古生代の地・葛生へ

温泉を楽しみ、秩父から戻った私は懲りることなく次の旅を計画する。
最初はまた秩父に行って、おがわ化石館に行こうとしていた。しかしバスを使った場合はかなり遠い。これはレンタカーが必要だなと思い直した。
それならルート・行き先をよく考えないと損してしまう。慣れない土地を車で旅するには準備は必須だ。ここはワンクッション置いて、別の博物館を見ることにした。
そういえば古生代の化石ってあまり見ないなと思い、数を揃えている博物館を探してみる。すると一件ヒットした。
栃木県の葛生化石館である。

北千住駅から東武線でひたすら北上し、館林駅で東武佐野線に乗り換え更に北へ。
普通電車で約2時間、片道1000円程度の旅である。特急を使っても20分程度しか変わらないので、今回は通常の電車を使うことにしたのだ。車だと1時間で済むが、今回の旅でレンタカーだと割に合わないのでパスした。
尚、葛生駅は東武佐野線の終点である。

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葛生は佐野市の北側にある、山の麓の町だ。元々炭鉱で栄えた街で、廃線になった鉱山鉄道の跡や、かなり時間の経った廃屋があった。至る所に当時の名残が残っている。町の北側に巨大な住友大阪セメント工場があり、北の山々から石灰岩を採掘しているのだろう。

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静かな町を少し歩くと化石館が見えてきた。外観の写真を撮り忘れたのでネットの写真で。

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パッと見だと、博物館というより役所か公民館に見える。駐車場にはスクールバスが数台見えた。子供達が遠足か何かで来たのか、館内は元気な声で一杯だった。因みに入館は無料である。
邪魔するのも悪いと思い、別の展示室に行くと本格的な水辺や森のジオラマがあった。

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これだけでも、子供達は夢中になるだろうなと思った。実に見事な出来である。

ジオラマを見てから暫く休んでいると、子供達が出て行ったのか館内は静かになった。早速展示室に入ると、ナウマンゾウが私を出迎えてくれた。古生代だけでなく、新生代や中生代の生物も少し展示されている。

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小さかったので最初はアケボノゾウかと思ったが、ナウマンゾウである。そのサイズは何と世界最小なのだ!日本橋の地下鉄工事で発見された個体らしい。
ナウマンゾウは体毛がやや長く、マンモスと勘違いする人も多い。しかし両者は系統も暮らす地域も別である。全身毛むくじゃらのマンモスはシベリアやアラスカのような北方に、ナウマンゾウはもう少し暖かい中国や日本、朝鮮にいた。
マンモス属とアジアゾウ属。くっきり別れている両者だが、当時の地球は氷河期で全体的に寒く、ナウマンゾウの体毛もその結果長くなったと考えられている。

さてそれでは本日のメイン、古生代の生き物を紹介していこう!スクトサウルスの登場だ。

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ずんぐりとした体格のスクトサウルスは一見亀に似ている。これは子供の骨格だが、大人は肉がかなり分厚い。そのため長らく亀の先祖だと思われてきたが、実際は全く亀と関係はない。古生代ペルム紀を生きた、草食性の無弓類である。サウルスとついているが無論恐竜ではない。
そういえば◯弓類という単語の意味を皆さんは御存知だろうか?弓というのは解剖学の用語で、頭蓋骨の横についてる空洞の下側の骨を言う。細い弓みたいになってるので、弓という訳だ。
下の図を見て欲しい。

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さっきのスクトサウルスにはこの弓がないので、無弓類と言われている。
ざっくり分けると単弓類は哺乳類、双弓類は現在の鳥類・爬虫類のグループである。この穴が多いと噛む力が増大されるそうだ。しかし現在のヒトや鳥類にはコレが無い。退化したとも考えられるが、そもそも頭部を軽くするためのものではないか?という説もある。

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ディスコサウリスクス
ペルム紀前期の両生類で、炭竜目というかなり爬虫類に近い種である。三角形の頭が特徴的な小型の両生類だが、謎も多い。
ヒトを含む有羊膜類と言われている、今日の陸上生物の直系祖先なのではないか?との説もあった。しかし爬虫類の祖先が別に発見され、現在は否定されている。
羊膜とは胎児と羊水を包む膜のことを指す。これがある生き物は陸上でも産卵や出産が可能になる。つまりディスコサウリスクスは両生類ながら陸地で🥚を生む事ができたかもしれないのだ。

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メソサウルス。
今更説明するまでもないが、本当にいろんな博物館にいる常連、いやペルム紀代表😅
しかし、葛生化石館のメソサウルスはなんと触れるのだ!
ガイドのお爺さん曰く、二つを比べると平泳ぎのように見えるので、そうやって泳いでいたのではないか?という説もあるらしい。

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葛生化石館の主、イノストランケビアだ。
彼の全身復元模型を見られるのは、日本全国
でもここだけである!
さっき紹介した分厚い肉を持っているスクトサウルスも、彼の前では単なる餌でしかなかった。実際は体長4.5mにも及び、牙はサーベル状でかなり鋭い。尻尾が短く、足は直立に近いので走行に適している。
イノストランケビアより大きい捕食者は殆どいなかったようだ。恐らく向かうところほぼ敵なしだったことだろう。

しかし、ペルム紀後期は生物にとって地獄のような世界だった。約2億5100万年前に、史上最大の大量絶滅が起こったのである。具体的に何が原因で、どんな悪夢のような光景だったのか?これについては諸説あるが決定的な確証は無く、今なお確実には分かっていない。
考えられる仮説としては、丁度パンゲア超大陸の分裂が始まった事で地層に亀裂ができ始め、火山の噴火が続いた結果、二酸化炭素とメタンが大量放出された。更に地球が温暖化して砂漠化が進み、生物は酸欠になったのではないか?という恐ろしいものだった。
実はこの頃に「シベリアン・トラップ」という火山で史上最大の大噴火が起きた事が判明している。それは本説の強い根拠にもなっている程の出来事なのだ。「地球環境を変える程の爆発だって?じゃあどれくらいの規模なんだ?」と考えるのが自然な反応なのでお答えする。
爆発で吹っ飛んだ範囲が大体西ヨーロッパぐらいの広さ、流れ出た溶岩面積はグリーンランドぐらいの広さだそうだ。更に大爆発のあと、溶岩は約200万年ほど流れ続けたそうだ。

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スケールが違いすぎて、何を言っているのか最早訳がわからない😨というか正直言って考えたくもない・・・😱
カナダの地質学者、スティーブ・グラスビー氏によると、大陸分裂で火山噴火が相次ぎ、溶岩が吹き出るもそれが浅い地層に眠る石炭紀の植物が作った石炭層に引火😨その結果地球レベルの大火災を起こしたのでは?と推測している。
何にせよ、当時生きていた生物の殆どが絶滅したのは事実である。その数値は驚異的で、陸生生物だと爬虫類は7/44(属)、単弓類は2/35(属)昆虫類は14/22(目)しか生き残れなかった。海は三葉虫のような古い種の9割が死に絶え、魚類やサメ類のような鰓を持つ生物が生き残った。我々哺乳類は単弓類のグループなので、2/35を生き残ったことになるのである。
この大量絶滅事件はP-T境界(ペルム紀と三畳紀の境界)と言われる。白亜紀末の大量絶滅よりも、規模が巨大で長いのだ。白亜紀の大量絶滅後に、生物の多様性が回復するまで約10万年程度で済んだ。しかしこちらは種が増えるまで約1000万年もかかる事になった😨
考えるだけで気が遠くなる事件だった、という事を理解して頂けただろうか?😱 

最後に難しい話をしてしまって申し訳ない🙇‍♂️葛生化石館はペルム紀の生物をじっくり見れる、とても貴重な化石館だ。
残りは皆さん自身で実際に見て欲しい☺️

私は満足して化石館を後にし、帰り道に佐野駅でどのラーメンを食べようか?😆とワクワクしながら駅に向かった。佐野線は本数が少ないので空腹がキツかったがw
無事に佐野駅近くの日光軒で、美味すぎるチャーシューメンを食べた。麺・スープは言うまでもなく、そしてチャーシューには最早言葉に出来ない感動があった🤤
帰り道には是非とも佐野駅に立ち寄り、美味過ぎるラーメンを食べることをお勧めしたい😊

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