テキストは死なない。これからのクリエィティブのおわりとはじまり:シリーズ講座「リ/クリエーション」総まとめ座談会レポート
文:矢代真也
プロジェクトなどの終わりに行なわれる宴会をさす「打ち上げ」という言葉がある。そもそもの語源は平安時代に始まった雅楽の演奏者たちが、太鼓などのパーカッションでお囃子の盛り上がりを一段と高め、「ひと区切りをつける」ことをさしていたという。
2019年11月8日に開催されたプレイベントからはじまった、シリーズ講座「リ/クリエーション」は、2020年6月28日に総まとめ座談会が実施され、プロジェクトとしては一旦の終わり、つまりは「打ち上げ」を迎えることとなった。「渋谷からはじまる世界遠足」と題されたプレイベントでは、ゲストと参加者が渋谷の街を散策し、街の余白を探し歩いた。
ただ、リ/クリエーションは、そんなプロジェクトがスタートした当初にはまったく想定されていないかたちで幕を下ろした。プレイベント後に、シリーズ講座に参加したA/Bコース参加者たちは、計10回以上にわたる講義を体験しながら、自分たちのプロジェクトをスタートさせたが、ちょうどプロジェクトが立ち上がろうとした3月〜4月のタイミングで新型コロナウィルスの感染拡大が始まったのだ。
▲2019年11月に実施されたプレイベント。
危機のなかでの進化
もともと、SHIBUYA QWS(以下、QWS)という共創のための空間で、メンバーたちはプロジェクトを育んでいくはずだった。ただ、緊急事態宣言下ではそれもかなわず、オンラインでのコミュニケーションによって、それぞれのプロジェクトがクリエーションを続けていった。
リ/クリエーションのなかで最も新型コロナウィルスの影響を受けたのが、A/Bコースのあとに実施される予定だった、プロジェクトの発信力を考えるブーストコースだ。スケジュールを変更しながらも完全オンライン講座となり、「コロナ時代の新コミュニケーション術」をテーマに5月から6月まで、5回にわたり講義が行なわれた。
そもそも、「リ/クリエーション」は、「建築・パフォーマンス・ファッション・アートなど多様なジャンルを越境しながらクリエーションを育んできたドリフターズ・インターナショナル(以下、ドリフ)と、『問い』をコンセプトにした共創施設がコラボレーションし、渋谷という場所で『余白』から生まれる好奇心や思考をはぐくむプログラム」だった(プレイベントのレポートより引用)。バックグラウンドが異なる人々がまじわることで余白ある空間に生まれる「遊び」を意図したスクールは、場所がない状況を経て、どのように更新されたのだろう。
リ/クリエーション全体のラストを飾った総まとめ座談会は、前半に演出家の篠田千明(演劇作家)、SHIBUYA QWSエグゼクティブ・ディレクターの野村幸雄、後半に、NEUT Magazineの平山潤、MotionGalleryの大高健志をゲストにむかえ、ドリフの運営である中村、藤原、金森をモデレーターとして、ブーストコースで磨かれたプロジェクトについてコメントするかたちで進行されていった。
▲2020年3月に実施されたA/Bコース、マッチングDAY。
テキストは死なない
座談会ではまず、演劇の演出家としてタイのバンコクでも活動する篠田が考える演出論にフォーカスがあたった。2013年にリ/クリエーションを運営するドリフによる「ドリフターズ・サマースクール(2013)」で講師を務めた経験をもつ。その時は「起こす・立ち上がる」ということに興味があったという篠田は、いま「やめかた」について考えているのだという。
「そもそも演出とは、誰でもやっていること。たとえば、誰かの誕生日を祝うために、何を準備するかも演出。演出を劇場でやると、演劇になる。演出を共同作業していない場合は、終わらせることが意外と難しい。自分だけでやっていると際限がないというか……。演劇というものは死なないという感覚もある。終わった劇はすべて寝ているだけ。全部まだ生きている(篠田)」
そして、篠田は演出という行為は、テキスト(演劇の場合だと、たとえば台本)へのアクションともいえるという。「誕生日を祝う」という目的に対して、行なわれたアクションが演出そのものなのだ。篠田の発言をうけた野村はQWSを立ち上げるときに込めた思いを語った。
「まちづくりというものは、建物をつくるだけでは達成できない。QWSは、カオスで定義できない文化を渋谷につくることが目的。そのために、どんな建物や空間が必要かを考えた結果、QWSが生まれた。QWSはまだ始まったところだが、文化が変わっていく中で、建物が終わることもある。だからこそ、いまこの瞬間に対して、どんな付加価値を加えるかが重要になってくる(野村)」
そんなQWSから場所を育てる試みも生まれている。リ/クリエーションから出発しQWSチャレンジでも採択された、家を育てるプロジェクト「HOME.」だ。もともと、新しいシェアハウスをつくるという目的をもっていたこのプロジェクトに対して、篠田は「育てる」がテキストなのかと問うた。それに対してメンバーは、テキストとしての「育てる」を実践するなかで、その意味を考えていきたいと答えた。プロジェクトにとって、BOOSTコースは、これから演出する「テキスト」と出会う場所になったのかもしれない。
また話が進むに従って、話題になったのが緊急事態宣言下で行なわれてきたコミュニケーションだ。運営チームのメンバーは、Discordというチャットサービス上に「小部屋」を複数つくったことが効果的だったと指摘した。「トイレ」や「居酒屋」、「マネージャー部屋」のような機能が想定されていないチャンネルをつくったのだという。そもそもバーチャル上では存在しない「トイレに行く」という振るまいを空間化することで、リ/クリエーションに関わるメンバーはある種の「余白」を感じられたようだ。
▲2020年5月23日に明和電機を迎えた、ブーストコースの講義第2回。
しなやかに呼応するための経済
その後の第2部では、社会問題を誰もがフラットな目線から扱えるようにメディアを展開するNEUT Magazineの平山と、クリエィティブなアイデアを実現するための新しいお金の仕組みをクラウドファンディング・プラットフォームのMotionGalleryを通じてつくってきた大高が登場。社会とプロジェクトのつながりについて議論が進んでいった。平山は、自身が編集長を務めるNEUT Magazineがもつ社会性をお金という切り口からこう説明する。
「メディアをできるだけインディペンデントな状態に保っておきたいという意識がある。届けたいことを届けるために、嘘はできるだけ入れたくない。だから媒体に広告を入れないかたちで、いかに収益化できるかを考えている。メディアは、取材対象者や写真家など、様々な人が関わって運営されている。そこに関わっている人たちが納得できるような最大公約数を見つけることが大切(平山)」
モデレーターの藤原は、そこにも篠田のいうところの「演出」があると指摘する。関わるプロジェクトにおける演出に関わる人数が増えることで、経済活動は自然と生まれていく。それは誕生日会に参加する人が増えると、会費が必要になっていくことに似ている。大高もまた、お金を起点にプロジェクトがスタートすることの問題を指摘する。
「そもそも、なんのためにプロジェクトを進めるのか。それを認識することが一番大切。たとえばスタートアップだと、上場が自己目的化していってしまうところがある。投資を受けることが目的になってしまうと、悪い意味でゴールが決まってしまって、拡がりがなくなってく。もちろん赤字にしないというのは継続性という意味でも大事ですが……(大高)」
モデレーターの中村も、「お金を生み出すため」ではないプロジェクトを生む場所としてリ/クリエーションがあったと、これまで生まれてきたプロジェクトを振り返った。ただし、「赤字」について大高が語ったようにお金を何とかして生み出さなければ、プロジェクトを続けることは難しい。利益を生み出すことから一定の距離を置きながらも、継続のあり方を模索する。そのバランスが重要になってくる。
継続という意味では、モデレーターの金森が言及した「今日を積む」というプロジェクトも印象的だった。緊急事態宣言から毎日たんたんと、その日の新聞を丸め、インターネット上で「拾った」石の画像に模した石のオブジェをつくり続けていく作品。ブーストコースでは他の参加者とオンライン上で議論するなかで、「緊急事態宣言だから、このプロジェクトは始まったのか?」という問いと向き合うことになった。自らの作品を時事的な文脈から一度引き離して「寝かせる」ことで、今後の作品としての展開を考え直しつつあるという。
投資や広告、そして日々変化する状況に軸をブラさないインディペンデント性は、時代に呼応しながらも行き先を見失わない「しなやかさ」をキープするために必要になってくる。その意義は、コロナ禍のような未曾有の危機に直面するいまこそ、見直されていくだろう。
▲2020年6月19日に開催された「QWSステージ#02」。リ/クリエーションからは「アスマス美容室」と「HOME.」が参加しピッチを行なった。
また「目を開く」ために
そもそも、リ/クリエーションは最終的なアウトプットをどうするかが、明確に定義されていないスクールだった。だからこそ、誰も体験したことがない状況でそれぞれがアウトプットを探していくことになった。その過程は決して無駄なものではなかった。
たとえばバンドとして活動をはじめたプロジェクトの「しんたいさんか:超伝動」をはじめとして、「詩」に関係した取り組みが多かったと藤原も振り返る。混沌とした時代に明確なビジュアルを提示するのではなく、流動的な状況に抽象的なテキストはもっと意味をもつのかもしれない。そして、プロジェクトメンバーに対してやめ方を自分で決める必要がある。
「テキストは死なない。篠田さんが言った通り、演劇という行為は演出によってテキストをおこし、終わらせるプロセス。またプロジェクトを始めるときのために、演出するテキストをつくっておけばプロジェクトが終わることはない(藤原)」
野村が語ったとおり、QWSのような空間は街の文化をつくるために存在しているのであれば、それが効果を発揮するためには時間がかかる。そのときまで、場を育みつづける必要がある。半年の期間で生まれたプロジェクトが種のようにまかれ、また芽を出すときがくる。座談会のなかで篠田はまちづくりについて、こんなことを語っていた。
「まちづくりという行為のなかに、目を開くというテキストを置いて、考えてみるといいかもしれない。目を開かないと、一日は立ち上がらないから。たとえば、渋谷のビルの15階で目を開かないで、目を開くにはどうしたらいいのか。すれ違いながら、目を開くためにはどうしたらいいか。色々できるかもしれない(篠田)」
総まとめ座談会が終わったあと、藤原が講座のタイトルに「ドリフターズ・インターナショナル」の名前を入れなくて本当によかったと語っていたのが印象的だった。誰の名前も冠されていない「リ/クリエーション」という講座名は、今後の新しい展開の可能性を内包する。参加者同士が「リ/クリエーション」の名を冠した新しい取り組みを始めることもできる。「遊び」「余白」「復造力」といった意味をもつ「リ/クリエーション」というテキストは、決して死んでいない。今後も演出される可能性を秘めながら、一旦の「打ち上げ」となっただけなのだ。
▲リ/クリエーション受講生との集合写真。
これまでのリ/クリエーション ブーストコース講座レポートはこちらから!>https://note.com/qwsdrifters