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フロストパンク、オモロすぎワロタ

負債とはいったいなにか?負債とは約束の倒錯にすぎない。それは数学と暴力によって腐敗[変貌(corrupted)]してしまった約束なのである。もし自由が(真の自由が)友をつくる能力であるならば、それはまた必然的に真の約束をなす自由ということにもなる。

負債論 デヴィッド・グレーバー P578

ゲームの話をする。

本稿では、主にフィクションの面から、フロストパンクというゲームの価値を再確認することを目的とする。


フロストパンクとは

フロストパンクというゲームがある。
初代Frostpunkは2018年に発売され、フロストパンク2は今年2024年の9月21日に発売された。
舞台は、二つの火山の大噴火によりもたらされた強烈な寒冷化が人々を襲う世界。
陸地のみならず海すらも凍り付き、雪と氷に覆われた過酷な環境下、生き延びた人類は巨大な蒸気ジェネレーターの元に身を寄せ、アジール的な共同体を成す。
プレイヤーは倫理と合理の狭間で懊悩しつつ、その共同体を導く必要がある。

初代Frostpunkでは、共同体を存続させるためのサバイバルゲームとしての側面が強く、集落のキャプテンとして数百人規模の集落をまとめ上げ、熱源の稼働・運用、住民の生命、不満や希望をコントロールしつつ、原始共産制様の生活様式から、自らの統治を確固としたものとした封建制へと歩を進めることとなる(もしくは、より柔和な統治方法を選択する事も可能である)。

フロストパンク2では、初代Frostpunkから30年後の世界、更に巨大化した共同体の姿を描いており、サバイバル要素に加え、共同体としての在り方、街の成熟、政治の勃興、複数の共同体を稼働・運営する姿などを描いている。

率いる民の規模感は数百名から
数万名へと

初代Frostpunkもフロストパンク2も共通して、生半可な道徳心を持つことは許されない難易度を持つ。

民草へ、時には子供達へ、昼夜を問わない労働を強い、劣悪な食事を提供し、より過酷な環境下の地へと派遣する、そのような選択を取らざるを得ない場面が多々ある。
寒さへの対策を基本として、資源の採取速度、消費のバランス、資源の枯渇、人材の配置、人々の理念、思い、健康状態、様々なパラメータを考慮し、熟考を重ね、苦渋の決断をし続ける。
そのビターさもフロストパンクの醍醐味だ。

プレイヤーのモラルを問う

また、ゲーム内住民も愚直にプレイヤーに従うばかりではなく、不満が募ればプレイヤーは街から追放という処遇となり、ゲームオーバーとなる。
初代Frostpunkではキャプテンとして、フロストパンク2ではスチュワードとして、住民の信頼に応え続けなければならない。

共同体の住民は、度々、プレイヤーに対し、タスクを課す。
数日内に住居を用意すること、集落を暖めること、救護所を用意すること、法案を通すこと……。
ただでさえ常に枯渇に脅かされている資源・人材に輪をかけて消費が加速する事態となるが、対応を拒否、ないし期日までに要求を満たす事が不可能であった場合、ペナルティが待ち受けることとなる。
時に、それ一つでゲームオーバーとなるほどのペナルティの場合もある。
ゲームをプレイしている間は、プレイヤーは住民に対し、信用を売り、約束を背負い、約束を果たし、賛同を得、更なる信用を獲得する必要がある。
このサイクルを途絶えさせ無い限り、あなたの統治は永遠のものとなるだろう。
それが可能であるならば。

信用の失墜はプレイヤーの死に繋がるが、約束をギリギリで達成したときのカタルシスはひとしお

フロストパンク2について

人皆党有り。また達る者少なし。
聖徳太子

現在、フロストパンク2はSteamレビューでは『やや好評』となっている。
否定的な意見を見ると

> 初代Frostpunkと比較して、煩雑になっただけ
> 初代Frostpunkと比較すると、住民がただ数値として管理されていて、ドラマ性に欠ける
> 頻繁に起こるクラッシュ
> 不便なUI

という感想が目立つ。

フィクションの面から話をしよう。

前述の通り、フロストパンク2は初代Frostpunkと比較し、率いる共同体の規模が異なる。
アリストテレスは「人間はポリス的動物である」と、聖徳太子は「人は皆、党(たむら)を作りたがる」と述べたという。
人が集えば、そこには〈党〉が生じる。
フロストパンク2では〈党〉、つまり、政治の興りについて表現しており、その特徴として〈派閥〉というシステムが搭載されている。
信念、理想、背負う過去、思い描く未来、それらの相違、そして更なる権力への渇望により、対立する派閥たち。
フロストパンク2では、サバイバルに加え、それら派閥同士の勢力均衡への調整が非常に重要な要素となる。
派閥システムによって、前作より、よりゲームとして複雑化したことは間違いない。

ゆかいな派閥(一部)たち

しかし、機能としての派閥の特色はそれほど色濃くはない。
フロストパンクではゲームを進行する上で『研究所』という施設の設立・運用が非常に重要となる。研究所では、街の運用のための新たなアイデアや困難への対処法を得る事が出来るのだが、フロストパンク2での派閥は、同じ課題に対し、それぞれ異なる方法を提案する。
だがそれは、下図のように、派閥同士で大きな差を持つものではない。

結構提案してくるアイデアは似たり寄ったり

設定上は様々な信条が存在するが、現実社会の左派・右派のような強度のコントラストを持つ派閥は無く(私がプレイした範疇では)、むしろプレイヤーはイベントでのテキストに見応えを感じることであろう。

特徴的なイベントはあり、プレイヤーを楽しませてくれる

前作より管理すべきパラメータが増加した割には、派閥同士の特色は薄く、その事が前作既プレイのプレイヤーに対し、そもそも派閥システムの必要性に疑問を感じさせ、そのことがプレイ体験に対し満足感が薄まる一因であったのかもしれない。

賛否が分かれる派閥システムではあるが、私は好ましく、また説得力があるものとして受け取った。
群衆は、しばしば非合理で情動的な行動を取る。
そのことを正直にゲームに取り入れたことが、私には現実を上手くフィクションに組み込み、エンタメとして昇華しているように見えた。

非合理で情動的で宗教的、だからこそリアル

フロストパンク2で表現する共同体は、個人が集団の中に埋没しており、かつ、集団が強固に統合されている。
そのためNPCの個人としての人格の強度が感じられず、その結果として、前作よりもドラマチックさが薄れたという感想に繋がるのではないか。

「ソウルが無い」という興味深い感想

雑感

前述の通り、初代Frostpunkでは集落の規模は数百人程度である。そのため、一人一人の個人の生死に対しプレイヤーは特別な感情を持ちやすかった。
生存を寿ぎ、死を悼むという、原始的なモラルがあり、そこにドラマがあった。
しかし、フロストパンク2は、人々の集団としての振る舞いに焦点を当てた。
誰しも体験した事があるであろう、集団が持つ独特の言葉にし難い手に負えなさ、その集団の愚かさの描写にドラマがあるように感じた。

長々と記載したが、フロストパンク2は初代Frostpunkと比較して、大きく劣後する出来ではないと強く感じる。
大胆に刷新したシステムや、管理すべき項目の増加に忌避感を覚えるプレイヤーが多かったものと推測するが、容赦のない難易度、スリリングな展開、街並みが発展する楽しさなど、プレイヤーをゲームに没頭させる力が衰えているようには思えない。

読者諸氏も、死と隣り合わせの極寒の大地で集団を導いてみてはいかがだろうか。
初代Frostpunkもフロストパンク2も、どちらも強くお勧めできる。
初代Frostpunkでは、自然の厳しさ、容赦のなさ、
フロストパンク2では、人間の醜さ、愚かさ、残酷さ、身勝手さ、そして愛おしさ、それらを味わうにつれて、自らの醜さ、愚かさ、残酷さ、身勝手さと向き合うことを余儀なくされるであろう。

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