角砂糖
日が暮れてから、恋人と六曜社に行った。六曜社、というのは三条にある六曜社珈琲店のことであり、私がここに行くのは何ヶ月か振りだった。
コーナーのかたちをしたソファで、年配のお一人様と相席させていただいた。私は珈琲を、恋人は紅茶を頼んだ。
彼は昨日提出したという修士論文のさわりを見せてくれた。それは十二万字、百五十ページに及んでいた。文字を目で追いながら、こんなに自制的で篤学な人と一緒にいる資格はあるのだろうかと、真剣に悲しんだ。すくなくともその瞬間は。
お互いが今映画館で観たい映画を言い合った。彼が観たいのは『SUPER HAPPY FOREVER』と『大きな家』らしく、私は知っている前者を薦めた。私のは『Welcome Back』だが、これに彼はあまり興味を示さなかった。
本も沢山読みたいんだよね、と言った彼に、文化に触れる最後の長い時間だもんね、と返した。彼の学生生活は春までだから。でも、これからも文化には触れるつもりだけどね、と彼が呟いたので、私はどう反応すれば良いかわからなくなった。
向かいのお客さんはいつの間にかいなくなっていて、床に落とされた角砂糖だけ残った。
レジに行くとお会計は1,200円だった。飲物の価格が100円ずつ値上がりしたことに初めて気がついた。
晩ご飯は六曜社の近くにある鎌倉パスタで食べ、それから自転車で彼の家に行った。ドラッグストアに寄って日用品と、アイスを買った。
部屋では幾度となくそうしてきたように、ベッドのうえで戯れ、抱き合った。私をくるりと両腕におさめたまま彼は眠ってしまったので、エアコンの弱風にゆれる部屋干しのタオルを茫然と眺めるほかは無かった。
しばらくして起きた彼と交代でお風呂にはいった。上がったあとはふたりとも座って無心でアイスを食べた。
夜が更け、彼が毛布をかけて電気を消してくれた。
「ずっと目が開いててこわいよ」
「考えごとしてるの、今日あったことについて」
「じゃあ思い出しごとだね」
思い出しごと。
「一日を過ぎるとさ、わすれてしまうじゃん、だから思い出して残しておかないと」
「日記を書かなきゃだね」
「あなたは日記書かないの?」
「日記を書くときは死ぬとき」
まるで適当な感じに、そう彼は言ってみせた。何故かと訊くと、寝るから、と理由になるのかならないのか判らないような答えをされた。私はじゃあ日記を書いて寝る、と言って、スマートフォンをひらくポーズをした。
彼はまもなく本当に寝息を立て始めたから、私も本当に日記を書き始めた。