事の始まり(最初のトラウマ)と積み重なる出来事及び私が脳内住人と出会うきっかけとなった決定的な出来事(閲覧超絶自己責任)。
私が覚えてる限りの事ですが
書きたいことがまた増えました
事の始まりと私が彼らと出会う
きっかけについてです。
先に記載しますが約11年前の3.11
東日本大震災の内容も絡みます。
また家庭のトラブルやネットのトラブル
も含まれ自分の精神状態など細かく
支離滅裂ながら全ての事を長文で
載せております。
ですので苦手な方は、自己責任で。
まず私は生まれつき二分脊椎という脊髄損傷等を伴う(?)先天性の身体障害が
あり、幼稚園前まではベビーカー、幼稚園入園時から車椅子を使い生活しています。
自分でも未だにその病気の事を説明しろ
と言われたら難しいので簡単に言うと…
↓
・歩行困難(専用器具を使用すれば歩行可)
・下半身の所々の神経が無い
・腎機能に問題あり(専用器具がなければ
🚽が出来ない)
・内反足(足が内側に曲がったまま、
所謂奇形児)
等があり(あくまで私の症例)私は比較的
この病気の中で軽い方だと言われて
います。
幼稚園の時は普通の幼稚園
小学生の時は普通の小学校(の中にある
特別支援学級という障害者向け?の
学級で6年間を過ごしました)
中学~高校は一貫校だった為特別支援学校
で6年間身体及び知的障害の子達と過ごしました。
今回は最初に記載した通り11年前が
事の始まりなので小学生時代のお話から始まります。
約11年前のその日 私は当時小学生で
まだ5~6年くらいだったと思います。
(11~2歳くらいなので)
私は特別支援学級で5~6時間目の授業を
受けていました、その時 微かな揺れに
私が1番初めに気づきました。
私「あ、揺れてる、先生ー皆ー地震
かも!机の下に隠れよう!」
皆「( ゚ー゚)ウ ( 。_。)ン」
私達はすぐに机の下に隠れました。
すると次の瞬間、回転するような激しい
揺れが私達を襲いました。
ガタガタと激しく揺れる教室
揺れに合わせて物が落下したり
物がガチャガチャと音が鳴る。
当たり前ですが私はまだ大きくても
震度3程度しか経験したことが
ありませんでした。
パニックになった私は泣き叫びました
私「怖い!怖い!!パパ!ママ!助けて
先生!おっきいよ!やだ!!」
当時覚えてる限りでも先生は3~4人
その中の一人の女の先生はすぐに、
パニックになった私の元へ駆けつけ
先生「大丈夫、大丈夫だよ、落ち着いて
○○ちゃん(本名)」
と、声をかけ続けてくれました。
そんな中、恐らく事の重大さを理解
していない(できない?)知的障害を持つ
小学1~2年くらいの男子K君はパニック
になるどころか寧ろテンションが上がり
ふざけて
K君「もっと揺れろ~wギャハハ!w」
と言い始めました。
私はそれにより更にパニックになり
泣き叫びながらその子にやめて!
と懇願しました。
暫くして揺れが収まり(余震は勿論
ありました)私達は直ぐに外に避難
しました。
その後の事はあまりのショックだった
のか細かくは覚えていませんが暫く
して両親が迎えに来て一緒に帰ったのは
覚えています。
ただあの大揺れによる自宅の損害?
が激しく物が沢山落ちていたりととても
じゃないけど過ごせるような状態では
なく、また集合住宅の2階であり私の
身体状況も考え 暫く母方の祖父母宅で
過ごすことになりました。
3.11の揺れの大きさや自分のパニック
具合等にショックが大きく また当時は
当たり前ながら毎日のようにテレビから
被災地の映像 津波の映像 揺れた当時の
映像…とにかく地震/津波の事ばかり
取り上げられていましたし、余震や
緊急地震速報も続きました。
そのため
TVから流れる各地の地震時の映像
津波の映像とその中から聞こえる女性の
悲惨な悲鳴や津波の音にサイレンの音
津波による被害を受けた跡形もない
街の姿や被災者のインタビュー
毎日のように続く余震やそれに合わせ
なる緊急地震速報に怯える日々が
続きました。
私は海のない県だった為幸いな事に
津波の被害は全くありませんでした。
ただ、TVから流れる悲惨な映像、悲鳴が
あまりにも当時の私にはショックが
大きく脳裏に濃くこびり付きました。
映像、声、サイレン、音、揺れ
全てがトラウマになった私は食事も
睡眠もままならなくなってしまいました
少しの揺れにパニックを起こし
緊急地震速報がトラウマとなり
TVが着けば目を背けすぐ別室へ
あれは私の中で人生最大の恐怖体験
でした。
(無理やり思い出しながら記載してる為
支離滅裂で申し訳ないです)
その日以来、私に変化が起きました。
自分が一瞬自分でないような感覚に
襲われたり、まるでゲーム画面の
一人称視点を見てる感覚に陥るように
なったのです。
そして同時に
家族、祖父母、親戚の事が誰だか
わからなくなる現象などにも
襲われるようになりました。
友人から聞いたところそれは
もしかすると
離人感では?
との事でした。
そう、私はあの311のショックから
離人感を発症してしまいました。
(未診断/自己判断ではありますが)
それからというもの頻繁に離人感を
起こし、自分や家族が分からなくなる
まるで他人の人生を見てる?かのような
感覚になってしまいました。
(現在はとてもおちついています)
これが、私の事の始まりだと認識
しています。
他にもネ友からの日常的な虐待や
虐めに関する相談、命に関わる相談を
受けるようになったり
出会い厨 と呼ばれる性的目的の男性
による性的な写真、映像を求められる
事も度々起きるようになりました。
(当時まだ未成年者だったから尚更?)
成人し就職してから起きたことは
覚えている限り
とある病気を盾に(実際はそれを患って
居ないのに無知識なのをいいことに
それを患ってると私たちに嘘をつき)
自○した嘘をついたり、遺書にお前
(私)の名前が書かれてたんだ!と
脅される事も起きたり
当時働いていた会社での差別行為
の発生などもありました。
事の始まりは311ですが
上記のようなことが起き、段々と
ストレスやトラウマが積み重なって
行きました。
愛する声優の突然の病死も
とても大きなショックの1つでした。
そして
約2年前から母がおかしくなり始め
ました(丁度コロナが流行しだした
ころ)
当時在宅ワークだった私は母と家で
2人で過ごすことが増えました。
(父は出張等仕事が外だった為家には
あまりいませんでした)
母が突然私に言い出したのです
母「ねぇ、これどう思う?
おかしいよね」
そう言われて見せられたのはインスタの
(うろ覚え)画面でした
そこには
他の女性に普段は使わない絵文字?
顔文字?を使いながらコメントをする
父のアカウントが。
母「…おかしいよね?こんなの普段して
ないよね?」
私「…う、うん…多分…?」
母「…これ、絶対女と浮気してるよ」
私「まっさかぁ!んなわけないない」
でも確かに言われてみれば
父は当時車椅子陸上をしてた私の見本と
なる為毎晩1人でウォーキングをする
ようになったり、今まで以上に体型を
気にするようになったり、携帯を見る
頻度が増えた気がしました。
それから暫くしたある日の夜
(当時寝室がひとつしかなく3人で
寝ていた)
なにか話し声が聞こえ私は起きました
すると母が父にこれなによ、と
問い詰めてるようでした。
父はキレ気味に知らんぷり
どうやら誰かとやり取りをしながら
寝落ちしていたようなのです。
それを母がみつけ問い詰めたようです。
その日から母の状態が悪化
毎晩のように父に喧嘩?をふっかける
ようになり始めたり
ヒステリックを起こしたり
毎晩のように家出をしたり
それまでやらなかったゲームに没頭
するようになったり
毎日のように酒を飲んでは近所の
店や私達に迷惑をかけるように
なりました。
酷い時は母が記憶喪失状態になることも
ありました(父の出張はとっくに終わって
るのに出張前の日に記憶が戻ったりと)
そして
毎晩夫婦喧嘩勃発
怒鳴り合う両親
(恐らく)自○未遂をしようとする母と
それを止める父の声が聞こえたり
もう一緒にはいたくない、居られない
無理だ。という母の声が聞こえたり
何処か外食してもすぐ女の話を母が
父にしだしたり…
あげたらキリがありません
そこから私もおかしくなりました、
そりゃそうです、311をきっかけに
積み重なっていくストレスだけでなく
毎日両親が今までに無いくらい喧嘩
したり偵察役をさせられたり母の
捜索に付き合わされたのですから。
私自身当時していた事としては
失踪した母への電話
2人の喧嘩を知らないフリ
在宅ワークをしながら母の見張り及び
お世話
仕事をしながら母に命令され偵察作業
等
そして私にそこから起きたこと
希○念慮の増加
睡眠不足
仕事がままならない
幻聴や幻覚
等
その中で私は最初の脳内住人
【秋彦】さんと出会いました
彼はとても物静かで優しく私を
安心させてくれてました
ですが当時自分に余裕がなかったから
なのかいつしか【秋彦】さんは1度
脳内から消失
暫くして【社織】、【夜桜】、【星海】、
【伽耶】、【ミミ】の初期組に出会い
共に過ごすようになりました。
両親のことがあって、今の脳内住人との
巡り合わせがあったのです。
恐らく全てのストレスが積み重なりすぎ
て容量オーバーとなり1人では耐えきれ
なくなって起きた出来事だと思います。
…長くはなりましたが以上が私が
思い出せる限りの脳内住人と巡り会う
までのきっかけになる各トラウマの
出来事でした。
今は勤務期間途中に母と共に父とは
別居(恐らく当時働いていたのは私と
父だけで今も尚母は専業主婦の為
世帯主は私?でまだ住民票もおそらく
うつしてなさそうなかんじです)
仕事がままならなくなったりしたのを
キッカケに当時勤めてた会社からは
契約解雇をされ、失業保険を貰いながら
精神疾患と戦いつつ就活中です。
そして
約1年前から現在までことある事に
(ストレスが溜まり爆発したりする事に)
脳内住人が増えるようになり
71人となりましたとさ
…そんなこんなで全てをこの記事に
無理やり書出した私ですが…
71人(22年3月現在)と私 雷髄莉紅を
今後ともよろしくお願いします。