楽しんだ(?)あと、布団にくるまって寝た。明日の朝も早い。

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