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JR北海道がイカれた切符を発売したので乗り潰しついでにINGRESSと観光してきました~②日目 北から目線なんか俺がぶっ倒してやるよ!!~

■ご挨拶

 皆さんこんにちは、お久しぶりです。お世話になっております。
INGRESSでは大阪エリアを中心に日本全国どこにでも現れるENLエージェント kizokuchan でございます。

前記事にてINGRESSのちょっとしたお話しと北海道紀行の導入部、そして異常なまでの廃線マニアっぷりを隠しきれずおよそ2万字にわたる怪文書を投稿いたしました。今回はその2日目の行程について書いていきたいと思います。

 先に申し上げておきますと、2日目以降の旅程は一部の立ち寄りポイントを除き、本当に「移動する」ことに重点をおいた計画となっており、多少のトラブルはあったものの大体予定通りにこなしております。読み進めていくと、およそ旅行とか観光といった要素とはかけ離れた、いわば「お前は今から3か日間移動の刑に処す」みたいな部分が所々出てきますが、きっとこれを楽しんで読んでくださる方も中には居るだろうと信じて筆を進めます。

■朝市を満喫せよ

 さて、初日から北海道の端っこで深夜まではしゃぎつつ遅い時間に眠りについた私ですが、だいたいビジネスホテルで寝るときは朝日が入ってきそうな窓を半分ほど開けておくことで日の出のタイミングくらいで目を覚ますことが出来ます。さすがに東の大地北海道の夜明けは早く、自然に明るくなった室内の気配を感じ取り午前6時ごろに起きることが出来ました。

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 せっかく早起きが出来たので海産物でも腹に入れるかと思い、身なりを整えて函館駅前の朝市へ繰り出します。函館駅から歩いて5分もしない好立地でアクセス抜群ということもあり、多少の観光地価格であることは否めないのですが鮮度も味も確かなお店が沢山軒を連ねています。

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 まずは目についた海鮮丼屋に入り、お好み丼という好きなネタを3種類まで選べる丼を注文しました。シンプルながら素材の味が活きた海鮮丼を平らげてさらに朝市の中を散策します。普通ならここで土産物の一つや二つでも買っていきたいところですが、今回はこの先の行程が長いのと、別の場所でもっと良い土産を買えそうなのでスルーします。

 コロナ禍が収まって来たとはいえまだ観光客も少なく、しかも平日の朝市なので人は本当にまばらでした。加えて昨日はギリギリ降らなかった雨が今朝は元気よく降っており、それがさらに人の出足を少なくしているようでした。海鮮丼とあおさの味噌汁だけではこの後の長い列車旅には少し心もとない、と思った私は、もう少し気合の入ったものをついでに腹に入れて旅立つことにしました。

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 それがこちら、函館朝市名物イカ釣り体験です。水槽に泳いでいるイカを自分で釣りあげると、すぐに板前さんがその場でさばいてくれて新鮮なイカのお造りを食べることが出来ます。元祖イカゲームですね。料金はその時によって変動するのですが、私が行ったときは1,400円でした。人気のあるアトラクションなので、行楽シーズンや外人が大挙して押し寄せていた時には2時間や3時間待ちになるそうです。事実、床の足元には並び列のラインと、所々に「ここから1時間待ち、2時間待ち」とマーキング表示が描かれていました。幸いにして当日は私の他に誰もおらず、すぐに体験させてもらえそうでしたので話のタネにやってみることにしました。

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 お金を払ってイカ釣り用の竿を借ります。仕掛けはいたってシンプルで、細い竿の先に釣り糸が付いており、その先端にイカを引っ掛ける用の針が付いています。針と言ってもイカ釣り用の特殊な形で、タコさんウインナーの足が全部鋭利になっているような形を想像してもらえれば分かりやすいかと思います。この針でイカの耳を狙って吊り上げます。泳いでいるイカもサイズがまちまちで、お腹がすいているときは大きめのイカを狙うことも出来そうでした。店員さんから「釣り上げたイカは暴れるし、水やスミを吐くことがあるので気を付けてください」という注意を受け、早速チャレンジします。水槽に針を落としてものの1分もしないうちに狙ったイカの耳に針がひっかっかり、水中でイカが暴れだしました。店員さんが「真っすぐ引き上げてください!」と大きな声で指示してきます。その理由は教えてくれませんがとにかく言われた通りに真っすぐ竿ごと持ち上げます。水中から姿を現したイカは、元気よく水鉄砲のように水を明後日の方向に吐き出しました。要するに真っすぐ引き上げず手元に寄せるように上げてしまうとこの水鉄砲を喰らう可能性が高いと、そういう訳です。なお、イカがスミを吐くのか水を吐くのか、そしてその向きが自分の方なのかそうでないのかはその時のイカの機嫌次第の完全に運ゲーであるようで、今回は運よくイカのファイナルアタックを受けずに済みました。彼らも生死がかかっているのですからそのくらいの抵抗はするだろうなと、そんな感想を持ちました。

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 釣りあげられたイカは手際よく一旦バケツに入れられ、針を外してまな板の上に御招待となります。板前さんが手際よく包丁でイカをさばいていきます。耳の部分を切り落とし、胴体を縦に割いてスミ袋を傷つけないように取り出し、新鮮なワタを一口サイズに切ってくれます、耳は軽く洗ってイカソーメンに仕上げ、10本の足はイカゲソになって出てきます。それらが使い捨てのトレイに綺麗に盛り付けられ、醤油と生姜でシンプルにイカの旨味を味わうことが出来ます。食べ始めてびっくりしたのがゲソでした。箸でつまんだ瞬間、イカの足がウネウネと元気良く動き出したのです。これには少し驚きました、新鮮にも程があるだろうと。後で調べましたが、イカは外敵に襲われた際、意図的に足の一本を切り離し、その足はエネルギー源である糖を消費する間は自力でウネウネと動くのだそうです。そうすることで足を囮として使うことができ、外敵がそちらに気を取られている間に本体は逃げおおせる、といった具合です。箸でつまみ上げた一本の足は、その吸盤で隣にあったイカソーメンを共連れにして私の口の中に運ばれました。口の中でも足は元気にウネウネと跳ね回っていました。意を決して足を縦にガブっと嚙み切ったところ、しばらくして足は動かなくなりました。小魚の踊り食いとはまた違った感触があり、多分これ苦手な方は口に運べないと思います。

 切られてもなお動くイカの足と格闘しながら食べきり、すっかり満足したところでホテルの駐車場へ戻り、レンタカーを満タン給油して駅近くの営業所へ返却します。そしてホテルの荷物をまとめ、チェックアウトして函館駅へ移動します。長い長い2日目の本番の始まりです。

■特急北斗5号(函館→南千歳)

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 函館駅からは前日に指定席を取っておいた特急「北斗」号に乗車します。8時55分発の北斗5号です。北斗は函館と札幌を結ぶ特急で、函館本線を北上し、長万部から室蘭本線に入って東室蘭、登別、苫小牧などを経由して南千歳を通り、千歳線を走行して札幌に至ります。以前は長万部からそのまま函館本線を走行し、ニセコや余市を経由して小樽から札幌に至る、いわゆる「山線」ルートが特急の主要な走行ルートでしたが、先述の室蘭本線回りの「海線」ルートが高速化改良されたこともあり、現在の特急は全てこちらを通るようになっています。函館から札幌までの所要時間は約3時間半から4時間となっています。かつては同区間を3時間フラットで走破する便もありましたが、昨今のJR北海道における機器トラブルなどの影響で減速運転を余儀なくされ、所要時間が伸びています。

 函館から札幌まで普通に乗車券と指定席特急券を購入すると8,910円かかります。函館〜札幌間には高速バスも運行されており、所要時間は5時間半ほどかかりますが運賃は5,000円を切っています。回数券などで工夫すると1乗車あたり4,000円ちょいで乗れてしまいます。北海道のいくつかのローカル線の廃止理由として「並行道路が冬季でも走行できるように整備されたため」や「無料の高規格道路が開通し、みんな車で移動するようになってしまったため」があります。乗客が減ると運輸収入が減るため、鉄道会社は減便や合理化を行います。その結果、鉄道がさらに使いにくくなり乗客の足がさらに遠のく、という悪循環を招くこともよくあります。これは北海道に限ったことではなく、少子高齢化かつマイカーが一人一台というレベルに近いところまで普及しつつある日本の各地で起きています。

 鉄道の路線の維持には維持費がかかり、それは他でもないJRが負担しています。勿論そういったコストも運賃や料金に跳ね返ります。一方道路はインフラ扱いで、保守管理は国や自治体が行なっています。さらに通行料が無料となるとどう考えてもマイカーで移動した方が柔軟性があり安く済みます。超お得な切符で移動している身からするとあまり偉そうなことは言えないのですが、この先JR北海道が生き残るにはどうすれば良いかというテーマは今後もずっとこの地域に重くのしかかっていくのだと感じました。

 話を旅行に戻しましょう。2日目の私は函館を出発しました。先に言っておきますと本日の目的地は北見です。北見というのは北海道のざっくり右上の方に位置し、オホーツク地方の中心都市となっています。エリアの中心駅は北見駅で、石北本線という路線に所属しています。札幌から向かうのであればまず函館本線で旭川へ向かい、そこから石北本線の列車に乗車して行くことになります。札幌〜旭川を特急「ライラック」で移動し、旭川始発の石北本線特急「大雪」に乗り継ぐか、札幌を始発とする石北本線直通特急「オホーツク」に乗車する2通りがありますが、ルートは同一で旭川での乗り換えの有無しか大きな違いはありません。では、このまま特急北斗に乗って終点の札幌で降り、前述の方法で移動するのか。答えはNOです。サブタイトルの通り、特急北斗は南千歳までの乗車で降りる予定にしています。そこから特急「おおぞら」に乗り継ぐことになります。詳細は後述します。

 長万部から室蘭本線に入った特急北斗は、美しい噴火湾沿いに走り東室蘭を目指します。長万部から東室蘭までの主要な停車駅は洞爺と伊達紋別です。洞爺は文字通り洞爺湖の最寄駅で、最近だとサミットが行われた際にひと盛り上がりしました。近くには有珠山や昭和新山があり、地球の息吹を身近に感じられる観光スポットとなっています。この区間のもう一つの見どころとして「小幌駅」があります。特急も止まらない小さな駅なのですが、その立地と秘境具合から一部の人間にはとりわけ有名です。駅前後の線路はトンネルとトンネルに挟まれており、三方は険しい山、そして残りの一方は海、外部からアクセスするためには国道から獣道のような山道を徒歩で数十分歩かなければならない…といった具合で、文句なしのトップオブ秘境駅なのです。ただし、「他を抜きん出た秘境駅であること」があまりにも有名であるが故に訪問者も多く、またアクセスできる列車も当然限られていますからその訪問スケジュールもいくつかのパターンに絞られてしまい、1日数本止まる普通列車ではそこそこの数のマニアの方の乗降があり、本当に寂しい状況になることは稀なようです。「秘境駅である」ことすら話題に上がらないような駅が、真の秘境駅なのかもしれません。

 東室蘭を出た列車は進路を変え、海岸に沿ってほぼ北東にまっすぐの線路を苫小牧へ向かって快走します。もともと何もない原野に線路を敷いたため、この区間には日本の鉄道で1番長いストレート区間があります。白老という駅を出て少し右にカーブした地点からひたすら真っ直ぐになり、そのまま苫小牧を越えて一つ先の沼ノ端という駅までのなんと28.7kmが直線区間です。東室蘭から先は電化されており、普通電車も割といい速度で走っていましたがその電車が老朽化で引退したため、今は電化区間にもかかわらず普通列車は気動車が担当しています。製紙の街苫小牧を出た特急は海から離れ、真北から北西に進路を変えて新千歳空港の横を走り、南千歳に到着します。

■特急おおぞら5号(南千歳→釧路)


 南千歳駅は少し前まで「千歳空港」という駅名を名乗り、その名の通り空港の最寄駅でした。その後、新千歳空港の地下へ直結する新線が完成して、南千歳と駅名を変えました。今でも橋上駅のコンコースからは空港敷地内へと伸びる連絡通路の跡を見ることができます。空港最寄駅の座を新駅に譲ってもなお、南千歳駅は交通の要衝であり続けています。今乗って来た札幌函館間特急の北斗、そして新千歳空港と札幌を結ぶ快速エアポート、札幌と帯広及び釧路を結ぶ特急とかち•おおぞら、そして地域輸送の普通列車、これらが頻繁に行き来しています。


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 南千歳で降車した私は、次に乗るべき列車である特急「おおぞら」号を待っていました。おおぞらは札幌を始発駅として南千歳まで千歳線を走り、そこから石勝線で夕張市やトマムを抜けて新得に至り、新得から根室本線を走って帯広に到達、さらに根室本線を東に進み釧路までを結ぶ列車です。札幌から根室本線途中の帯広までを結ぶ特急も同一ルートで運転されており、そちらは「とかち」の列車名が与えられています。


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 北斗は南千歳から千歳線及び函館本線を経由して札幌まで走ります。そこから札幌始発のおおぞらに乗車することもできますが、札幌〜南千歳の区間は完全に重複するため、南千歳で乗り継げばあまり時間のロスなく早い列車に接続することができます。

 南千歳では15分強の待ち時間であったため、一旦改札を出て駅周りのポータルを少しハックしてから売店を物色、飲み物を追加購入し、ついでに車内で食べる昼食を買いました。

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 帯広名物豚丼です。アツアツではないので完璧とはいきませんが駅弁の中ではかなり完成度の高い方だと思います。そうこうしているうちに、次に乗るべき特急おおぞら号が南千歳駅のホームに滑り込んできました。12時25分発、釧路へ向けて再び長い移動の開始です。

 南千歳から新得を結ぶ石勝線は、全開通したのが1981年と比較的新しい部類の路線です。その名の通り「石」狩国と十「勝」国を繋ぐ目的で建設されました。石勝線が無かった頃の札幌から帯広や釧路への最短経路は、一旦函館本線で滝川まで行ってそこから根室本線で狩勝峠を越え、新得に至るルートでした。石勝線の開通によって札幌圏と帯広•釧路との時間的距離は一気に縮まりました。ショートカットを主たる目的とした路線のため、駅間が20kmクラスであったり長大トンネルが多かったりとかなり個性のある路線となっています。つい最近まで途中の新夕張という駅から夕張市の中心部へと至る夕張支線が分岐していましたが、市側からの提案という珍しい形で廃止となりました。また新夕張から新得の間は特急列車しか運行されておらず、この区間内のみを相互に行き来する場合において、特急列車の自由席に特急料金なしの普通乗車券のみで乗車が認められている特例があります。要するに普通の切符で特急に乗れる救済措置があるということです。ただし、乗車がこの区間内のみで完結することが条件で、区間外を含む乗車になると正規の運賃+特急券を購入する必要があり、18キッパー泣かせの難所になっています。

 突然ですが皆様は「北から目線」という言葉を聞いたことがありますでしょうか。最近日本列島に大寒波が押し寄せて首都圏に大雪を降らせた際に聞いた方がおられるかもしれません。あまりメジャーではない言葉でスラングの一種なのですが、大雑把に説明しますと、「北海道や東北的には至極当然の常識である事柄」や、「北国からすると大したことではない寒さに関する要素」について内地の人間がピンと来ていないことを揶揄する様を表した言葉です。たとえば東京で5cmの積雪があったとしましょう。雪に慣れていない都会人は右往左往しますし、首都圏の鉄道は遅延しますし、スタッドレスタイヤを履いていない車は立ち往生します。それを「5wwwセwwwンwwwチwww程度wwwのwww雪wwwでwwwww」と嗤うのもこれに含まれます。最近とみに使われる表現が「内地の感覚で北海道を移動しようとするな」というものです。本当にそんな奴がいるのかどうかはハッキリしませんが、「初日は札幌観光して、2日目は釧路行って、3日目は旭山動物園行って…」みたいなプランを立てている人間に対して、彼らは「北海道はでっかいどうなんだから内地の感覚でホイホイ移動できると思うな」といった意味合いの言葉を投げかけて来ます。またお決まりのように北海道の地図を同じ縮尺の本州に重ねた画像を出してきて「ほれ見ろ、函館と札幌と釧路は本州で言うとこのくらい離れているんだ」と言ってきます。この画像がもし電子ファイルでなく実体の紙で存在するとしたら、頻繁に持ち出されたことによる経年劣化でボロボロになっていると思います。関西人が言う「東京のうどんなんか汁が黒くて食えるかい!」というネタはほぼ絶滅しかけていますが、彼らは「北海道はでっかいどう」を未だに鉄板ネタとして定期的に使用してきます。しかもタチの悪いことにそれが3ヶ月おきにバズったりします。なお、首都圏側から田舎に対するカウンターとして、「今度の東海道線は短い10両編成で参ります」という、田舎の列車が1両や2両でしか走っていないことを揶揄する表現もあります。みんなもっと仲良くしよう。ラブアンドピース。

 好意的に解釈するのであれば、要するに「広大な土地なんだからもう少し考えて移動しろ、一気にそんなに行けるわけないだろバカ」と言っているのですが、今回私はそれに対して「バカで結構、俺を止められるものなら止めてみろバカ」というお返事を引っ提げて北の大地へやってきました。お返事の一つが函館→南千歳→釧路という7時間にわたる移動だったりします。しかもこれだけでは終わりません。先ほど私は、本日の最終目的地は北見だと申し上げました。釧路から釧網本線の普通列車に乗って知床斜里→網走と移動し、さらに石北本線の普通列車で北見へ向かいます。函館を朝の9時前に出て、北見に着くのは22時過ぎの予定です。正直申し上げて私は前出の「北から目線」というやつが大嫌いでして、通常であれば1日でやらないような移動を連続的にこなしていくことで「いい加減広さだけを売りにしたネタを何度も擦るのをやめろ」というメッセージに代えようと思っています。誤解を避けたいのですが私は北海道という土地は大好きです。北海道の広大な土地や自然も大好きです。ただ、北海道の広さについて使い古されたネタで毎回面白いと思って投げてくる人間に辟易しているだけなのです。さっきラブアンドピースと言ったな、あれはウソだ。

 石狩国と十勝国の境を何本かの長大トンネルで突破した特急おおぞらは新得駅に到着しました。かつてはここも交通の要衝で、狩勝峠越えの列車のために広大な機関区をもつ駅でした。現在でも石勝線と根室本線が合流するジャンクションとしての機能を有しています。現在の根室本線は新得を滝川方面に出ると、Ωカーブを二つ繋いだような緩和曲線で勾配を稼ぎ、そのまま新狩勝トンネルへ入ります。トンネルの途中に石勝線との分岐点があり、トンネルを出るとほどなくして落合駅に到着します。かつての根室本線旧線は新得を出るとほぼ狩勝峠越えの道路に並行して進み、厳しい勾配の続く峠をいくつかのトンネルとカーブで越えていました。峠の途中からの眺めは風光明媚なもので、日本三大車窓にも数えられたと言います。現在は廃線となっていますが、ルートの大部分が散策できるよう整備されており、往年の険しい峠越えの路線を歩いて楽しむことができるようになっています。いつか徒歩で散策してみたいのですがクマとか出ないんでしょうか。廃線探索はいつも雑草と蛇と虫と野生動物との戦いです。

 新得を出た根室本線の線路は徐々に標高を下げていき、やがて十勝平野の中を走るようになります。芽室あたりから開拓時に整備された規則正しい碁盤の目のような街並みが広がり、この辺りは帯広の都市圏内となっています。お手持ちの地図アプリで帯広駅周辺を眺めてみてください。「ザ •開拓」といった具合の見事に整備された街を確認することができます。帯広駅は十勝地方の中心たる駅で、非電化ながら高架で上り下りにそれぞれホームがあり、そのホームの両側に線路がある一般的には「2面4線」と呼ばれる構造をしています。また、有人駅としては日本最東端の高架駅となります。かつてはここから南へ広尾線、北へは士幌線という盲腸線が分岐していました。広尾線は線内に「愛国」「幸福」という駅があったことで有名で、現在でも両駅跡は綺麗に保存されており、とりわけ幸福駅には今でもカップルの訪問が後を絶ちません。士幌線は帯広から北上して士幌町を通り、そのまま三国峠を越えて石北本線の上川駅に接続しようとしていましたが十勝三股まで開通するにとどまりました。その十勝三股を含む末端区間も、晩年は採算性がひどいためバスで代行運転されていました。沿線の見どころとしては、ダム建設のため線路付け替えになった際に旧線と共に水没した「タウシュベツ橋梁」があり、水面が低い時にはその美しい姿を我々に見せてくれます。コミックボンボンでがんばれゴエモンの漫画を描かれていた故・帯ひろ志先生は出身が帯広市なので前出のペンネームを使用されていました。先生の描かれるヤエちゃんに性癖を曲げられた方の数は1000や2000ではきかないと思っております。

 帯広を出てしばらくの景色は都市圏の表情を見せますが、ほどなくして原野と似たような風景が続くようになります。帯広の次の大きな街といえば池田です。ここからはかつて国鉄池北(ちほく)線が分岐しており、その後第三セクターの「ふるさと銀河線」が運行を引き継ぎました。池田と北見を結ぶ最短ルートでしたが、途中の沿線人口が希薄であるため経営状況は厳しく、平成18年に全線廃止となりました。全長100kmを越える第3セクター路線の一気廃止は当時かなりの衝撃がありました。池田を出ると浦幌を過ぎ、いくつかの街を通りますが炭坑が閉山したり、周辺の中都市へ人口が流出したりと、ほとんどの箇所が過疎化の一途を辿っています。ここ数年で廃止になってしまったり、信号上に格下げされた駅も少なくありません。白糠駅からはかつて白糠線が分岐していました。焼酎の鍛高譚という銘柄があります。シソをベースにした焼酎なのですが、そのシソの一大産地となっています。白糠線は以前にレンタカーで廃線探索をしたことがあります。終点の北進駅跡は何もない草むらになっていましたが、一つ手前の上茶路という駅跡はただただ「エモい」の一言でした。興味のある方は是非画像検索してみてくださいめちゃくちゃエモいです。白糠線の跡も国道の拡幅や高規格道路のインターチェンジ整備などでその痕跡を徐々に失ってきています。

 帯広の都市圏を抜けて走ってきた特急おおぞらは、いよいよ終点釧路の都市圏に突入します。大楽毛(おたのしけ)というなんだか楽しそうな駅を通過し、車内放送のチャイムが鳴ると釧路への到着アナウンスが流れ始めます。中学生の時の私において、行ったことのない都市の知識といえば桃鉄における物件データがほぼその全てであり、釧路と稚内には毎年収益率が変動するカニ漁船団があるということで、脳内辞書の釧路の項目はカニ漁船団という文字列で埋まっていました。のちに実際に釧路を訪れた時、カニを両手に謎の踊りを披露する愉快なカニ漁船団は存在しないことが分かりましたが、代わりに和商市場という愉快な施設があることを知り脳内辞書が無事に書きかわりました。「勝手丼」という独自のシステムがあり、どういう仕組みかと言いますと、最初に白米の入った丼を購入し、あとは市場内を回って自分の好きな海鮮ネタを個別に購入して手持ちの丼に盛り付けていき、君だけのオリジナル海鮮丼を作って友達に差をつけようといったコンセプトのアトラクションです。仕事で釧路に泊まった際には必ず朝飯はこれと決めており、毎回朝採れの新鮮なネタを堪能しています。大変残念ですが、今回は移動をメインの目的にしているため釧路では乗り換え時間を利用して飲み物と軽食を補充するに留めることにします。

■釧網本線(釧路→東釧路→知床斜里→網走)

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 釧路での10分強の乗り換え時間の間にトイレを済ませ、飲み物と軽食を買い足します。次に乗る列車は釧路16時5分発の普通列車網走行きです。電光掲示板の次発は16時12分発根室行きとなっています。随分細かい感覚で運行しているんだなと思ったら大間違いで、こちらの根室行きは釧網本線ではなく根室本線の末端区間を走る全く別方向へ向かう列車です。うっかり乗車すると日本列島の東の果てへ連れて行かれてしまいます。日本列島の東の果てといえば北方四島を除くと根室の先にある納沙布岬であり、以前はこの根室本線とバスを乗り継いだり、レンタカーで釧路から100km以上一般国道を走って到達したこともあります。INGRESS的には「果て」を示すポータルというのは魅力的なものでして、果てに限ったことではないですがある特殊な場所の訪問記念にポータルキーをお土産に持ち帰り、キーロッカーにしまっておくというのはやりがちな行為だと思います。

 ところで皆さんは「各駅停車」と「普通列車」の違いは何だかご存じでしょうか?JRをはじめとして一部の鉄道事業者では、この用語はその運行形態によって明確に使い分けられています。各駅停車とは呼んで字の如く「終点までの全ての駅に停車する」という意味で使用されています。だったら普通だって同じでしょ、という話になりそうなんですが、実は普通列車と呼ばれるものには「一部の駅には停車しない」ものがあります。JRではローカル線でありがちなのですが、早朝や深夜に運行する列車において、「その駅で乗降する客が皆無と思われる」場合に通過扱いとして運行しているケースがあります。理由は様々で、特定の集落にのみ直結しており元々乗降客が少ない上に上記の時間帯では乗降は皆無であるとか、ある特定の施設へのアクセス駅であって、営業時間外乗降がほとんど期待できない場合、もしくは学校の最寄駅であって、休校日である土日には学生の乗り降りがないため、など色々な事情で通過になっています。駅の時刻表に特記事項として「〇〇駅・△△駅は通過」などと書き添えられていることが多いです。

 特定の駅を通過するわけですから多少到着時間の短縮に寄与するでしょうし、一般の乗客にはありがたいかもしれませんが、INGRESS的には通過駅のポータルをハックしなければならず難度が上がります。ポータルが1つなら何とかなりますが、駅の記念碑やら何やらで2つ3つある場合は操作が煩雑になり、最悪何もできず二兎追う者の失敗を喫することもあります。「停車していれば焼いてキャプチャ出来たのにな…」ということもしばしばあります。ひどい場合だと焼き切った瞬間に通過してレンジ外になることがあり、「つ、次通った方どうぞ召し上がれ」と思いながら気持ちを切り替えねばなりません。自分がたまたま訪れた時の白ポ群も、自然に枯れたのか或いは先客が似たようなことをやらかしたのか、いずれにせよ有難く頂いていくことにしています。禍福は糾える縄の如し、捨てる神在れば拾う神在り。プレイの過程や結果からいろんな感情や教訓が得られるのは面白いところですね。


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 釧路駅の改札から再度入場すると、すでに網走行きの列車はホームで出発を待っていました。1両単行ディーゼルカーの側面にはルパン三世のキャラクターがラッピングされています。これには理由がありまして、根室本線末端区間の途中にある浜中町は作者のモンキー•パンチ先生の出身地であることからコラボ車両が走っているというわけです。また、根室本線と釧網本線の普通列車は車両が共通運用されていますので、釧網本線を走る列車にも使用されることがあり、今日がたまたまその日だったのでしょう。16時台の列車ということもあり、車内は学校終わりで帰宅途中の高校生がたくさん乗車していました。ローカル線沿線なら大体どこも同じような車内風景になります。彼らは終点の網走まで乗ることはなく、たいてい1時間程度走っていく中で各々の最寄り駅にて降りていきます。ちょうどこちらも特急の指定席に合計6時間以上も座りっぱなしであり、しばらくは車両最後部で立って乗車しながら少し脚をほぐすことにしました。16時5分、ほぼ満員の乗客を乗せて網走行きの列車はゆっくりと釧路駅のホームを離れていきます。

 釧網本線はその名の通り釧路と網走を結ぶ路線です。厳密には釧路の一つ東隣の東釧路から根室本線と分かれていきますが、運行上は全ての列車が釧路発となっています。またいくつかの臨時列車を除き、釧網本線には現在特急をはじめとした優等列車は走っていません。快速列車も1日1往復のみで、その快速列車も臨時駅を含む3駅しか通過しません。従って釧網本線の乗り潰しとなると、必然的に最初から最後まで普通列車に乗車することになります。網走着は19時45分の予定ですから、3時間40分の乗車ということになります。特急に合計7時間近く乗るというのもなかなかの修行ですが、ローカル線一本を4時間弱乗り通すというのも特急とはまた違った味わいがあります。今日乗ってきた根室本線には、かつて「日本一長い距離を走る列車」として滝川発釧路行の列車がありました。300kmほどの区間を8時間以上かけて運行されており、全区間乗り通すと釧路駅で乗車記念証が貰えていました。現在は台風の被害により途中の区間が普通になっているため、乗り通すことができなくなっています。最果てとか最長とか最速とか、人は「最」がつくモノに弱く、つい触れたくなってしまうものなのです。

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 この時期の北海道の16時というのは日没直前で、既に辺りはすっかり暗くなってきています。昼間にローカル線に乗車するときは、マップでこの先の経路を確認したり、流れゆく景色を見たり、車内にどんな人が乗っているか見渡してみたり、到着時にどこで何を食うか検討したり、INGRESSでポータルを拾うのも忘れずにこなしたり、次の到着駅の情報をWikipediaで確認して気になるワードが出てくるとそっちのリンクへ飛び、また読みふけり、ハッと気が付いて慌ててINGRESSに戻ると自己位置のサークルの50mほど後方にポータルが表示されていて呆然としたり…そうこうしているうちにうっかりウトウトしてしまったり…いろんなことを並行してやっています。

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 釧路を出て約1時間、標茶(しべちゃ)を過ぎたあたりで車内にいた学生連中はすっかり降車していなくなり、ディーゼルカーはわずか数人の長距離乗客のみの貸し切り列車となりました。この手のローカル線のディーゼルカーの座席は4名の向かい合わせ固定ボックスシートが車両中央部にあり、両端に僅かながらのロングシートがある配置が相場と決まっており、長距離を旅する客は他の客が減ってくるとこのボックスシートに陣取って荷物を座席に置き、少し行儀は悪いのですが靴を脱いで足を反対側の座席に投げ出して寛ぐのが定石となっております。しかもこの車両は少し豪華というか、まるで特急の車両のように座席のリクライニングが可能で、しかもテーブルまでついている優れモノでした。車両中心部に向かい合わせ4人掛け座席があり、そこを中心にして両側とも中央向きの2人掛け座席が並ぶ「集団お見合い式」と呼ばれる座席配置です。調べたら元々こういう内装ではなかったようですが、長距離客の快適さ向上のために改装をしたようでした。ありがたいことです。

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 ところで、この写真を見てこの4つの穴が何なのか知っている方はどれくらい居るのでしょうか。これはかつて普通列車の室内でタバコが吸えた時代の名残で、この4つのネジ穴には小型の金属製灰皿が固定されていました。今では信じられない光景ですが昔は車内がタバコの煙でけむっているのは日常の光景でした。私の父上もボックスシートに座った際はセブンスターを高頻度でスパスパ吸っており、子供ながらにヤニ臭さがキツかったのを覚えています。さらにはるか昔は列車内や駅や道端に「痰(たん)壺」があったそうで、これは昔衛生状態が悪い時代には人々は痰が絡みやすく、またティッシュなどがそれほど普及もしていなかったため、そこかしこに吐かれてはたまらんということで「せめて此処に吐いてくれ」という目的で設置されたようです。現代の日本で道端に痰を吐く人間は単純に躾のなっていない原始人なので悔い改めてもらいたいものです。

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 列車は途中、知床斜里に停車し25分程の長時間停車をします。はっきりした理由はわかりませんが恐らく乗務員の休憩やこの先の行き違い列車との調整も兼ねていると思われます。大抵こういう時はフリーパスのメリットを活かし、改札外に出て駅周辺を散策するのですが時刻は既に18時半、辺りは真っ暗ですし、そこそこ中核の駅と言えども駅前にはビジネスホテルと地元の居酒屋のような店舗しかありません。手早く駅周りのポータルをハックしつつ、駅前通りを少し進んだところにあるセイコーマートに入店し食料と飲み物を補充します。セイコーマートとはご存知の通り北海道のコンビニの王であり、道民の生命線であり、そして今私にホットスナックを販売してくれる救世主であります。小腹がすいていたのでホクホクのフライドポテトとチキンナゲットを購入しました。両方とも150円くらいでした。控えめに言って神だと思います。今回は購入していませんが北海道に行くと必ずガラナを愛飲しています。普通のコーラとは違った少しエスニック味を感じる喉越しがクセになっており、セイコーマートだと500ml缶が通年100円ポッキリで売られていることが多く重宝します。

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 知床斜里駅からはかつて根北(こんぽく)線というローカル線が分岐していました。根室国と北見国を結ぶという壮大な計画の元建設されましたが、斜里からわずか13㎞ほどの越川という駅まで開業したのみで、営業成績も全国でトップクラスに悪く、開業からわずか13年で廃止となってしまいました。ほとんどの痕跡は田畑に戻されてしまいましたが、終点越川から先の未成線区間において国道を跨ぐ橋梁が一部現存しており、こちらも前回紹介した戸井線と同じく一度も列車が通ることのなかったエモい遺構となります。

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 知床斜里を出た列車はいくつかの駅に停まり、およそ50分で終点の網走に到着します。網走もオホーツク地方ではかなりの街で、駅前と両隣の周辺くらいはそこそこ賑わっています。長旅を共にした列車を降り、網走駅の駅名標とルパンのラッピング列車を一枚に収めました。網走にルパンはある意味シャレになっていません。

 網走といえばヤベー受刑者を収容しておくヤベー刑務所があったことで有名です。網走番外地という言葉を聞いたことがある方は多いと思います。以前出張でレンタカーを走らせ網走に来た際、もうすっかり夜ながらも「網走刑務所って確か観光地になってたはずだ、夜だから入場は出来ないだろうがどんなところなのか入り口前だけでも一度行ってみよう」と思い立ちカーナビに「網走刑務所」と入力し、そのままナビ通りに走って確かに網走刑務所に着いたのですが何か様子がおかしい。夜なのに警備員が立っており入口が物々しいわけです。私が辿り着いたのは現役の網走刑務所で観光地になっているのは「網走監獄」といい、元あった場所から小高い山の方へ移設されていることがわかりました。真実を知った私はあわててその場を後にしました。後日ちゃんと訪れた網走監獄はなかなかの規模を誇る博物館で、当時の監獄の環境の厳しさや刑務作業の一部、何度も脱獄を試みた男や味噌汁の塩分で鉄格子を腐食させようとした話など、それはそれは見ごたえのある観光スポットでした。所内の食堂では普通の料理もありますが当時の監獄食を再現した定食、いわゆるプリズン・ランチを食べることも出来ます。勿論ポータルもたくさんありました。

■石北本線(網走→北見→留辺蘂)

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 さて、網走まで辿り着くと目的地の北見はもうすぐです。桃鉄でもサイコロ1つで行けるような範囲となります。釧路から走ってきたレールは網走から石北本線と名を変え、遠く旭川まで繋がっています。普通列車は本数が少ない分、一定方向への乗り継ぎはある程度考慮されているようで、次の石北本線乗り継ぎは5分待ちでした。これは通常の旅行客にとっては嬉しい配慮なのですが、INGRESS的に考えると「改札を出て少し駅前をうろつく時間が欲しかったなあ」という歯痒い感覚もあります。ともあれ、網走発留辺蘂(るべしべ)行の列車に乗り換えます。

 網走から留辺蘂行きの列車に乗ると、女満別を経由して北見に到着します。留辺蘂はそこからさらに旭川方面に数駅進んだところにある駅です。位置関係で書くと網走―北見―留辺蘂、という並びになっています。本日の目的地は北見です。この列車は留辺蘂行きです。私は留辺蘂駅まで乗ります。何かがおかしい。いやおかしくはないのです。これからご説明します。どうか思い出して頂きたい。私が今回使用しているのは言わば北海道周遊パスです。通常の切符であれば目的地を行き過ぎてまた戻るなんて乗車は通常認められていません。しかし今回は道内全線乗り放題ですから行き過ぎてもOKです。私が留辺蘂に向かう理由、それはただ一つで「留辺蘂駅で降りて北見へは折り返すが、その待ち時間で留辺蘂駅周辺のポータルをハックする」この一点に尽きます。具体的なプランとしては網走を19時50分に出る留辺蘂行き普通列車に乗り、21時26分に終点の留辺蘂に到着します。普通列車ですから当然途中駅のポータルもいくつか拾うことが出来ます。留辺蘂で降りて駅周辺のポータルを拾い、今度は留辺蘂を21時50分に出る特急オホーツク号網走行に乗車して北見には22時8分に到着します。今回のきっぷが特急列車の自由席に乗り放題だからこそ採れる移動経路という訳です。ちなみに留辺蘂駅の時刻表を確認しますと、この21時50分発の特急オホーツク網走行きが北見・網走方面への最終列車となっています。これ以降一本の普通列車もありませんので、乗り過ごすと大変なことになります。

■特急オホーツク(留辺蘂→北見)

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 終点の留辺蘂には21時26分の到着予定でしたが、途中の対向列車待ちの影響なのか3分ほど遅延して21時29分に到着しました。客を降ろし終わった列車はドアを閉じて、そのまま旭川方面へ回送として走っていきました。事前にIntel Mapで確認した限りでは留辺蘂の駅周辺には数か所程度のポータルしかなく、徒歩で歩き回って時間めいっぱいまで回収するといった方策は採らなくて良さそうでしたので、この程度の遅延はむしろ戻り列車までの時間が少なくなって好都合です。実際、駅に降り立って周辺のポータルを触るのに10分とかかりませんでしたし、駅前にはバス停を主とした建物があるくらいで特に時間を潰せそうな場所はありませんでした。駅も無人になっており、駅の近くにある呉服屋に切符の販売を委託しているようでした。

 留辺蘂でやるべきことを終え、旭川方面からやってくる留辺蘂21時50分発の特急オホーツクをホームで待ちます。留辺蘂止まりの普通列車は駅舎に隣接した1番ホームに入りましたが、次に乗る特急オホーツクは構内踏切を渡った島式ホームの2番線にやってくるので、早めにホームへ移動しておきました。ところが定刻の50分になっても一向に列車がやってきません。22時ちょうどを回っても全く列車の来る気配がありません。これが最終列車でなければ他に採りうる手段があるのですが、一瞬「もしかして何かの影響で運休になっているのか」とか「今日は運転しない日だったか、いやそんな表記は無かった筈だ」などの考えが頭をよぎり始めます。無人駅なので来るべき列車が遅れている等の放送を期待することもできません。吹きさらしのホームで20分程待つ格好になり、気温が恐らく氷点下で風も強めに吹いているため体が思ったよりも冷えていきます。結局22時4分くらいになって遠くの方で踏切警報機の鳴る音が聞こえ始め、特急オホーツク号は定刻より15分ほど遅れて留辺蘂駅のホームに停まりました。肝も体も冷えましたがひとまずホッとしました。特急オホーツクの自由席に入ると、乗車率は2割程度といった感じでした。いつもは大げさと思うくらいで多少ムワッとした暑さすら感じる車内の暖房も冷えた体には丁度良く感じました。留辺蘂を出た特急は20分ほど走って次の停車駅の北見へ到着しました。遅れはなぜか拡大していましたし、特に遅れた理由の説明もありませんでした。

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 ともあれ、本日の最終目的地である北見に無事到着し、早速ホテルへチェックインに向かいます。宿は駅近くの東横インにしました。北見の駅周辺はかなり栄えており、一人旅で使えるようなビジネスホテルの選択肢も豊富にあります。個人的には大浴場を備えており、店舗によっては深夜に夜鳴きそばの無料提供サービスが行われるドーミーインがおすすめで愛顧していますが、今回は予約でいっぱいだったため次善の策をとりました。東横インでチェックインを済ませ、荷物を部屋に置いて少し休憩しながら端末を充電します。時刻はもうすぐ23時になろうかというところ。普通ならコンビニで夜食でも買って風呂に入って寝てしまおうという時間ですが、優秀なエージェント諸氏ならばこの後何をするべきかは体に染みついていることでしょう。

■アルクアラウンド

 時刻は23時過ぎ。長時間の移動の疲れを軽く休め、ある程度端末の充電も確認できたところでホテルから出て街へ歩き出します。目的は大きく二つあり、一つは未訪問ポータルの回収およびポータルスキャン可能であればその実施、もう一つは知床斜里から何も口にしておらずいい感じに空腹なこの状態の解決です。函館では手ごろな周遊ミッションを活用してユニーク回収を行いましたが、北見ではそのようなミッションが見当たらず、また夜遅くからのスタートで時限ポータルや真っ暗な箇所などの対応が難しそうなこともあり、あてずっぽうに歩き回り目についたポータルを拾うことにしました。

 そこそこ大きめの街に宿泊する際、INGRESS的に考えるべきポイントというのはいくつかありまして、まず第一に「宿泊場所からポータルがレンジインするか」ということは皆さんかなり考えることじゃないかと思います。ホテルというのは巨大な構造物ですので、たとえ通りに面して建っており、その通りにポータルがあったとしても当てがわれる部屋の位置関係で明暗が分かれることがあります。また、ホテルのWifiに接続していると現在位置が定期的に揺れることがあり、これで別の収穫を期待できる場合もあります。無事にレンジインする場合は、既にレベル7~8のポータルであるなら敵味方にこだわらず、ある程度の補給源として使用することが考えられますし、白ポや相手色なら丁度足りていないレゾネーターのレベル帯に合わせて自色ポータルに仕上げ、後はヒートシンクやマルチハックを上手く使って取り放題にすることもあります。これは今から歩き回る街のポータルの色がどちらに偏っているかによっても消費するアイテムの種類が変わってきますので、臨機応変な使い方が可能です。

 私が訪問した際の北見の市街地はほぼ青色一辺倒で、特に目立った多重CFはなく、ほぼほぼメッシュ状に満遍なくCFが埋まっているという状態でした。更に各ポータルを見てみますと駅に近い箇所はコモンシールドが1~2枚もしくはMODなし、駅から遠ざかるほど固いシールドがほぼ4枚入っているような傾向が見受けられました。従って駅前では地元民だけでなく他所からのお客さんが通ることもあり、断続的にある程度の攻防が見られるが、駅から離れた市街地の方ではあまり最近大きな変化は起こっていないだろうということが推察できます。これはその地域の双方の活動的なエージェントの比率が偏っている場合、もしくは極端な例ですが片方しかいない場合などによく見られます。前日に歩き回った函館も似たような傾向がみられましたが、街全体が観光地であり、人の動く範囲が広いことと外部からくる人間が多いこと、それにポータルの数がかなり多いため全体的にポータルも柔く、極端な偏り方はしていませんでした。ただし、私がポータルを焼いてキャプチャしていると地元の主と思しき方が2時間後くらいに丁寧に取り返して回っていたようですので、結局はこの「主」がどれくらいイカれているのかというポイントがかなり大きな影響力を持ちます。中には、自分オーナーのポータルが攻撃されたら枕元でパトランプが光って鳴るような仕組みでも導入しているんじゃないかと思うくらい光速で反応している方も時々見受けられます。純粋に怖いです。

 商店街や小さな通りをなるべく取りこぼさずに歩きながら確実にユニークハック、ユニークキャプチャを増やしていきます。さらにスキャンできそうな対象があれば合間の時間でスキャンもこなしていきます。不幸にもこの時期、ちょうどスカウトコントローラーポイントが一気に3増えるボラタイルマークが一斉に姿を消していましたので、あまりスキャンに対しては意欲が湧いていませんでした。あわせて、空腹を満たしてくれる店を検索します。こんな深夜に空いているのは飲み屋街近くのラーメン屋と相場が決まっています。思えば昨晩もラーメンでしたが、ラーメンとカレーはジャンルとしてその名称でくくられているものの、一つ一つが別の料理と言ってよく、毎日でも食えるのがいい所です。

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 今回入店したのはこちらのお店。店頭の看板に「北見のタマネギ使用!」と書かれていればもう躊躇う理由はありません。北見はタマネギの一大生産地です。玉ねぎ味噌ラーメン味玉トッピングを注文しました。さらにJAF会員証を見せるとトッピングが一品無料だというのでメンマを追加しました。温かい味噌ベースのスープに揚げ玉ねぎと煮込み玉ねぎが織りなすハーモニーは絶品の一言。メンマも歯ごたえ抜群、味玉も中までよく味が染みており黄身はちょうどいいトロトロ状態で大満足です。脳内に急に出現したヤバいSUSURUも満面の笑みで「コラ〜〜〜!」と言っていました。

 すっかり温まった体でラーメン屋を出た私はその元気でもうひと歩きするかと、さらに駅から遠い方向へ回り道を開始。結局日付を余裕で越えてしまい、体力の続く限り見える範囲のポータルを緑に染め上げて深夜2時過ぎにホテルへ戻りました。このままベッドに沈みたいところですが端末とモバイルバッテリーの充電だけは忘れてはいけません。過去にうっかりそのまま寝てしまい、そのまま朝を迎えて絶望したことも何度かあります。しっかりとコンセントに差し込み、シャワーを浴びてスッキリしてから布団へ潜り込みます。「北海道はデカいか何だか知らんが、行こうと思えばここまで行けるだろ」をコンセプトに据えた大移動の2日目がようやく終わりました。翌朝の起床予定は6時です。さすがにちょっと怖いので入念に目覚ましをセットして就寝しました。


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 2日目の移動経路は上図の通りとなりました。かなりいい感じに意図が不明ですね。まあ大体移動経路の意図が不明な場合「INGRESSなんで」で済むので便利ですね。

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 あわせて、2日目のINGRESS的な実績増加分です。北見も函館ほどのポータル密度ではないことや、移動の大半を特急列車で済ませたことから初日のような伸びにはなりませんでした。

■続きます

 長くなりましたがこれが全4日の行程中の2日目の記録となります。執筆ペースが遅くて申し訳ないですが3日目、4日目も盛りだくさんなのでなるべく早めに書き切りたいと思います。ここまで読んでくださりありがとうございました。
〜3日目に続く〜

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