見出し画像

JR北海道がイカれた切符を発売したので乗り潰しついでにINGRESSと観光してきました~④日目 人生は冒険旅行、ウィスキーと並行在来線を考える~


■ご挨拶

 皆さんこんにちは、お久しぶりです。お世話になっております。
INGRESSでは大阪エリアを中心に日本全国どこにでも現れるENLエージェント kizokuchan でございます。

 2021年11月の北海道紀行もいよいよ最終日の4日目です。仕事の合間に少しずつ書き溜めていたのですがもう2月終盤になってしまいました。その間に関東やら東北やら色々行く用事があったので、また書きたいことがたまり始めています。さらにINGRESSについて純粋に書きたいこともどんどん脳内に積もり始めています。文字という形でアウトプットする行動をもっと速く回していかないと、出力した結果との量の差が開くばかりです。旅行ライターの方は本業とはいえ記事の投稿頻度と鮮度が素晴らしく、尊敬するばかりです。

 4日目は札幌から函館本線を経由して函館へ向かい、そこから帰阪するまでの完結編です。初日の函館を除いてほぼ移動に費やした旅でしたが、ようやく観光めいたことをする時間がやってきます。結構長くなってしまいましたが、お楽しみください。

■まずは昨日のやり残し

画像1

 前日は遅くまでで歩いていたので念のため目覚ましをかけて就寝したところ、目覚ましが鳴る3分前に自然に目が覚め起床。体内時計ってのは恐ろしいものです。ひとまず、昨日時限ポータルに阻まれてやり残した18連ミッションの残り3つほどを完遂するべく、ホテルをチェックアウトして札幌駅へ向かいます。

 昨晩は届かなかった時限ポータルは、札幌駅の構内に入るとすんなりレンジインし、いとも簡単にハックすることが出来ました。そのまま札幌駅周辺を歩いて最後のミッションまですんなり完了。無事に18連ミッションのメダルアートが刻まれ一息つくことが出来ました。

■函館本線(札幌~小樽)

 本日最初に乗車する列車は札幌を7時5分に発車する普通列車小樽行きです。JR北海道の所有路線において、この小樽~札幌間と札幌から新千歳空港の間、それに隣駅の桑園(そうえん)から分岐する札沼線(学園都市線)が旅客の多い稼ぎ頭の路線となっています。とりわけ新千歳空港~札幌~小樽は快速エアポートが直通運転しており、北の玄関口と札幌都市圏および小樽を結ぶドル箱路線です。快速エアポートは毎時4~5本が運行されますが、半数は新千歳空港と札幌の間のみを往復し、小樽へ運転するのは毎時2本程度となっています。ただし、早朝と深夜には快速が運転しないため、普通列車で小樽へ移動することになります。その他、札幌~小樽間にある手稲(ていね)やほしみ止まりの普通列車が設定されていて、比較的本数の多い路線と言えます。

 函館本線の小樽~札幌間は北海道の鉄道史の始まりと言ってよい路線の一部で、1880年(明治13年)に官営幌内鉄道の路線として、手宮(てみや)ー南小樽―札幌が開通しました。その2年後には札幌から岩見沢、幌内(ほろない)へと延伸し、幌内炭鉱から出た石炭を小樽の港へ運んで出荷する役目を担いました。後に函館本線及び幌内線となります。時代が進んで幌内線は廃止となり、南小樽―手宮間の手宮線も廃止となりましたが、小樽の街中には手宮線の痕跡と鉄道資料館が遺り、鉄道と共に発展してきた北海道の歴史の一端を窺うことが出来ます。

 快速エアポートは札幌~小樽間のかなりの駅を通過するため小樽へは約30分で到着しますが、普通列車は基本的に各駅に停まるため、45分程かかります。この区間にも実は廃駅があり、小樽の少し手前に張碓(はりうす)という駅がありました。人口はほぼ皆無の地域ですがかつて近くに海水浴場があり、その利用客が居ました。海沿いの路線に張り付くようにしてできた駅であり、跨線橋もなかったため反対側のホームに渡る際は線路を跨いで歩いて行かねばならず、トンネルから出てくる列車の接近が分かりにくく列車の運行本数も多いため危険でした。20年ほど前に休止状態になり、2006年に正式廃止。ホームなどの設備は撤去されて跡形もありませんが、細長いスペースと海岸側の堤防にペイントされた駅名だけが、此処に駅があったことを今に伝えています。

■函館本線(小樽~余市)

画像2

 札幌から普通電車で45分、美しい運河とおいしい海産物の街小樽に到着しました。4番ホームでは昭和の大スター石原裕次郎が出迎えてくれます。本当なら少し街中を歩きたいところですが、次の列車まで15分程しかないためトイレや飲み物の補充が精いっぱいというところです。次の列車は小樽8時6分発倶知安(くっちゃん)行きです。

 函館本線が都市間輸送で高頻度運転を行っているのはこの小樽までで、ここから余市、倶知安、長万部方面は非電化となりローカル線の色合いが強くなります。札幌から函館方面の優等列車は現状全て室蘭本線周りで運転されており、このルートを「海線」と呼ぶのに対して、こちら函館本線の倶知安回りを「山線」と呼んでいます。山線には臨時列車を除いて特急は運転されていません。また普通列車の運行本数もガクンと減り、およそ1時間に1本がほとんど倶知安行きとして運行されています。

画像3

 倶知安行きの普通列車はH100形1両の運行でした。これは現時点でJR北海道の最新型車両であり、長年の御奉公でさすがに老朽化の限界を迎えつつある各線区のキハ40を置き換える目的で製造されたものです。現在ではこの山線区間以外に宗谷本線の端っこの方とか、石北本線の旭川近郊だとか、室蘭本線のほぼ全区間で見ることが出来ます。いずれ国鉄型のキハは淘汰されて、北海道のローカル線輸送の主役はこの形式が担うことになると予想されます。小樽を出発して25分ほどで、次の目的地余市(よいち)駅に到着しました。

■マッサンの街、余市

画像4

 余市は人口17,000人ほどの町で、小樽の隣の自治体です。札幌から伸びている高速道路が余市までは開通していますし、私が乗ってきたようにJRでも1時間に1本は列車が来ますので比較的アクセスの利便性は高いといえます。ニシン漁が盛んな地域であったり、会津藩士が入植した際にリンゴの栽培を始め、それが名産品になっていたりと色々ありますが、余市を語る上で欠かせないのがニッカウヰスキーです。創業者の竹鶴政孝は、スコットランドに気候がよく似ていると感じた余市で自分の夢であるジャパニーズウィスキー造りへの挑戦を始めました。

画像5

 余市の駅を降りるとさっそく駅前の道が「リタ・ロード」と名付けられています。この名前は竹鶴政孝の妻である竹鶴リタにちなんでいて、NHK朝の連ドラ「マッサン」では主人公亀山政春、妻エリーという名前でしたが、モチーフになったのが竹鶴政孝と妻リタでした。マッサンについてはガッツリ視聴したわけではなく所々観ていた程度でしたが、最終回あたりで私も妻も見ながらボロ泣きしました。今改めてちゃんと1話から見直している所です。

画像6

 リタロードを少し歩くとニッカウヰスキー余市蒸留所が見えてきます。重厚ながらもどこか優しさの漂う佇まいの建物です。今日はこのニッカウヰスキー工場を見学させてもらいます。見学は朝9時から30分刻みで15時まで受け付けていて、あらかじめインターネットで予約する形式になっています。各時間の上限人数はおよそ15人ほどで、見学日の3日前の朝9時から予約可能になっています。その予約が埋まっていく様はさながらコンサートのチケット争奪戦のよう。なんとか朝イチの枠を勝ち取ることが出来ました。

■北の大地の夢

画像7

 見学は完全予約制で、余市蒸留所内の施設をツアーガイドさんが説明してくれるのが30分程、そしてニッカウヰスキー余市の試飲時間が最大15分程です。見学は無料です。無料ですよ。無料で試飲までさせてくれます。入り口で受付を済ませて蒸留所敷地内へ入ります。そうすると早速マッサンの1話で見た景色が出迎えてくれます。丁度天気も良く、集合時間になるまで何枚か写真を撮りました。

画像8

 参加者が全員揃うまでは待合所で待つことになります。キャリーケースを持って歩いていたのですが、コインが返却されるタイプのコインロッカーが備え付けてありますので見学は手ぶらで行うことが出来ます。待合所の展示品も興味深いものばかりで、余市蒸留所で製造されたウィスキーのラインナップが、終売になったものも含めていくつか展示してありました。そうこうしているうちに集合時間となり、ガイドさんが挨拶と説明を始めました。説明が終わるといよいよ見学ツアーの始まりです。

画像9

 ガイドさんの案内に従ってついていくと、乾燥塔から説明が始まります。乾燥塔はウィスキーの原料である大麦を乾燥させるための施設です。ピートと呼ばれる泥炭や草炭を使って大麦をいぶしながら乾燥させていき、この時にウィスキー特有のスモーキーな香りが大麦につくことになります。国産の大麦は希少なので、最近ではこの行程を完了した大麦を輸入して使用しているそうです。

画像10

 次は蒸溜塔です。乾燥した大麦に温水を加えて酵素を活性化させた後、酵母を加えると大麦の中の糖分がアルコールに変わります。ここまではビールを作る時と同じ工程だそうです。その後、この蒸溜塔内にあるポットスチルと呼ばれる設備で加熱し、アルコール分だけを取り出します。塔内に鎮座しているポットスチルの大きさと迫力に圧倒させられます。

画像11

 しめ縄が巻いてあるのは、竹鶴の実家が広島で造り酒屋をしていることで、良い酒が造れるよう神に祈る風習が取り込まれたものだそうです。また、この蒸溜で加熱する工程はガスで加熱する方式が主流になる中、余市蒸留所では世界で唯一石炭直火蒸溜方式を守っているそうです。石炭で火力や温度を適切に調節するのは、おそらく蒸気機関車の投炭のような練度が必要になると思われますので相当難しそうですね。ポットスチルの形や、先端が上を向いているか下を向いているかでも、取り出せるアルコールの風味や強さなどの具合が変わるそうです。これが各蒸留所の造るウィスキーの個性になるわけですね。

画像11

 蒸溜によって取り出されたアルコールは無色透明ですが、樽に詰められ貯蔵されて熟成の過程を経る間に角が取れて味がまろやかになり、琥珀色へと変わっていくそうです。この寝かせる期間によってウィスキーの原酒が7年だとか10年だとか言われるものになります。ウィスキーやワインは木製の樽に詰めて貯蔵されますが、木製ですから完全に密閉されているわけではないので、木を通してアルコールが大気中に染み出していくそうです。年間およそ全体量の2~3%が失われて行きますので、10年で約2割減少、30年で樽の中身は約半分になってしまうんですね。この失われた分を「天使の分け前(Angels’ share)」と呼んでいます。天使持っていきすぎですよね。むしろ残った方を「人へのお残し」と呼んだ方が良いかもしれません。

画像12

 そうしてできたウィスキーの原酒を「ブレンダー」と呼ばれる味のエキスパート達が調合して、我々が口にするウィスキーは造られています。ニッカの初代マスターブレンダーは、もちろん竹鶴政孝です。一般に「シングルモルト」と呼ばれるウィスキーは、ひとつの蒸留所で製造された大麦の原酒だけを掛け合わせて造られています。ピュアモルトは複数の蒸留所の大麦原酒を掛け合わせたもの、シングルグレーンは一つの蒸留所の原酒ですが、大麦だけでなくトウモロコシや小麦などの穀物も蒸溜に用います。サントリーの「知多」が有名ですね。モルトとグレーンを混ぜたものはブレンデッドウィスキーと呼ばれます。また銘柄でよく聞かれる「〇〇7年」とか「〇〇10年」という表現は、例えば7年なら「少なくとも7年以上寝かせた」原酒のみをブレンドして造ったお酒、ということになります。きっちり7年のものだけを使用しているわけではないところがポイントです。

画像13

 その他、別箇所にあった政孝とリタが住んでいた旧竹鶴邸やウィスキーの研究をしていた建物などの説明を受け、ニッカ会館の2Fへ移動していよいよ無料試飲の始まりです。ニッカ会館の1Fは売店になっており来客は自由なのですが、2Fは完全予約制の試飲会場で関係者以外は入れません。ちょうど観光客のおじさんが1階のロビーにやってきて「4人で来たんだけど試飲行けるかな」と受付に尋ねていましたが完全予約制だとして丁寧にお断りされていました。

画像14

 コロナ禍での対応とあって、試飲の時間は15分を上限とし、おつまみなどの提供は無し。シングルモルト余市をストレート、ロック、水割り、炭酸割りの4つから飲み方を選んで提供して貰えます。ロックをお願いしてグラスに注いてもらい、それを持って席に着き、いよいよ試飲開始です。少し口に含むと、スモーキーな香りと力強い広がりを感じる味でした。これが石炭の力なのでしょうか。北の大地でたくましく育った強さというものを確かにそこに感じることが出来る味でした。乾きものが合わせられないのが残念でしたが、大切に味わって頂きました。

画像15

 余市を飲み終えた人は、余市特産のリンゴで仕込んだアップルワインをおかわりすることが出来ます。こちらもロック、炭酸割り、ストレートから飲みかたを選ぶことが出来ます。私は炭酸割りをお願いしました。北の大地でウィスキー造りを始めた竹鶴でしたが、ウィスキーは前述の通り製造と熟成に時間がかかります。つまり、操業開始して数年経たなければウィスキーの販売を開始することが出来ないので、その間は無収入となってしまいます。そこで竹鶴は余市の特産品であるリンゴを使ってジュースを作り、その収益でウィスキーが出来るまでの期間を食いつなごうとしたわけです。このとき興した会社が「大日本果汁」であり、これを略して「日果」、すなわち「ニッカ」の由来になっています。

 ちなみにお酒の苦手な人のために、シングルモルト余市以外にリンゴジュースかペットボトルのお茶も提供可能だとの説明が最初にありました。ウィスキーの製造工場まで見学に来ておいてウィスキーを飲まずにお茶で済ませる・・・そんな奴おれへんやろと思っていたら、試飲会場の少し離れたテーブルで美味しそうにウィスキーを飲む御婦人とその御婦人の友人らしき方、そして寂しそうにお茶を飲むおそらく旦那様の姿を見つけてしまいました。運転手ですね、貴方は本当に偉い。

画像16

画像17

 試飲を終えた人から解散になり、ニッカ会館1Fの売店で買い物をしたり、見学受付時に渡された見学券を提示することでまた蒸留所内へ戻って自由見学や写真撮影などをすることができます。まずは1Fでお土産を物色することにします。驚くことに、内地ではほぼお目にかかれない銘柄がここでは普通に売られていますし、蒸留所限定のウィスキーなどもあり目移りしてしまいます。無料試飲なんて太っ腹だなあと思いましたがここでそこそこのものを買ってくれるなら宣伝料としては安いものだということなのでしょう。シングルモルト余市をはじめとして、シングルモルト宮城峡、プレミアムブレンデッド鶴、そして限定商品が並んでいました。私はシングルモルト余市と、蒸留所限定の余市ウッディ&バニリック等を購入しました。リュックに詰めればかなりの重さになりますが、滅多に出会えないものですからここは迷わず買っておきます。

画像18

 買い物を終えたら見学券を提示して蒸留所内に戻ります。各施設をゆっくり見たり、人の居ない状態で写真を撮ったりしました。途中で次の時間帯の見学客の一団ともすれ違いました。当然、蒸留所内にはいくつかのポータルがあり、創業者の竹鶴政孝像を始めとして各建物がちゃんとポータル化されています。これらを丁寧にキャプチャ、スキャンして実績を伸ばしていきます。観光中にもINGRESSを忘れない、これが廃人エージェントの体に染みついた性でございます。

画像19

 蒸留所内には見学コースになっていない建物がいくつかあり、現在は使用しておらず中には入れないものが殆どなのですが、後で興味があれば立ち寄るよう案内された建物があり、それはニッカミュージアムという建物です。ちょうど2021年10月下旬にオープンしたばかりで、ニッカの歴史や商品ラインナップ、政孝とリタの出会いの物語、さらにはNHK連続ドラマ「マッサン」で使用された衣装や小道具なども展示されています。

画像20

画像21

 そして何と言っても「エクストラ試飲」とも呼ぶべき有料試飲のスペースが設けられていることが一番の驚きでした。竹鶴17年をはじめ、余市10年、鶴、そして目玉のシングルカスク余市などが1人2杯まで有料で試飲できます。シングルカスクとは一つの樽(カスク)から取り出された原酒だけで造られたウィスキーで、アルコール度数は通常のウィスキーよりも高めになります。この後の移動もあるのであまり強い奴は・・・という謎の言い訳を自分にしながら竹鶴17年と鶴を注文。温かい照明の部屋の中で存在感を放つ2つの琥珀色が私の前に運ばれてきました。それらを味わいながら飲み比べながら試飲。本当に幸せな時間でした。ニッカウヰスキー余市蒸留所、また是非とも訪れたい名所です。

■お昼ご飯もとりましょう

画像22

 余市蒸留所を満喫して余市駅方向に戻ります。いいお酒を飲んだのでかなり温まり、気分もいい感じでした。時刻は10時半を少し回ったところ。余市の出発予定は11時18分ですので早めの昼ごはんと洒落込みたいものです。が、駅前の飲食店の選択肢はそう多くなく、あったとしても11時若しくは11時半のオープンが殆どでした。実は余市蒸留所内にもレストランがあり一般の来客でも利用することが出来たり、昼の見学ツアーは食事付き有料見学ツアーなども設定されているのですが、時間の都合上今回は泣く泣く見送りました。駅前通りに美味しそうなエビ出汁のカレー屋さんがあり、基本テイクアウトなのですが店内で食べて良いか尋ねたら快諾して下さり、寒さをしのいで美味しいカレーを頂くことが出来ました。

画像23

 もう少し腹ごしらえをしておきたかったので、余市駅に隣接しているお土産コーナーで出来立てのアップルパイを購入しました。肉厚でしっかりとリンゴの甘みと触感を感じることが出来る逸品で、帰宅までそんなに時間がかからなければ4,5個買っていっても良いと思えるレベルでした。

■函館本線(余市~倶知安~長万部)、と存廃問題

画像24

 無事に胃袋も満たせたところで、移動を再開します。余市11時8分発の倶知安行きに乗車、列車はさっきと同じH100形の2両編成でした。小樽の手前、銭函(ぜにばこ)辺りからずっと石狩湾沿いを走ってきた函館本線とそれに並行する国道5号線ですが、余市で向きをほぼ南に変え、内陸へ突き進んでいきます。

画像25

 余市を出て約1時間で倶知安に到着します。倶知安は蝦夷富士の別名を持つ羊蹄山の麓に広がる街で、近隣にはニセコリゾートがあります。また北海道新幹線が新函館北斗から札幌まで延伸した際には、在来線と同一箇所に新幹線駅が出来る予定となっています。12時12分に到着して次の列車は12時35分発長万部(おしゃまんべ)行きです。少し時間があるので駅前を軽く回ってユニークポータルを回収します。

画像26

 ちなみに倶知安駅の時刻表はこの通りで、余市・小樽方面へはほぼ毎時1本小樽行きの運行が確保され、小樽から札幌方面への接続も図られていますが、逆にこれから進む長万部方向は1日に7本のみの運行でうち2本は途中の蘭越(らんこし)止まりとなるため、長万部まで抜けることが出来るのはたったの5本となります。仮にも本線を名乗る路線でこの運行本数の少なさは目を見張るものがあります。

 この記事を書いているのは2022年2月初頭なのですが、2月3日にニュースが飛び込んできました。北海道新幹線の札幌延伸時には、並行在来線となる函館本線の長万部~余市は廃止、余市~小樽間は存続について協議を継続するという内容です。整備新幹線の開通時の並行在来線の扱いとしては、大きく分けて①JRがそのまま運営、②沿線自治体で作る第三セクターに移管、③廃止しバスなどで代替、という選択肢がありますが、今回該当区間は③の廃止ということになりそうです。なお、整備新幹線の並行在来線が廃止になるのは、かの有名な信越本線横川~軽井沢間に続く2例目となります。

 JR北海道を取り巻く現状を鑑みると、新幹線を開通させてなお、過疎化の一途をたどるローカル線を運営する体力は無いということになるのでしょう。現実として倶知安から長万部方面の通し列車は1日に5本で、その旅客も気動車1台分で運びきれてしまうという現実があります。

 反対に余市~小樽間はそこそこの乗客があり、通勤通学の需要もそれなりの人口を抱えた町からは期待が出来るということだと思います。また北海道新幹線の新小樽駅は在来線の小樽駅とは離れた場所に建設されることから、小樽市街地の近くにある在来線駅と直通の路線が残ることの意味は大きいと考えられます。それにしても、路線を存続させるとなると沿線自治体からの補助金や協力は不可欠なものになると予想されます。

 ここからは私の考えになりますが、余市~長万部間の廃止はやむを得ない選択だと考えています。新たに新幹線が開通するので廃止になるという形を取ってはいますが、仮に新幹線が通らなくとも現状を見るかぎり存廃問題はそう遠くない将来に持ち上がってくることは間違いないからです。新幹線の駅が倶知安にできますので、新幹線駅を起点にニセコリゾートや周辺地域へのフィーダーバスを走らせ、鉄道よりもきめ細やかな交通体系を築く・・・といった新しい地域輸送の形が望ましいのではないかと思います。

 函館本線の山線区間の存在価値として、現在札幌から函館方面へのメインルートになっている室蘭回り、いわゆる「海線」の迂回ルートとしての位置づけがあります。実際、2000年に有珠山が噴火したときに室蘭本線が不通になり、旅客はおろか貨物列車の通行もできなくなりました。その際に札幌から函館本線の山線を経由して函館へ通り抜ける迂回ルートにて特急の運行や貨物輸送が行われました。しかし山線ルートでは線路容量の少なさや線形の悪さからどうしても函館まで時間がかかり、新幹線が開通した場合は長距離の旅客輸送はそちらに任せられますので意味のないものとなります。また貨物輸送に関しても、同じく線路規格の低さなどから重量級の機関車が満足に走れず、完全な迂回ルートとしては機能しなかったようです。今後有珠山が再び噴火するようなことがあれば、貨物輸送はトラックを主体とした陸路での輸送が代替のメインを担うことになるだろうと言われています。

 北海道新幹線が札幌まで全通した場合でも、東京から札幌へ向かう場合は東京~羽田空港~新千歳空港~札幌というルートの方が所要時間が短く、飛行機に軍配が上がります。しかし、大宮以北では羽田空港に一旦出る時間をキャンセルでき、乗り換えなしの新幹線で札幌まで行けるとなると利便性の面で十分対抗馬になりえます。また現在3時間以上かかっている函館~札幌間が1時間台で結ばれるようになり、新たな観光需要や人の流れが生まれます。札幌から函館へ日帰り旅行、またはその逆も簡単に出来るようになるわけですね。

 新幹線や高規格路線が開通すると、田舎の人口が都市に吸い上げられる現象が起きます。これはある程度は仕方のない事です。しかし、沿線の魅力や駅周辺の整備、情報発信などをしっかり行えばそれ以上の経済効果をもたらしてくれます。九州新幹線全通時には熊本や鹿児島は駅前の整備や観光資源に注力し、現在でも西日本からの観光客を継続的に獲得することに成功しています。これから開通する西九州新幹線や北海道新幹線の沿線自治体は、先に開業した路線の成功例・失敗例を見ながら、開業に向けて準備をしていくことが大事だと思います。

画像27

 倶知安からほぼ乗車率100%の列車に揺られること90分で、函館本線と室蘭本線の分岐点である長万部駅に到着しました。

■再び特急北斗(長万部~新函館北斗)

画像28

 長万部から函館方面は、初日の上陸時に函館から札幌へ向かう時に通っていますので、今回は早めの帰宅を重視して特急で移動することにします。もしもう1日か2日休日が連なっていて今回の切符をフルで活用できるようであれば、普通列車でゆったり周遊したり、通常は通らない函館本線砂原支線を回ったり、函館から道南いさりび鉄道で木古内まで行って竜飛崎付近を観光したり・・・なんて展望もありますが、ここはぐっと堪えてまっすぐ帰路につくことにします。まっすぐと言っても函館空港から普通に帰ったのでは面白くないので、新函館北斗から新幹線を乗り継いで大阪まで帰ることにしました。

 長万部は函館本線と室蘭本線が分岐する重要な駅で、全ての特急北斗が停車します。北海道新幹線延伸時には在来線に隣接して新幹線駅が出来ることも決まっています。かつては初日に廃線巡りをした瀬棚線が国縫駅から分岐しており、運行上の起点はこの長万部でした。しかしこの長万部町も過疎化の波は確実に迫っており、駅前は目立った商店やデパートもなく少し寂しい印象を受けました。長万部町の人口比グラフを見ると少し面白いことになっており、基本的には過疎化の一途をたどる地方都市のスタンダードである、老齢人口が多く働き盛りや若者が少ないという比率になっているのですが、18歳と19歳だけが突出して多くなっています。これは町内に東京理科大学の長万部キャンパスがあって、そこが全寮制なので住民票を移した学生が町民にカウントされているという訳です。寮生活は1年生時のみに限られるため、18~19歳だけが多いという現象が起きます。また、ここ2年はコロナの影響で長万部キャンパスは機能しておらず、学生は関東で講義を受けている状態とのこと。そのことも相まって駅前は閑散としています。

画像29

 ちなみに写真の通り、長万部を出る普通列車は函館本線下りの小樽方面が4本、上りの函館方面が6本、室蘭本線東室蘭方面が4本となっています。発車時刻を見ても利便性があるとはお世辞にも言えない状態で、基本的に特急を使いなさいという姿勢が透けて見えます。

画像30

 長万部には14時8分に到着し、次の特急北斗は14時35分発です。駅の改札を出て見える範囲のポータルを少し触ることにします。ついでに長万部の名物であるかにめしを購入することにしました。駅から歩いて5分程度のところにかにめし本舗があります。以前は長万部駅構内でも販売をしていて、特急の車内販売への積み込みもあったそうです。14時という微妙な時間にもかかわらず、敷地内駐車場には車が数台止まっていてかにめしを買いに来る客足は途絶えませんでした。私も順番を待って入店し、かにめしを一つ購入。来る時とは違うルートでユニークポータルを拾いながら駅に戻って特急を待つことにしました。

画像31

 14時35分発特急北斗の自由席に乗車、乗車率は3~4割といったところでした。早速かにめしを開封していただくことにします。カニのほぐし身を炊いたものがご飯に乗っていて、椎茸、錦糸卵、豆、梅干しが乗っています。通常イメージする「潮の味がするプリプリのカニ身」という感じではなく、あくまでカニ身を炊いた少しボソボソするほぐし身が乗ったご飯という感じでした。カニ乗せご飯というよりは、カニの炊き込みご飯と言った方が近いかもしれません。かつてはかにめしではなく長万部で上がったカニをそのまま茹でたものを駅で販売していてこれが大人気となり、車内には一心不乱にカニを剝く人の姿が見られ、カニの匂いが充満し、そこかしこにカニの殻が積まれていたそうです。その空間というのも文字列だけで見るとなかなか楽しそうですが、カニの匂いはけっこう強烈ですし食べ終わった殻の処理も大変だということで、それをもっと簡単に食べられるように開発されたのがかにめしというわけです。

 長万部から新函館北斗までは約70分ですが、北海道新幹線が延伸の暁には恐らく所要時間は半分程度になるでしょう。そうするとゆっくりかにめしを食べている時間もないかもしれません。碓氷峠越えの風物詩だった峠の釜めしを食べながら車窓を楽しんでいたのは昔の話で、今は高崎を出た北陸新幹線はすぐトンネルに入り、15分で軽井沢に着いてしまいます。列車内で景色を楽しみながら食べる駅弁というのは旅の楽しみの一つでもあります。新幹線になってもこれは変わることなく、これからも旅情を盛り上げるアイテムの一つであり続けて欲しいと思っています。

■快適に帰りたい

画像32

 特急北斗に乗って新函館北斗までやってきました。ここで4日間その効力をいかんなく発揮してくれた北海道パスのお役目は終了となります。真面目に全ての乗車券や特急券を買っていれば4~5万円にはなっていたであろう行程をたった12,000円でこなしてくれた今回の旅のMVPです。お得な切符は最大限活用し、その分立ち寄った町や観光地に積極的にお金を落とす。これが旅行者も沿線自治体も双方満足する結果なのだと思います。これからも魅力的な切符の出現を願うばかりです。

画像33

 新函館北斗からは北海道新幹線に乗車し、一路東京を目指します。少し時間がありますし、ここが北海道最後の立寄地となりますので、悔いのないようお土産や飲み物などを購入して長旅に備えます。新函館北斗駅は函館から18㎞ほどの位置にあり、元々は函館本線の渡島大野(おしまおおの)という駅でしたが、北海道新幹線の部分開業により在来線も駅名を変更しました。この時同時に特急北斗が全て停車するようになり、函館との間で新幹線接続用のシャトル列車の運行も開始されました。「北斗市」に位置する駅で、ダジャレなのか北斗の拳とのコラボ商品も多く、立派なケンシロウ像も設置されています。勿論ポータルになっています。

 さて、準備が整ったところで新函館北斗からはやぶさ号に乗車して東京を目指すわけですが、東京までの乗車時間が約4時間と長いのでなるべく快適に過ごしたいと思うのが人情です。幸いにして東北・北海道新幹線にはそんな方のニーズに応えるぴったりなサービスがあります。それはご存知・・・

画像34

 そう、グランクラスです。東北・北海道新幹線のはやぶさ号に使用されるE5系・H5系は10両編成ですが、基本的に全車指定席となっています。東京方面に向かって先頭車が1号車で、1~8号車は普通車指定席です。そして9号車がグリーン車指定席、最後尾の10号車がグランクラスとなっています。ちなみにE5系がJR東日本所有でH5系がJR北海道所有の車両です。内装や機能はほぼ同一で、車体横のラインがピンクかラベンダー色かで見分けることが出来ます。

画像35

 グランクラスはいわば「陸のファーストクラス」とも呼べる豪華な設備とサービスが売りで、新幹線の1両分を使って座席は2人掛け+1人掛けが6列のなんと18席のみ。しかもバックシェル付きシートで背もたれ・座面・レッグレストが手元のボタンで電動リクライニング可能。さらにソフトドリンクとアルコールが飲み放題で、軽食とおつまみ・茶菓子まで付いてきます。編成の端にあり、グランクラス利用者以外は立ち入り不可となっています。実は新幹線や特急や関東圏の一部長距離列車に設定されているグリーン車も、本来はグリーン券を所持した旅客しか立ち入ることは出来ず通り抜けも出来ないのですが黙認されているというのが現状です。

■「きっぷ」のあれこれ

 ひとくちに「きっぷ」といっても、実は厳密にそのサービス内容というのは細かく定められていて、位置づけも異なっているものなのです。例えば通常、近距離で購入する「きっぷ」というのは、厳密には「運賃」に相当するもので、特急や新幹線に乗車する場合は「乗車券」という切符がそれに該当します。これはある駅から運賃分の距離にある駅までお客様を運びますよ、という輸送契約に基づいてお金と輸送サービスを交換しているものになります。

 次に特急や新幹線に乗る時に必要な「特急券」です。これは先ほどの輸送の対価として支払われる「運賃」に対して「料金」と呼びます。自由席特急券や指定席特急券がそれにあたります。これは「速達サービス」という付加価値の対価と考えられるもので、要するに「通常よりも速く目的地まで運ぶ列車に乗せてあげますよ」というサービスの対価です。自由席特急券は特急の自由席に座れる速達サービスの料金で、指定席特急券は自由席特急券にいくらかプラスすることで速達列車の着席が保証されるというサービス、という解釈になります。

 では「グリーン料金券」はどうなのかというと、これは運輸契約や速達サービスではなく、いわば「快適な移動」をサービスとして提供していることになります。つまり「グリーン車」というワンランク上の座席が提供されるのでその料金を払ってね、ということなのです。旅客営業規則的では「特別車両料金」と呼称されます。グリーン車はその空間自体が快適な移動空間サービスとして定義されていますので、グリーン券を持っていない人は入ってはいけませんよ、ということになっています。通常、グリーン料金券はその性質から指定席であることが殆どで、その指定料金も内包されていますが、東海道線など関東圏の中距離列車のグリーン車は「グリーン自由席」という位置付けで、グリーン料金を払ってあとは空いた席に座れるというルールになっています。仮に満席で座れなくてもグリーン車内で立っている場合グリーン料金が必要になるのは上記の理由に拠ります。

 このように、一口に「きっぷ」と言ってもそのサービス内容や意味合いは異なっているので、必要なサービスに応じて運賃+各種料金のきっぷを購入する必要が出てくるわけです。災害や事故などで特急が遅延した場合、JRでは目的地へ2時間以上の遅延をした場合特急券を全額払い戻す決まりになっています。乗車券は払い戻しません。これについても、ある駅からある駅へ乗客を「輸送する」という行為はたとえ時間がかかっても果たしたので、運賃分のサービスは完了していることになります。しかし「目的地へ通常より早く運んであげますよ」という速達サービスは果たせなかったので、特急料金のみを払い戻すという理屈なのです。勿論、これから乗る列車が既に大幅に遅延している場合は「旅行の中止」という、移動自体を全て取りやめることを申し出ることで乗車券も特急券も手数料なしで払い戻してもらえる場合があります。

 新幹線のきっぷについても、基本的には運賃分に相当する「乗車券」と、速達サービス分にあたる「新幹線特急券」を組み合わせて使用します。グリーン車に乗る場合は「グリーン券」を購入しますが、グリーン料金には指定席分の料金が内包されていると解釈されていますので、内訳は自由席特急料金+グリーン料金の合算で発行されます。

 さらに、特急券については各会社分の特急料金を払う必要があります。どういうことかと言いますと、異なる鉄道会社を跨いで乗車する場合には、その2社がそれぞれ定める特急料金を支払う必要があるという訳です。首都圏や都市圏におけるJRや地下鉄や私鉄の他社直通列車に乗ると、2社分の運賃を支払う必要があるという想像してもらうと分かりやすいかもしれません。ここで言う「異なる鉄道会社」とは、同じJRグループであっても北海道と東日本では別会社だということです。

 東海道・山陽新幹線はそれぞれJR東海とJR西日本の所有路線ですが、国鉄という日本全体で一つの国有鉄道時代に完成していますので、その際定められた計算方式を踏襲しており、特急料金は一つの路線として通しで計算されるよう設定されています。ただしJR分社化後に開通した九州新幹線まで通して乗車する場合は、博多から先の九州新幹線分の特急料金が別途加算されることになります。また北陸新幹線は路線名としては一つですが、高崎~上越妙高はJR東日本が、上越妙高~金沢はJR西日本が運営しており、これらを通しで乗車する場合には2社分の特急料金が必要なのですが、両社の協議により従来の距離別特急料金に対して、境界駅である上越妙高をまたいで乗車する場合は加算料金を上乗せするという方法が採られています。

■でも、お高いんでしょう?

 では北海道・東北新幹線はどうかと言いますと、新青森を境にJR東日本とJR北海道できっちりと料金体系が分かれており、通しで乗車する場合は2社分の特急料金を単純に合算することになります。ただし、指定席は列車内の1席を指定する料金という意味合いがありますので、合算した特急料金だと二重取りになるため、合計額から530円が差し引かれます。

 ポイントはこの「2社がそれぞれ定めた特急料金を合算した額になる」というところでして、これはグリーン車に乗車する場合やグランクラスに乗車する場合に必要なグリーン券にも適用されます。さらに新青森で乗り継ぐ場合は「2社分のグランクラス料金からそれぞれ1,050円を差し引く」という乗継割引的なルールがあります。具体的な金額で説明しますと、北海道新幹線区間である新函館北斗から新青森までのグランクラス料金は8,040円です。そして東北新幹線区間の新青森~東京のグランクラス料金は10,480円です。単純に足すと18,520円ですが、先述のルールの通りここから各社1,050円ずつの計2,100円が差し引かれます。すなわち、

・8,040+10,480-1,050×2=16,420

つまり、新函館北斗~東京をグランクラスで通し乗車すると16,420円のグランクラス料金がかかります。

 「えっ、結構安いじゃん」と思った方に耳寄りな追加情報です。上記ではじいたのはあくまで「グランクラスを利用するための追加料金」なのです。実際に新幹線で移動するためには「乗車券」+「特急料金」+「グランクラス料金」が必要となります。新函館北斗~東京の乗車ですと購入が必要なきっぷの合計額は以下の通りとなります。

・乗車券:12,100円
・特急券:10,800円
・グランクラス料金:16,420円
合計:39,320円

 とまあ、JALやANAの新千歳~羽田間の通常運賃と似たような額になってしまうんですね。私はそのあと東京から東海道新幹線に乗って大阪まで帰りますので、乗車券は新函館北斗~大阪市内という風に買いますが、東海道新幹線の特急券はもちろん別途必要です。北海道内を4日間縦横無尽に飛び回る移動費が12,000円のきっぷと5,000円程度のレンタカー代で済んでいたのに、函館から贅沢をして大阪まで陸路で帰ると約5万円というのはシャレになっていません。なんとか少しでも安くできないかな・・・と考えてしまいます。

 帰路に必要な各種料金を眺めていて真っ先に目につくのがグランクラス料金です。ここを妥協してグリーン車か普通指定席で帰れば2万円近く節約できます。でもせっかく北海道から時間をかけて陸路で帰るのだし、極上空間は味わいたい。ここは外せません。しかし一番金額が目立つのも事実です。コストカットは大きめのところからやる、というのは基本中の基本です。

■安く乗りたいんや・・・

 北海道・東北新幹線のはやぶさ号で新函館北斗~東京を乗り通すと約4時間かかります。そのうち、新函館北斗~新青森は約1時間、新青森~東京が3時間です。ここで、先ほどのグランクラスの料金と乗車時間を比較してみましょう。

・新函館北斗~新青森:約1時間、8,040円
・新青森~東京:約3時間、10,480円

 う~ん、費用対効果で考えるとやっぱり北海道新幹線のグランクラスは割高だなあ・・・と思わせるには十分な落差です。確かに北海道新幹線は出来たばかりですし、JR北海道の経営体力から言っても積極的に建設費を回収していかなければなりませんからしょうがないといえばしょうがない。JR東日本という優良企業の料金設定が安すぎると考えることも出来ます。しかし乗客側からすればこの差はあまりにも大きいと思ってしまうのも事実。

 そこで、新函館北斗から新青森までは普通車指定席に乗車して、新青森からグランクラスに乗車するといくばくか安くできるのではないか・・・という考えが湧いてきました。新函館北斗から新青森までの指定席特急券は4,530円です。はやぶさ号には自由席がありませんからこれが通常購入できる最低料金の特急券ということになります。通常と申し上げたのは、全車指定席の特急や新幹線で指定席が満席になった場合、どうしてもその列車に乗車して移動したい客のために「立席(たちせき)特急券」という特急券が発売される場合があるからです。立席特急券が発売される条件は、当該列車の指定席が満席になっていることで、料金は指定席特急券の530円引き(自由席特急料金と同額扱い)となっており、発売枚数が限定されています。立席特急券は読んで字のごとく「満席だけど立って乗っていくなら乗せてあげてもいいよ」という感じのきっぷですが、実際には普通車指定席の空席なら座っても良いことになっていて、その指定席券を持つ乗客が来たら席を譲る決まりになっています。北海道新幹線直通のはやぶさ号において北海道区間で指定席が満席になることは年末年始等を除いてほとんどないため、滅多に発券可能になることはなく、今回も望み薄と言ってよいでしょう。

 2社通し乗車でグランクラスを乗り継ぐわけではないので先述の1,050円×2の割引はなくなりますが、グランクラスを1時間だけ我慢すればかなり安く抑えることが出来そうな感じになってきました。具体的には、

①全線通しでグランクラスに乗った場合の特急料金
・全区間の通し特急料金:10,800円
・北海道区間グランクラス:8,040円
・東日本区間:グランクラス:10,480円
・グランクラス乗継割引:△2,100円
合計:27,220円

②新青森まで普通指定席、新青森からグランクラスの場合の特急料金
・北海道区間の指定席料金:4,530円
・東日本区間の特急料金:6,800円
・東日本区間のグランクラス料金:10,480円
合計:21,810円

と、ざっくり5,000円程度の節約になります。今回はこの購入方法で行くことにしました。ですので、新函館北斗駅から使用するきっぷは以下の通りとなります。

・新函館北斗~新大阪の乗車券(東海道新幹線分の特急券は後ほど購入)
・新函館北斗~新青森の新幹線指定席特急券
・新青森~東京の新幹線特急券およびグランクラス料金券

 これらきっぷのうち、乗車券とグランクラス券については大阪を出発する前に購入済みです。グランクラスは1編成に18席のプレミアム席ですので、使い勝手の良い時間帯の列車だと埋まってしまう場合もありますから旅行日程が決まった時点で早めに押さえておくのが常套手段です。新函館北斗~新青森に関しては、まずないと思うのですが当日満席になっていて立席特急券を発券可能な可能性に賭けて当日購入の予定としていましたが、案の定全く指定席は埋まっておらず、普通に指定席券を購入して乗車することにしました。

 北海道・東北新幹線の稼ぎ頭は東京圏~仙台・盛岡であり、あるデータですとここだけで乗客の7割を占めているそうです。つまり盛岡までに半分以上の客が降りてしまい、函館までは乗車率3~4割ということになるんですね。その逆方向も然りで、函館や新青森発の東京行き列車の指定席が埋まり始めるのは盛岡や仙台を過ぎてからということになります。これは長距離路線では当然に起こり得ることで、例えば東海道新幹線であっても東京~博多を乗り通す旅客の割合は少なく、大半が東京~新大阪であったり、名古屋までであったり、もしくは名古屋や新大阪から岡山・広島・博多という区間輸送が組み合わさって高乗車率高頻度輸送を実現しています。

■さらば北海道(新函館北斗~新青森)

画像36

 16時20分。いよいよ新しい北の玄関口である新函館北斗駅を出発し、北海道に別れを告げます。新函館北斗駅は現在のところ相対式2面2線で、将来的には札幌方面行ホームが島式2線に拡張できるよう準備がされています。線路はホームから少し先で途切れており、ちょうど成田スカイアクセスが開通する前の印旛日本医大駅のような印象を受けます。

 新函館北斗を出たはやぶさ号は北海道最南端の駅である木古内(きこない)に停車します。かつては函館の五稜郭駅からここまで江差線がJRの在来線として走り、その先は津軽海峡線として青函トンネルで青森に向かう路線と、江差線の末端区間として江差までのローカル線が分岐していました。北海道新幹線が部分開業する少し前に江差線の末端区間は廃止となり、五稜郭~木古内は並行在来線として第3セクターの道南いさりび鉄道に移管、木古内から先は北海道新幹線と在来線貨物列車のみの運行となりました。

 木古内を出た新幹線はそのまま南下し、かつて本当の北海道最南端の駅であり、現在では信号場になった旧知内(しりうち)駅を通過するとやがて青函トンネルに入ります。先ほどの木古内駅から青函トンネルを通って本州側の青森県にある信号場までは、新幹線と在来線が同じ線路を走ります。元々青函トンネルは北海道新幹線の開通を想定してサイズが設計されていて、在来線の軌間(線路幅)1,067㎜の外側に新幹線用の軌間1,435㎜の線路が敷設できる準備がされていました。具体的には、片側のレールを在来線と新幹線が共用し、そこから1,067㎜幅で在来線用の線路が一本、1435㎜幅で新幹線用の線路がもう一本、という具合に「三線軌条」という方式で敷設されています。

 北海道新幹線開通前の青函トンネルは、函館~青森間連絡特急のスーパー白鳥をはじめとして、少し昔には快速「海峡」が走り、また最後の夜行急行であった「はまなす」や、寝台特急の「北斗星」「カシオペア」などが行き交っていました。とくに急行「はまなす」は札幌を夜22時ごろ出発し、千歳線と室蘭本線を経由して長万部から函館に到着、そこで長時間停車の間に青函トンネル通過用の機関車に付け替えて函館を出発、青函トンネルを抜けて朝6時前に青森に到着するというダイヤでした。札幌圏では室蘭方面に向かう最終の速達列車という側面も持っていましたし、明け方青森につけば新青森まで移動して始発の新幹線で東京まで戻ることが出来ました。座席の種類も多岐にわたり、ごく普通の自由席があり、特急列車のグリーン席を転用した普通車指定席車両、2段式のB寝台車、車両進行方向に対して垂直に頭の部分だけ仕切ってあるカーペットカー(通称:ゴロ寝シート)があり、特にゴロ寝シートでウトウトしながら丁度青函トンネルを抜けたころに窓から夜明けの光が差し込み、「ああ本州に入ったのか」と感じる瞬間がたまらなく好きでした。

 青函トンネル内にはかつて2つの駅があり、北海道側に「吉岡海底駅」、本州側に「竜飛海底駅」がありました。いずれも定期列車は停車せず通過するのみで、主にトンネル内で車両トラブルなどがあった際の地上への脱出口として設けられた駅でした。イベント列車などが運行されて駅のホームに降り立つことも出来ましたが、地上までは抜けられずそのまま列車に戻る決まりでした。現在でも駅としては廃止されましたが、それぞれ「吉岡定点」「竜飛定点」として前述の非常時脱出ルートのような機能は残されています。青森側の竜飛岬付近には青函トンネル記念館があり、斜坑エレベーターを使って竜飛定点の近くまで降りることが出来ます。また近くには有名な「階段国道」や、ボタンを押すと大音量で「津軽海峡冬景色」の2番が流れる記念碑などがあり、アクセスは少々難儀なのですが行ってみると色々面白い所です。

 青函トンネルを抜け、本州に入った新幹線は奥津軽いまべつ駅を通過します。奥津軽いまべつ駅は元々海峡線の津軽今別駅でしたが、新幹線の開業時に改称し新幹線のみの駅となりました。近くには津軽線の津軽二股駅があり、在来線時代より運賃は打ち切り計算となりますが乗り換えが可能となっています。奥津軽いまべつ駅を通過すると信号場があり、ここで三線軌条は終了して海峡線と北海道新幹線は別線路に分かれていきます。津軽線は海沿いへ出て海岸に沿って走りますが、北海道新幹線はほぼ真っすぐ南下して新青森を目指します。

■お待ちかね、至高の空間(新青森~東京)

画像37

 新函館北斗を出てちょうど1時間、17時20分に新青森駅へ到着しました。10両編成の8号車、つまり指定席のほぼ一番後ろの席に座っていた私は、キャリケースを持って後部車両へ移動を開始します。目的地は10号車のグランクラスです。今回は幸いにも1人掛けの最後尾の席が確保できたので、もうこの時点でワクワクした気持ちが抑えられなくなっています。

 重厚に見えるグランクラス席への入り口を開けて指定された席に着きます。同時に17時22分、はやぶさ号は新青森のホームを離れ始めました。グランクラスの席は身長が180㎝以上ある人権の塊のような私でも足を楽々伸ばせるほどシートピッチが長く、専用のスリッパとブランケットも備え付けられていて油断するとすぐに気持ちよくなって寝てしまいそうな居心地のよさでした。ほどなくしてグランクラス専属のアテンダントが車内に挨拶をして回り、おしぼりを配ってくれます。このおしぼりもグランクラスのロゴ入りの袋に入っていて、おしぼり本体もかなり分厚くていちいちずっしりしたやつを渡してくれて「これがグランクラスおしぼりか」と圧倒されます。

画像38

画像39

 小腹がすいていたのでさっそく軽食をお願いしました。和軽食と洋軽食から選ぶことができ、しかもグランクラスが設定されている路線ごと、さらにその上りと下りでメニューが異なっています。私は毎回和軽食を頼むことにしています。小さめの膳ながら色々丹精込めて作られた料理の数々を一つずつ堪能していただくことが出来ます。私は旅館に泊まった際などの夕食でも、横に長い献立表を見ながら「これはどの料理かな」と1個1個楽しみながら食べるタイプでして、さらにそこへ地酒がやってくるとこれはもう小料理の一品一品がそのアテとして成立するわけですから楽しくないはずがありません。地酒を頼んだ際におつまみの柿の種と焼き菓子もついでに頂いておきました。グランクラスは本当に至れり尽くせりです。

画像40

 ひととおり軽食を食べてファースト日本酒を飲み終えたら、今度はウィスキーを頼んでみます。吉田茂が愛飲したというオールドパーの小瓶と、氷の入ったグラスが出てきます。グラスにもグランクラスのロゴが入っていて特別な旅の気分を盛り上げてくれます。この4日間、基本的に何かの駅やバス停に停まるたびにINGRESSを確認してはポータルをいそいそと触っていたわけですが、新青森を出たはやぶさ号は盛岡までノンストップ、その次は仙台、そして大宮とほぼ1時間おきにしか停まらない飛ばしっぷりなわけで、しばし細やかな作業を忘れて贅沢なひと時に浸ります。グランクラスは本当に至れり尽くせりです。

画像41

 そうこうしていると列車は盛岡に到着しました。一旦一人プチ宴会を切り上げておもむろに車外のホームへ出ます。盛岡では約7分間停車します。この間に何が行われるかというと、秋田新幹線こまち号がやってきてはやぶさ号の後ろに連結する作業があります。新幹線車両の連結器は空気抵抗を減らすために通常はカバーで覆われていて、連結時にカバーが開いて出てくる仕組みになっています。盛岡駅でのはやぶさ号とこまち号の連結はなかば名物化していて、連結部分には沢山の見物客が群がります。基本的にこういう場合は未来の鉄道少年に一番いい場所を譲ることにしていますので、少し離れたところから連結の様子を見守ります。やがてこまち号が後方からやってきて、連結一の少し手前で止まります。その後ホーム上にいる係員と無線で連絡を取り合いながら、少しずつ距離を詰めてゆっくりと連結します。この時如何に衝撃なく丁寧に連結を完了するかが運転士の腕の見せ所なんだと思います。無事連結完了を見届けてすこし冷たい風にあたることも出来たので、再び車内へ戻ります。

画像42

 盛岡を出ると再び約1時間ノンストップで走り、次の停車駅は仙台です。
もう少しいい気分になりたかったので別の日本酒をお願いしました。またグランクラスの車両に車内販売のワゴンはやってきませんが、アテンダントに頼むとメニューを持ってきてくれるので、席から注文をすることが出来ます。言い方は悪いですが要するにアテンダントさんにパシってもらうことが出来るわけです。そこで仙台名物牛タンのジャーキーを注文。5分程でワゴンから取り寄せてくれて、お金を払って受け取り完了です。ちなみに頼めばアイマスクや新聞も持ってきてもらえます。グランクラスは本当に至れり尽くせりです。

 盛岡を出て30分程、既になかなかの量のアルコールといい感じの満腹感に支配され、継ぎ目が少ない線路を快走し丁度良い揺れを繰り返してくる新幹線と、そして包み込むように柔らかく大きいグランクラスという座席のゆりかごの中で私の意識は途絶えようとしていました。しかし寝落ちする前にやっておかなければならないことがあります。それはグランクラス専用グラスの注文書をもらうことです。

 グランクラスで供される飲み物に使用されている日本酒・ワイン用グラスとハーブティー等を入れるドリンクグラス、これらの同じものを2つか、それぞれ1つずつかというセットがあり、通販で購入することが出来ます。その注文方法は、グランクラス乗車時にアテンダントにお願いすると注文用紙を持ってきてくれるので、必要事項を記入して帰宅後に注文する形態です。つまり、グランクラスに乗車した客のみが記念に通販を利用できるという仕組みなのです。ちなみに乗客に配られるメニューや車内販売などには記載されていませんので、知る人ぞ知る裏メニューというか裏技というか、そういう感じの位置づけのアイテムになっています。

 以前、初めてグランクラスを利用した際、それが丁度グランクラスのサービス開始1周年ということで、利用者に記念品として日本酒グラスを1つ配っていて貰うことが出来ました。これがなかなかにオシャレでどうしてもペアで揃えたいと思っていたので、この際絶対に注文用紙を持ち帰ろうと決めていたのです。アテンダントさんに尋ねてみると確認して参りますという返答。裏メニュー的な性質もあってか、どうやら恒常的にあまり出るものではないようです。ほどなくして注文用紙を無事貰うことが出来ました。

画像43

 そして、もはや殆どのグランクラス具合を満喫したと言っていい状態になった私は、個別可動するリクライニングをいい感じに調整し、靴を脱いでスリッパに履き替えて脚をめいっぱい伸ばし、ブランケットに身を包み、アイマスクで目の前を真っ暗にして、トドメにヘッドホンを装着して穏やかめな曲のプレイリストを流し、極上快適おやすみ空間の完成をみました。そうしてほどなく眠りに落ちてしまい、次に目が覚めたのは上野駅に到着する手前くらいの地点でした。ちなみにグランクラスのアテンダントさんは、停車駅到着前にアナウンスをしてくれて、しかもその駅で降車予定の客に恭しく挨拶までしてくれます。本当に至れり尽くせりです。

 新青森乗車時点で18席満席だったグランクラス車両は、大宮までに3分の1程度の客が降りたようで、東京到着時には10人程度が乗車していました。新函館北斗から約4時間、20時32分に東京駅に到着して快適空間の旅は終わりました。

■ここから先は庭のようなもの(東京~新大阪)

 さて、東京駅に着いたらあとはお馴染み東海道新幹線で新大阪まで帰るだけです。ここまで来るともう日常の行動範囲のようなもので、いよいよ帰って来たなという感じがします。同時に、ここからの2時間半は特に新鮮味もなく、しかもさっきまで豪華車両に3時間も乗っていたギャップにやられることは覚悟しなければなりません。

 乗車券自体は新函館北斗から新大阪まで通しで買っていますので、あとは東京~新大阪間ののぞみ号に乗るための指定席特急券を購入すれば良いだけです。通常、東京新大阪間の指定席特急券は5,810円ですが、ビジネスマンであればこれを真面目に購入する機会の方が少ないといえます。なぜなら、この区間には便利な回数券やお得な割引制度がふんだんに存在しているからです。

 よくあるパターンとしては金券ショップで回数券のバラ売りを購入する方法です。片道辺り1,000円程度お得になると思います。また、「エクスプレス予約」を利用してEX-ICで乗車すると指定席なら片道1,100円程度得な上に、グリーン車にグレードアップできるポイントが溜まります。しかしこれらはあくまで東京と新大阪の間で移動が完結する場合にお得なのであって、今回のように範囲外から通しで移動する場合にはあまり有効ではありません。

 こういう場合にはエクスプレス予約内の「e特急券」を利用します。これは東海道新幹線区間の特急券のみを購入できるお得な制度で、東京~新大阪区間であれば通常5,810円の指定席特急料金が900円引きの4,910円になります。しかも手持ちのスマホなどで簡単に座席位置まで予約でき、指定列車の発車4分前までであれば何度でも乗車列車や座席の変更が可能な優れものです。特急券は指定席券売機やEX予約専用発券機で受け取ることが出来ます。

 20時32分の東京到着前に、はやぶさ号の車内で手早く座席予約を済ませて東京駅のホームへ降り、発券機で指定席特急券を受け取って東海道新幹線のホームへ。20時42分発の東海道新幹線のぞみ号にのって、いよいよ最後の移動区間です。ちなみに東海道新幹線でゆったりくつろぎたい場合は言わずもがなグリーン車がお勧めですが、そこまで贅沢は出来ないという方には「特大荷物スペース付き座席」がお勧めです。名前は仰々しいですが、要は車両最後尾の座席の事です。外国人観光客などがバカでかいキャリーケースを持ち込むので、一定以上のサイズ持ち込む際は事前にこの席を予約してね、乗車後に発覚した場合は追加料金とるよ、という制度になりました。以前妻と実家に帰省するとき、わざわざ最後尾の二人掛け座席を予約したのに、乗車時には既に後ろのスペースに子供が2人詰め込まれているのではないかと思うようなでっかいキャリーケースが積まれていて、全く座席が倒せずに不快な思いをしたことがあります。そう考えると大変ありがたいシステムです。

 特大荷物スペース付き座席は通常の指定席とは別のカテゴリで予約するようになっていますが料金は同じです。しかし別に特大荷物が無い場合でも予約してはいけないということではないので、後ろに気を遣うことなく座席をめいっぱい倒したい乗客の間で日々争奪戦が繰り広げられています。むしろ簡単に最後部の座席を指定できるので便利になっているとさえ思います。また車両最後尾であれば確実に車端部壁にコンセントが人数分付いていますので、窓側だろうが通路側だろうが充電口が確保されます。

 そんなわけで、3人掛けの窓側最後尾を無事確保したのですが車両全体の乗車率は4割程度といったところ。もちろん品川や新横浜で多少の乗車はあるのでしょうが、やはり客足は少し減っているようでした。実際、新横浜についても隣はおろか3人掛けの通路側にも乗客が座って来なかったため、これはしめたと思いゆったりとくつろぎながら一路大阪へ向かいました。

 時刻は既に22時を回り、基本的には殆どの乗客が移動疲れなのかみな黙ってスマホを眺めるか眠りこけている静寂で救われた車内環境のまま、列車は名古屋を過ぎ京都を過ぎ、そして新大阪へ向けて走り出しました。ローカル線などに乗車したとき聞こえてくる地元の学生の会話や地域の方のおしゃべりなどは環境音として許容できるのですが、新幹線など長距離移動はいつもこのように静かで救われた空間であってほしいと私は常願っております。コロナ禍で良かったことというとおかしな表現になるのですが、私からすると老人会の集団旅行や外国人観光客の波が途絶えて静かな移動空間や落ち着いた観光地になったことは喜ばしいことです。もちろん交通事業者や観光地の方々は収入が落ちているでしょうからたまったものではないことは理解していますが、やはり外国人観光客向けに阿漕なことだけやっていた観光地や店舗は軒並み元気が無いのも事実です。これを機にインバウンドや金を持っている高齢者頼りの観光一本だけではなく、今流行りの「持続可能な」を前提にした観光の形態について考え直す良い契機ではないかとも思います。

 以前東京から出張帰りでのぞみ号に乗り大阪へ向かっていた時の事ですが、品川から老婦人方の大所帯が乗車してきて、3人掛けの席を回して向かい合わせ6人で鳥小屋のような騒音を新大阪まで提供してくれたことは今でも忘れられません。しかもその会話の内容が、品川で買った駅弁がどうだこうだ、貴女の方がお茶が冷えているだの本当にしょうもないことで辟易するばかりでした。グループの一人は品川を発車してすぐ弁当を開け、幕の内弁当を買っていたようでしたがしきりに隣の人の弁当を指さして「アタシもシウマイ弁当にすれば良かったわぁ」と車内の全員に後悔の念を伝えてくれる始末。比較的ゆっくりめに走る新幹線が多摩川を過ぎて神奈川県に入っても「シウマイの方が良かったかしら」。新横浜を出てもう熱海の海が見えようかという時点でも「やっぱりシウマイ弁当のほうがいいわねぇ」と。あまりに五月蠅いので新横浜駅からシウマイ弁当を取り寄せて投げつけたい気持ちになったのをよく覚えています。コロナ禍によって浸透した風習の一つとして、「必要以上の大声で喋らない」というマナーがあり、これは事態が鎮静化しても続いて行って欲しいなと思っています。

 京都を出た新幹線が鳥飼の車両基地の横を通り、大阪モノレールの下をくぐってダイキンの大きな工場が見えてくると徐々にスピードが落ちはじめ、AMBITIOUS JAPAN!のチャイムが鳴って到着のアナウンスが流れ始めます。2時間半の慣れた旅、どこかから東京へ戻って、そして大阪へ帰ってくるいつものルートの終了を告げるチャイムです。23時12分、定刻通りに終着駅の新大阪に着いて長い長い北海道周遊の旅は無事に完了しました。途中多少のイレギュラーも発生しましたが、おおむね予定通りに移動が出来てユニークポータルも沢山拾えて、そしてちょっとした観光もグルメも堪能出来て大満足でございました。

■では、総括です  

画像44

 最終日4日目の移動経路は上図の通りとなりました。朝方に札幌を出て余市で観光、山線経由鈍行で長万部まで行って特急に乗り換えて新函館北斗へ、そこから新幹線で東京を経て大阪へ。札幌を出たのが朝の7時で、観光こそしたものの鈍行で6時間以上かけてやっと函館に着く一方、新函館北斗を出たのが16時過ぎで、そこから日付の変わらないうちに大阪まで移動できるのですから、新幹線がいかに速くて便利かということが如実に分かりますね。

画像45

 あわせて、4日目のINGRESS的な実績増加分です。札幌~小樽間は何度も通っていますのでそれほどユニークは増えず。余市の駅周りと余市蒸留所内のポータル、それに余市から長万部間の駅ポータルなどが新たにユニークとして実績になりました。 

 さて、4日間にわたり北海道の色々な路線を乗り通して移動に次ぐ移動を繰り返してまいりました。4日間のほとんどを移動に費やしてもなお北海道の半分も回り切れていませんから、北海道が如何に広大で、そしてまだまだ行きたい場所で溢れている魅力的な土地であるかは十分お判りいただけたかと思います。ここで簡単に今回の旅の要点をまとめたいと思います。

・鉄道で北海道周遊するならお得な切符は必須
・お得になった分、観光にお金を使おう
・特急を積極的に使い移動効率を上げる
・拾うべきところは鈍行で確実に拾う
・イレギュラーはつきもの、臨機応変に対応して楽しむ
・沿線の魅力発見も忘れずに
・「また来たい」と思えたらその旅は大成功

 こんなところでしょうか。コロナも依然収束の気配を見せず色々と大変な状況が続きますが、ポータルは北の果てにも南の果てにも、貴方の家の周りにも、そしてまだ訪れたことのないちょっと離れた場所にも存在し、我々エージェントの訪問を待ち続けています。どうか自分なりの「旅」を自由に創造し、それを思いっきり楽しんでみて下さい。貴方が行う「旅」の創造主は、他でもない貴方自身なのですから。

●4日間の記録
総移動距離:約4,600㎞
総獲得AP:約600万
総ハック数:約1,700(うちユニーク約1,000)
乗った列車:20本
食べたラーメン:3杯
食べた蕎麦:2杯
食べたイカ:1杯
買った伊藤園の麦茶:11本
見かけたエゾシカの数:8頭
「セコマって神だな」と思った回数:4回
「マジか」と呟いた回数:約30回

長々とお付き合いくださりありがとうございました。
また次の旅でお会いしましょう。

ー終わりー

いいなと思ったら応援しよう!