東海地方化石巡り 1
2020年9月の終わり頃、上司の温情(なのかは知らないが)で突如9月31日と10月1日に2連休を貰うことになった。
まさかの急展開で驚いたが、次の旅行は決めていたのでパッと旅の準備を済ませる。目的地は愛知県の豊橋市だ。化石の展示が豊富で大きな自然史博物館があるからである。
その規模は東海大学自然史博物館を超えると聞いてはいたが、具体的に何が凄いのかはよく分かってはいなかった。行ってみてのお楽しみと書けば響きは良いが、要するにぶっつけ本番である。
いつものようにワクワクしながら眠りにつき、翌朝浜松行きの新幹線に乗って出発した。
浜松で降りた理由は単純に行ったことが無かったのと、浜松餃子でも食べようという単純な理由だった。
駅の近くにある石松餃子浜松駅前店に入り、餃子定食を注文。茹でもやしと一緒に出てくるのが浜松餃子の特徴である。
シンプルで正直割高なのでは?と思って食べてみたが、コレがまた美味すぎて箸が止まらない🤣
餡が関東のものとは明らかに違うし、もやしのお陰で油っこさがリセットされるのだ。だからあっという間に完食したし、満足感も凄かった。是非一度は食べてみて欲しい。
完全にハイテンションになった私はそのまま普通電車に乗り込み、浜名湖の景色を楽しみつつ二川駅へ向かった。
さてそろそろ本題に入ろう。
豊橋市自然史博物館は、豊橋総合動植物公園の中にある大きな博物館だ。博物館で入場料を払う訳ではなく、公園全体の入場料(大人600円、子供100円)を入口で支払うシステムである。それだけで植物園、動物園も楽しめるのだから非常にお得な施設である。とはいえ私が行ったときは植物園の整備作業の影響か、園外まで強烈な臭いが漂っており、とてもそんな気分にはなれなかった😌
次は施設全体を楽しみたいものである。
館内に入るとプシッタコサウルスのロボットと、恐竜の代名詞であるティラノサウルス、トリケラトプスが出迎えてくれた。
とりあえず記念写真を撮り、私は早速古生代のコーナーから楽しむ事にした。
いろいろ眺めつつ両生類のコーナーへ行くと、エリオプスの復元模型を発見した。
関東では骨格の模型がなかった(大体スクレロケファルスばかりだった)ので、ラッキーだった😆
エリオプスはペルム紀前期の大型両生類で、1.5〜2mにもなる。四肢はかなりがっしりとしており、陸上で歩行する事も可能だった。
とはいえ泳ぎも素早く歩く事も苦手だったらしく、恐らく待ち伏せで獲物を捕らえていたとされている。
なんと言っても彼の特徴は大きな頭部と、口にびっしりと生えた迷路歯である。(迷路歯は説明が長くなるのでここでの詳細は省く)
一見ワニのように見えなくもないが、獲物を噛み砕く事は出来ない。獲物を咥えて押さえつけ垂直に持ち上げ、丸呑みして捕食していたのだろうと推察されている。
古生代のコーナーを後にすると、今度は中生代のコーナーだ。ホールにはかなりの化石模型が展示されていたが、ふと上を見ると奇妙な首長竜を発見した。
四肢がヒレで尾が短いので、首長竜である事に間違いはない。しかし頭部は妙に細長く、首も短い。展示位置と隣にエラスモサウルス科がいた事から察するに、恐らく白亜紀後期ぐらいの首長竜だという事は分かった。
名前は何だと思って探したところ、ドリコリンコプスという生き物だった。
白亜紀前半の海はジュラ紀同様に魚竜、首長竜、海棲ワニ等が海の支配者だった。しかし「海洋無酸素事変」という、海の酸素が大きく減少する現象がこの頃には頻発していたのである。その結果魚も減り、餌の減った魚竜やそれを喰らう首長竜・海棲ワニも衰退してしまう。彼らの地位に入り込んだものが、主に魚を主食としていた首長竜とモササウルス科である、というのが一般的な通説だ。どちらがどこに入ったのかは言うまでもないだろう😌
つまりドリコリンコプスは魚竜の跡を継いだ首長竜という事になる。だから頭部は細長く、口はよく裂けている。口の中は魚を逃さない為の歯がびっしり生えている。首は短めだが頸椎が多く、よく曲がるようになっている。そして勿論見た目通り戦闘には向かない。そもそも全長2.5m〜4.6mと割と小柄な体格なのだ。
大型のサメやモササウルスにでも襲われたらひとたまりもなかった事だろう。事実、彼らの幼体を捕食したとされるティロサウルスの化石も見つかっている。
中生代のコーナーからもう一つ紹介しよう。こちらはかなりのインパクトがあった。
エドモントサウルスのミイラのレプリカがあったのだ!情報を知らなかったので、思わず心の中でガッツポーズを取ってしまった🤣
エドモントサウルスはカナダのエドモントンで発見された、白亜紀の草食恐竜だ。
体長9〜13mと、当時の草食恐竜の中ではかなり大型である。なので天敵はティラノサウルスのような肉食恐竜であった。ただし足はそれなりに速かったらしく、追手を振り切ることも可能だったらしい。餌は主に硬い植物で、それを食べるのに適したデンタルバッテリー構造という特殊な口を持っている。
見ればすぐわかる事だが、彼は所謂カモノハシ竜のひとつだ。カモノハシ竜はハドロサウルス科、つまりハドロサウルス亜科とランベオサウルス亜科で構成されているが、彼はハドロサウルス亜科の所属である。(皆大好きパラサウロロフスはランベオサウルス亜科の方だ)
このミイラはアメリカのワイオミング州で見つかった2体のうち、一体の模型である。皮膚や筋肉が一部残っている非常に貴重な存在なのだ。
余談だが、恐竜のミイラは実は他にもいくつか見つかっている。一定の条件とかなりの幸運が無ければ生まれない産物だが、もし貴方が見つければそれは世紀の大発見となるだろう。
最後に新生代のコーナーから一つ紹介しよう。
どうせ看板生物のマチカネワニを紹介するんだろ?と思ってる人も多そうなので、私からは彼を紹介しよう。
ホラアナグマである。
説明文を拡大して読んだ方からすれば、本当にコイツは植物食なのか?どう見たって肉とか食ってそうだけど?🤔と疑念の目を向けるだろう。実はこの説明文には補足すべき内容がある。
まずクマという生き物は元来草食性の雑食動物だということ。そもそもクマが肉類を食べる割合は、ホッキョクグマを除いて少なめである。
そしてもう一つはホラアナグマは住む場所によって、サイズも食性も違うという事である。
元々ホラアナグマは大きいもので全長3m、体重は1tもある。今のヒグマよりも大きい体格だったし、見た目は大きなヒグマそのものである。冬季を洞窟で過ごす事以外、殆ど習性は変わらなかった。
彼らが生きたのは最終氷期、一般的に氷河期と呼ばれる時代だった。約11万年前から1万年前まで続いた氷期(最近は氷河期ではなく、氷期と記載するようにとの意見が強い)において、実はホラアナグマは大型と小型の亜種が発見されているのである。
大型の亜種は寒冷地に適応し、大きな体つきで特に肉を好んでいた。しかし小型の亜種は当時広がっていたステップ(草原)に住み、草食に特化していたという。植物を食べることで臼歯がすり減ったり、裂肉歯の退化が確認できている。そのため大型の亜種よりも短命だったと推察されている。
かつて彼らは気象変動で絶滅したと考えられていたが、今は違う説も出てきている。
彼らが冬季に洞窟で過ごす事は共通だ。なので天敵のケーブライオンや人類に捕食されたり、住処を追いやられて冬を越せず徐々に衰退、約2万4000年前に絶滅したのではないか?という他の要因も絡めた説が今は強いようである。
余談だが、一つ氷期について簡単に説明しようと思う。
勘違いしている人も多いが、現代我々が生きている時代は「第四紀氷河時代」と呼ばれる寒冷な時期なのだ。
でも現代は昔より暖かいじゃないかって?それは今がたまたま「間氷期」と呼ばれる、氷期と氷期の間に訪れる温暖な時期だからである。氷期に入ればたちまち全世界は寒くなる。
では次に氷河期、正式名称を氷河時代と呼ばれるものは一体何なのか?
簡単に書くなら地球の歴史上、気温が下がり氷河が広まる長い期間の事である。メカニズムを書くと長くなるのでここでは書かないが、その期間が途方もなく長いからこそ「氷河時代」と呼称しているのだろう。
もう一度改めて書こう。
第四紀氷河時代と呼ばれる「人類から見た最後の氷河時代」は、まだ終わってなどいないのだ!
最終氷期というのも「人類から見て最後に終わった氷期」に過ぎない。人類がたまたま間氷期の現代に文明を発展させたから、そう思えない人の方が多いだけの話である。
専門学者の予測によると次の氷期は約5万年後、その前に2030年から小氷期と呼ばれる寒い時代が始まる可能性もあるらしい。
しかし人類の活動による地球温暖化は、それまでとはレベルが違うようだ。海面上昇の速度も過去に比べると凄まじい。もし小氷期が来なければ、次の氷期までにスプラトゥーンのような世界になる可能性も否定はできない。
この先一体何が起こるのか?そこは私も気になるところである。
いやはや、素晴らしい博物館であった!😊
インパクトのある展示物も多く、古生物好きは間違いなくお腹いっぱいになるだろう。
動物園、植物園を含めれば一日がすぐに終わってしまう事は間違いない👍
ふと気づけば外は夕方だったので、私は豊橋駅近くのステーションホテルで宿を取った。もう一箇所、豊橋市から近い蒲郡市に古生物の化石が観れる博物館に行きたかったからだ。
更にとあるフォロワーさんから、その近くの竹島水族館は面白いぞ!とお薦めされたので朝一で行こうと思っていた。
天気と行きの電車の時間・ルート・帰りの新幹線の時間を確認し、昨日同様ワクワクしながら私は眠りについた。
(2に続く!)
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