秘境・古代群馬の地 1

群馬県の神流町は「恐竜の隠れ里」だと前回紹介した。しかし恐竜を見られる博物館がまだある。群馬県立自然史博物館である。もしも恐竜に関する本や図鑑を持ってる方は最後を見てほしい。協力者として毎回の如く掲載されている有名な博物館の一つである。
国立科学博物館、葛生化石館もほぼ常連のイメージだ。これは期待できるぞ!と直感で悟った。

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やや曇り空だったが、私は北千住駅で東武鉄道の特急りょうもう号に乗り込む。
目指すは前橋駅だ。太田駅で東武伊勢崎線に乗り換え、伊勢崎駅からJR両毛線で前橋駅へ。現地のトヨタレンタカーで車を借りる段取りである。
無論♨️も予定に組み込んでいるし、夜はフォロワーさんのお店で焼肉を食べる事になっている🤤抜かりはないのだ😊
予定と旅路の確認をしながら、私は朝食の深川めしを平らげた。美味い!😋

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群馬県といえば皆さんは何を思い浮かべるだろうか?空気と水が美味しい、飯が美味い、山、寒い風、頭文字D、県庁がやたらデカイ、秘境、グンマー、戦国時代、古墳や寺・神社が多い・・・
大体の人が歴史や自然を思い浮かべると思う。しかしながら群馬県は恐竜の地でもあることは前回お分かり頂けた筈だ。
今回の博物館は神流町恐竜センターよりもずっと巨大だと聞いていたので、ワクワクしながら運転していた。無論安全運転である👍
前回と違って難所も無かったので、予定通り50分程度で到着した。外から眺めただけで分かったが、ここには間違いなくデカイ生き物がいる!
本当に大きな建物だった。

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早速510円を支払い入館。カンブリア紀のコーナーを抜けると奴等がいた。
ウミサソリと三葉虫である。

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ウミサソリ・三葉虫という呼称は種全体の呼び方であり、実際の名前は千差万別である。ウミサソリはそれほどでもないが、三葉虫は非常に多い。というか多過ぎる😨
その数は10000種を超えるのである😰一度に想像すると目眩がしてくるだろう😱
三葉虫は上から見ると三枚の葉に見える、ということで命名された。カンブリア紀からペルム紀末まで生き延びた独立種である。

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虫なのか?エビみたいな甲殻類なのか?と思う方は多いかもしれない。しかしそのどちらでもない、原始的な節足動物である。
とはいえ生態は今日の節足動物と変わらず、脱皮もすれば硬い外殻も持っていた。今で言うフナムシみたいな存在だったのだろう。

続いてウミサソリを紹介しよう。
ウミサソリを展示している博物館で、よく見るのが今回のユーリプテルスだ。

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彼は泳ぐのが得意で、鋭いハサミと尾のトゲが自慢の武器である。現代のサソリと違って毒はないが、針に刺されるのは勘弁願いたい😨
今回は掌サイズだが、大型種には2〜3m近いモンスター級もいた。しかも海底を歩くタイプもいる。正直考えたくもない光景である🥶
ウミサソリは古生代シルル紀の海の支配者だった。中には淡水適応を遂げた種や、短時間陸で活動できた種もいたとのことである。
下の図は大型ウミサソリと、今回のユーリプテルスのような小型のサイズ比だ。こんなのが海に大量にいたのがシルル紀である😭

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ところでこういった、サソリやクモのような姿に共通して嫌悪感を覚える人は多いと思う。ウミサソリとて同じだろう。なので従来は、その姿の特徴からウミサソリは現生サソリの先祖だという説が強かった。何しろ非常にそっくりである。
だがこれは誤りである説が今では強い。現生のサソリとウミサソリは先祖は同じだが、全く別の生き物である、というのだ。彼らの先祖はカブトガニ目、ウミサソリ目、※クモガタ網に別れたが、ウミサソリはカブトガニに近い。恐らくウミサソリと現生のサソリが似ているのは、お互い歩行できるが故の収斂進化の結果とのことである。

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ウミサソリには尾を上げて歩くタイプもいる。そして彼らは約4億年前に登場した現生サソリと、全く同じ肺構造を持つ者がいた事が判明している。それも根拠なのだろう。

※現代のサソリはここに所属します。
あと、虫嫌いの方はクモガタ網を調べない方がいいと思いますよ😨

スクレロケファルス!
全身骨格は本当にありがたい!🙏

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古生代ペルム紀の大型両生類で、頭部はワニに似ている。ワニ型両生類と呼ぶ人もいる。陸でも活動出来るタイプであり、口は大きく、中には頑強な歯がびっしり。両生類なので咀嚼はできないが、がっしりと獲物を咥え込んでからの丸呑みが必殺技だ。
ペルム紀の両生類には爬虫類、単弓類よりも大きい種もいた。しかしペルム紀末の大量絶滅で大半の種が絶滅。生き残りは水辺で細々と暮らすか海に適応した。そして三畳紀に入ると、彼らには更なる悲劇が訪れる事となった。
ワニ類の出現である。

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最初は少数勢力だったワニ類だが、水棲、陸棲ともに噛む力が強く(口を開く力はそうでもないが)、鱗を持つワニ類に対し、両生類は太刀打ち出来なかった。彼らは生存競争で劣勢に追い込まれていく。
ジュラ紀の頃には南極のようなワニが住めない寒い地域が最後の砦となった。そして白亜紀になり地球が温暖化すると、無情にも南極にワニ類が進出してしまった。こうしてスクレロケファルスのような大型両生類は、完全に姿を消すことになったのである。

トリケラトプス発掘現場のジオラマに、腐れ縁のメソサウルスがいた。
スルーしようと思ったが隣を見て気が変わった。リストロサウルスがいたのだ。

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本当にリストロサウルスかは分からないようだが、この牙の形状は彼ら特有である。
リストロサウルスはペルム紀末の大量絶滅(P-T境界)を奇跡的に生き延びた、ディキノドン類という単弓類が先祖だ。生物の少ない地球に颯爽と現れ、すぐに大繁殖した。1mぐらいで鈍重らしいがその顎は強く、硬い植物も食べられる。
群れで行動していたようだが、社会性があったかは不明である。

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実は非常にややこしい話で恐縮なのだが、我々哺乳類の祖先はディキノドン類よりも小型のキノドン類と言われている。上はそのキノドンのイラストである。
簡潔に話を整理すると、P-T境界を生き延びた単弓類はディキノドン類&キノドン類だけ。そして彼らが最初に三畳紀の天下を取ったのだ。

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天下を取った、という表現は誇張でもなんでもない。まだパンゲア大陸は完全に分裂していなかったので、彼らは三畳紀初期の地球を冗談抜きで埋め尽くし、中には大型化するものまでいた。だから世界中で発掘されている。
実は2つの単弓類のうち、キノドン類は酸素が薄い三畳紀に適応するため、肋骨を一部退化させた。そして横隔膜を形成したのである。こうすることで効率的に酸素を吸収出来るようになった。
つまり今の哺乳類は三畳紀にその特性を得たのである。尚哺乳類はこの頃にキノドン類から独立を果たし、分岐していった。
尤も、単弓類の天下も陸生ワニ類や恐竜が台頭するまでの間だった。爬虫類に主導権を奪われた単弓類は、長い雌伏の時を過ごすことになる。

え?デカい化石はどこにあるんだって?
まぁまぁそう焦らず😊そんな方々の為にカマラサウルスをお見せしよう!

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カマラサウルスはジュラ紀の草食恐竜。私のnoteを読んで下さる方々ならもうお分かりだろう。毎度お馴染み竜脚類である。
体長9〜18mと、成体でも中型だ。しかし歯がかなり頑丈で、硬い植物でも難なく食べる事ができた。因みに同年代のディプロドクスはかなり歯が細く脆かった。
脊椎骨に空洞が多数あることから「空洞を持つトカゲ」の意味を持つ。群れで行動し、長距離移動もなんのその。足には防御用の鉤爪があり、これで子供を守っていたのだろう。
カマラサウルスは福井県立恐竜博物館にも展示されている。しかしながら実物化石を組み込んで展示している博物館は、東日本ではココと福井県だけなのだそうだ!実際に見た際は、実物の部分探すのも楽しいものである😊

(続きます)


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