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イギリス帝国戦争博物館を出て、僕は自分が感じたことについて考えていた。 なぜ僕は「人を殺していた武器」「人を殺す為の武器」をカッコイイと美しいと感じるのか?

僕だけじゃなく、多くの人が感じたことあるのでは?刀を見て美しいと、銃を見てカッコイイと、実際その道のマニアがいるように、そう感じたことある人がいると思う。

戦争を知らない

大きな理由は戦争を知らないからだと思った。特に日本は終戦してから75年経っていて、終戦時に10歳の人が85歳 戦争真っ只中に「物心ハッキリしていた人」は、かなり少ないと考えられる。

日本の社会科の勉強でも、義務教育で習うのは大きな起きた事だけで、背景については全くと言っていいほど聞かされてないように感じる。(自分が不勉強なだけかもしれないが)より戦争の忘却化が進んでいると感じた。

映像 主にアニメ ゲームがイメージ

僕達の知ってる武器の多くは、実物を見て知るのではなく、映像 主にアニメやゲームから得た情報が主じゃないだろうか? 

僕らの知ってる武器は、「ヒーローが敵を倒すための道具」であって、悪いものじゃない。僕の周りでは、友達 親族を武器で殺されたやつはいない

人を殺す物ということに現実味が無い…

多くの人は、自己の強さ(筋力的な)を持たない。必要ない社会だから。

だから皆の持ってないものが売れるこの世の中で、純粋に武器を手にした強い主人公が敵を倒すというのが売れる理由で。

そこに憧れを持つ僕達の目には、武器がかっこよく見えるという仕組みなのかなと思った。

力は魅了 細かくすると分かりやすいだろうか?

人間の力と言うのは 経済力 コミュ力 創造力 さらに幅広く広がるし、細かく分けていける。 人は力のあるものに魅力を感じるもの。

つまり武器の持つ力は武器の魅力 に直結してるのかなと思った。

そこの魅力に人の技術が合わさり、カッコイイだけじゃなく美しいと形が変わることもある。 武器には魅力があるのだ。

薄れる認識 (武器は人を殺す物)

これは良いことと言えると僕は思う、少なくとも日本人は「戦争」からかけ離れていることの証拠である。

「平和ボケ」と言う言葉があるが、その言葉こそが平和である証拠となっていると僕は思う。

ただ、「人を殺すこと」は悪いものという、認識は薄れてはいけない

武器が非現実な物でありつ続ける事は、平和の継続に繋がっていると思うが、武器が何のために生まれたか、それが何なのかを忘れ去ってしまった時。同じことが繰り返されてしまう… 可能性があると僕は思う。

そうならない為に そうさせない為に、考えるということが大事なんじゃないかなと、日ごろ無意識に「そういうもの」と認識してることに疑問を覚えてなぜなのか考える人が増えて欲しい。

まとめ

「武器が空想の産物となり、憧れを持つことは悪ではない」

武器を非現実なものとして扱うならば、「妄想」という枠組みで憧れ続けることは悪いことじゃないと思う。

ただ「武器を武器として使うのがいけない」

憧れで収まらず、その力を手にして行使することは「暴力」でしかない。物の良し悪しを考えて、踏み外さないことが大切だと。。

僕はそう思う

考えること

僕はすぐ色々な物事について考えがちだ、だからといって皆に多くの物事に興味を持ち、考えろと言いたい訳ではない。

けれども、僕の考えがより多くの人に伝わって「咀嚼」され、共感に限らず別の意見として跳ね返ってきてくれたら、僕はそこに喜びを感じる。

僕にとって自分で考え、人と意見を交換することは、とても楽しいものだ。






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