見出し画像

2024年最後の旅行記②-長崎-


コロッケ

旅の2日目は佐世保市から長崎市へ移動した。
まず最初のお目当ては長崎県出身の福山雅治さん行きつけの洋食屋「コロッケ」
某TV番組で国民的女優の広瀬すずさんと訪れたことで一躍有名に。
私が到着したのは昼過ぎ。昭和レトロな看板沿いに、すでに10人ほどが列を作っていた。昼下がりの陽射しに、期待がさらに膨らむ。

待つこと1時間、ついにコロッケミニとご対面。
コスパは最高。とろとろしたクリーミーなコロッケと昔ながらのナポリタンが絶妙で白米がどんどん進む。ミニでも十分な満足感(ミニは3個、普通は5個とのこと)

コロッケミニ

長崎原爆資料館

次に訪れたのは長崎原爆資料館。
核兵器の恐ろしさを改めて感じた。

1945年8月9日午前11時2分
長崎の姿が自く単き、時計の針が止まりました。
青空に噴き上げる日大なきのこ雲。
なにが起きたのか。
人々はどうなってしまったのか。 崩れ落ちた世題な大事堂の裏説が、疲れた表彼が、溶けたガラス要が
今も静かに詰りかけてきます。 被爆者が苦難を乗り越えて、語り伝えてきたナガサキからの平和のメッセージを
わたくしたちは、これからも伝えていきます。 核兵器のない未来に向かって
世界の人々が共に手をつないていくために。

https://nabmuseum.jp

今、この世の中でも戦争は起きている。
自分1人の力で止める、無くすことはできないが、世界中の人々が手を組めばいつか平和な世の中になると私は願っている。

右手は原爆を示し、左手は平和を、顔は戦争犠牲者の冥福を祈る

https://www.city.nagasaki.lg.jp/heiwa/3030000/3030100/p005151.html

長崎スタジアムシティ

原爆資料館から車でおよそ10分。次に向かったのは長崎スタジアムシティ。

2024年10月14日、日本サッカー界に新たな輝きが生まれた。長崎に誕生した国内屈指のサッカー専用スタジアム。そこは商業施設やホテルが隣接しており、夢のような場所だった。

来シーズン、ジュビロ磐田はJ2の戦いに挑む。そして、3月1日、このスタジアムをホームとしているV・ファーレン長崎との激突が予定されているが、私はこの大事な試合に駆けつけることができない。今からすでに胸が締め付けられるような悔しさが込み上げてくる。それでも想像してしまう。スタジアムに響き渡るチャント、湧き上がる歓声、そして試合終了のホイッスルまで息をのむ展開を。どれだけ遠くにいても、心はそのピッチの上で選手たちとともに戦う。

スタンド(左)と商業施設(右)

また、このスタジアムには、他では味わえない特別な体験がある。
ピッチを見下ろす――そう、スタジアム上空を駆け抜けるジップラインだ。
足元には美しく整備されたピッチ、空を切る風の感覚。夢のような時間を過ごした。

幼い頃から夢見ていた未来の世界。毎週テレビにくぎ付けになり、あの青いキャラクターを思い出した。あのころ憧れた「空を飛ぶ」という感覚が、今、現実となった。22世紀の未来をほんの少しだけ生きているような錯覚に陥る。

サッカー好きとして、この体験がいかに特別かは言葉では表せない。

ハーネスはVファーレン長崎のチームカラーである青とオレンジ

稲佐山展望台

次に向かったのは、稲佐山。日本三大夜景のひとつ、長崎の夜景は、星が見えない冬の曇り空でも息をのむ美しさだった。山と海の暗さ、日没直前の空、そして街の灯りが織りなすコントラストが見事であった。

長崎新地中華街

横浜や神戸の中華街とは違い少し閑散としており、賑わいは控えめであった。
私は「京華園」で麻婆豆腐定食と青椒肉絲を頂いた。
写真は撮り忘れたが、この旅最後の晩餐に相応しい味わいであり、しっかりと心に刻まれた。

月と海

旅の最後の旅館は「月と海」
ここはゲストハウスの様なカジュアルな雰囲気で夜22時以降は施設管理者が不在になるという少し変わったスタイルだ。素泊まりのみだが、窓から眺める景色が最高との評判でこの宿に決めた。到着した頃にはすでに真っ暗なため明る朝に期待。

いいなと思ったら応援しよう!