亡き父への返句(画)
父は俳句を詠むのが好きな人でした。
晩年出掛けることができなくなってからも思い出に馳せてみたり、行った気分になったりと、空想しながら俳句を愉しんでいたようです。
それでも桜の花見は連れて行ってくださる方がいて花見を満喫し、俳句も情熱的に読んでいました。嬉しそうに「出来たから♪これ打ってちょうだい」と言われ、プリントアウトしてあげたものです。
でも、その時は気が付いて無かった…
その父も昨年亡くなり、写真に俳句を添えてきちんと整理されたアルバムを見て思い出に浸っていたら、一昨年と昨年、全く同じ花見の俳句を詠んでいたんです…
きっと父は毎回0(ゼロ)から新鮮な気持ちで詠んでいたんだと思います。出来上がった時あんなに嬉しそう!だったもの。
でも年々、言葉の引き出しはかなり少なくなっていたのかなぁ。。。生前の一生懸命辞書を見て言葉を叩き込んでいた父を思い出し、切ない気持ちになりました。
辞書を見ている父に私が「何調べてるの?気になる言葉でもあるの?」と聞くと、毎回「別に。ただ見てるだけ。」との返事。私は「何かきっかけがないと頭に入らないでしょう?」と笑って返していましたが今思うと全ては俳句の為、ボケないようにする為の努力だったんですよね。
そんな渾身の父の俳句を披露させていただき、また、俳句が得意ではない私からは返句に変わる返画(…という言葉があるのか定かではありませんが)を亡き父に贈りたいと思います。
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