身をもって知ったカラスの賢さ
2018年8月2日(木) AM7:20ころの話
いつもより家を出るのが少し遅くなってしまったと、急いで準備をして家を出る。
共用廊下を歩き階段へ向かう。
階段に差し掛かった途端、今まで見たことのない光景が目の前に広がっていた。
階段の巾木部分に #カラス がいて、こちらを見つめている。
私は動けなくなり、一旦家に戻る。
家族のグループラインで、 #カラス がいて出勤できないと連絡する。
人が行けばカラスは逃げるから大丈夫だと言われたが、 #田舎のカラス と #東京のカラス では人間に対する恐怖心は違う。
むしろこちらが攻撃すると、 #カラス は賢いため、後日攻撃しに来るという話を聞いていたので、攻撃するのはやめておこうと思った。
その日は、ゴミの日ではないのに、なぜ #カラス がいるのだろうと、とても恐かった。
20分ほど経つだろうか。2~3回見に行き、4回目でようやく #カラス がいなくなったので、隙を見て階段をダッシュで駆け下り出勤。
ちょうど業務が立て込んでいる時期で、残業を終えての帰宅。
帰りの電車の中で、母からのラインに返事をする。
「今仕事終わってこれから帰る!」
たまにやりとりする何気ないいつもの会話。
しかし、母の返信がいつもと少し様子が違った。
母「ご苦労様。何時ころ家に着く?もうカラスはいないと思うよ。」
私「今から電車乗るから20時くらいかな~。さすがに夜はいないよ!」
母「だよね~」
私「何かあった?あ、電車少々停止。線路に落し物だって。」
母「やれやれ~」
私「よくあることだよ。電車降りた!」
母「別にいいんだよ~。」
私「え?何が?」
母「カラスいるかと思って。あと分かった~。家に帰れば」
私「え!その心配?夜はいないよ」
母「なんで?」
私「ご心配ありがとう。夜は見たことないもん。何か電話でもしたいのかと思ったよ」
母「カラスのことね。夜はいないというから出かけるのかと思ったよ」
私「あ、そうカラスのことだよ。もう少しで家!」
(明らからにいつもと様子が違うのがすぐに分かった)
何か会話が噛み合ってない気がして、もしかしてと、胸騒ぎがして、家に早歩きで帰った。
家に着いたと連絡をしてすぐ、父からの通話。
もう完全に何が起こったかは把握できた。母の声も弟の声もする。
いつもテレビがついているはずなのに、静かだった。
父からの第一声「今日のお昼に #おばあちゃん が亡くなりました。みんなに見守られて息を引き取ったよ。」「詳細はラインするから、まず明日会社に行って、上司に報告して帰る段取りして。」
通話してる時は、私も状況を読み込めず、「え。まじか。分かった。あとは家族のグループラインでやり取りして、私が帰る手段と到着時刻教えるから」とだけ伝えて通話終了。
通話終了後、一人の私は、一気に涙がこみ上げてきて、泣き続けた。
時間にして3時間以上泣いた。寝れるわけがなく、3時間程寝て、朝早く家を出て仕事の整理と上司への報告を済ませた。
6月に知人の結婚式があり、地元に帰省した際、「また夏休み帰ってくるからね」って。おばあちゃんは「待ってるよ。東京で頑張って、また夏休み帰っておいで。頑張るんだよ。気を付けて帰るんだよ。」って私の手を握りながら、私にかけてくれた、 #最期の言葉 でした。
私はその時のおばあちゃんの手の感触を、今でも忘れることができません。
細くて、力のあまりないおばあちゃんの手だったけど、その時はとても力強く握りしめてくれたような気がしました。
夏休みは5日間取得でき、日付指定がないため、お盆時期を避けて夏休みを取るようにしていました。
今更時間は戻せないけど、時間が戻せるなら、夏休みを7月にでも取れば良かったかなとか、自分の行動全てに後悔ばかり。時間を作って3連休でも帰省すれば良かったとか、色んなことが頭をよぎり、東京にいる自分、他の事を優先してしまった自分、色んな自分を責め、毎日帰宅しては泣く日々でした。
親戚と話しているとき母がカラスの話をしていたらしく
「おばあちゃんの代わりに #カラス が最期会いに行ってくれたんだから、怖がることないよ。最期会いたかったんだよ。 #カラス は賢いし、人が亡くなる前に現れるとかいうものね」って。
ある人は「伝書鳩ならぬ伝書カラスだったんだな、きっと。」と言ってくれました。
そして時は経ち、先日9月16日(日)
四十九日の法要が行われた。(本当は9月19日だが、諸事情により16日に)
連休だったが、帰ってくるのも大変だからという家族の言葉に甘えて、東京からおばあちゃんを見送ることにした。
その日、用事があり出かけようとした時、また8月2日と同じ光景に遭遇。
またしても、カラスが私の目の前に現れた。
法要が始まる1時間前の出来事だ。
やはり、最期の最期、また私に会いに来てくれたんだねと。今回は怖いというよりも、なんだか少し感動した。
カラスはやっぱり賢いなと。きっとおばあちゃんの代わりに会いに来てくれたんだねと。そう思えた自分がいた。
おばあちゃんにとって、唯一の女の孫で、本当に私を可愛がってくれた。
ドイツで産まれた私や弟の世話をしに、日本から一人ドイツまで来てくれたり、高校生の時は、おばあちゃんの家の近くの高校で、冬は雪道歩くの大変だろうからって、駅まで迎えに来てくれて、高校の近くまで送ってくれた。
休みの日は、習い事に送ってくれたこともあった。
おばあちゃんが作る、野菜と果物たっぷりのポテトサラダが私は大好きだった。
そうやって自分のことは後回しにして、私たち孫のことや、親戚のサポートを優先していたおばあちゃん。
いつ自分の時間を持っていたんだろうというくらい、病院の付き添いやら、私たちの世話をしてくれた。
大人になっても、東京にいる私を心配してくれて、電話をくれるおばあちゃん。「ちゃんとご飯食べてる?」「変な人には気を付けてよ。」「次いつ帰ってくるの?」
線の細い優しい声で話してくれるおばあちゃん。
誕生日も忘れず電話をくれて、たまに日付違うときもあったけど、でも必ず私の誕生月に電話をくれた。
今年の誕生月も数ヶ月でやってくる。
また電話かけてきてくれるんじゃないかと思ってしまう。
おばあちゃんは看護師だったので、職業柄とおばあちゃんの元からの性格とが重なって、誰にでも優しく、どんな時も常に周りの人のことを考え、行動する、素晴らしいおばあちゃんでした。
おばあちゃんの孫でいられた、26年間。おばあちゃんの孫で良かった。
また生まれ変わっても、おばあちゃんの孫になりたい。
おばあちゃんから与えられたたくさんの愛情と優しさを、噛み締めて生きていきます。
そして、おばあちゃんのように、人に優しく、周りのことを考えて行動できる人間になっていきたいと思います。
今日、四十九日。今朝はカラスに遭遇することはなかったけど、無事にたどり着けたかなと、少し気になっています。
もっともっとしてあげたいことはたくさんあったけど、これからは #追善供養 をするので、どうかおばあちゃんの所まで届きますように。
おばあちゃん、ありがとう。
もう自分のことだけ考えて、ゆっくり安らかにお休みください。