話
いちど母親が起こしてくれたが、二度寝した。下の階にいる母はしびれを切らして、電話をかけてきた。それで、ようやっと10時半に起きた。
日記屋 月日さまからメールがきていた。フォローしている方の投稿で知って私も応募していた、12月8日の日記祭に出展させていただくことになった。一日通しで、屋内での直接販売ができる。大変うれしい。停滞していた日記本作りのやる気が俄然湧いた。
母と、市内随一の観光地を訪れた。夏がカムバックしたみたいな暑さだった。
行きたかった素敵な和食屋さんの整理券が1人分しかなかったので、草が生い茂る近くのカフェに行った。母はカレー、私はガパオライスを注文し、プラスでデザートも頼んだ。カレーとデザートにはハーブがついていて、これ絶対に店前の庭で収穫したやつやろと言い合った。ハーブをかじってみたが噛み切れず、むしゃりと全部食べた。
その2階にある、フランスで買い付けたアンティークの品々を取り扱う雑貨屋さんへも行った。こそこそと見て回ったけれどなにも買わなかった。
それから、今日のお目当てだったドーナツ屋さんに行った。全種類ひとつずつ、計6つを買ってもらったが、そのうち半分は穴の空いていないドーナツだった。そういえば、ドーナツの本質は穴が空いていることじゃないのかなあ、と疑問に思った。調べたら、むしろ穴の空いたドーナツのほうが空いていないそれよりも後だった。
炎天下でめちゃめちゃ歩いて、またもやカフェに行った。あとで母は、思っていた感じのお店じゃなかったなぁと言った。
一旦帰宅し、洗濯物をたたんでくれている母の隣で仮眠をとった。17時半に、祖父母のお家へ向かった。
私たちのために、祖母は足が悪いのに、祖父と一緒にお惣菜を買いに行ってくれていた。そして食卓にはご飯が満ち満ちと並べられた。私は、母からも祖父母からも愛情をたっぷり注がれて育ったのだと自覚している。帰省すると、なんてしあわせなのだろうと、身に沁みてわかる。
途中、仕事帰りの叔母が食卓に参加したので、私のなかで緊張が走った。子どもの頃はとても仲の良かった叔母と、あるきっかけで気まずい経験をし、それ以降私はまともに話せなくなっていた。今日も目を合わせられず、一対一で会話をすることはできなかったが、母や祖父母を介してであれば笑い合えた。ひとつ進歩かもしれない。
『光る君へ』を観た。もし私が平安貴族だったとしても、曲水の宴においてアドリブで出来の良い和歌を詠む自信はない。宴自体は優雅で楽しそうだけれど。
母と、持ってきたドーナツを1個半ずつ食べた。お風呂上がりの祖母は、今は食べられないと言って笑った。
祖母の寝室でごろごろしていると、テレビで三谷幸喜監督のインタビューが流れた。私の人生ベスト1の映画である『ザ・マジックアワー』製作は、佐藤浩市さんに上下運動をさせたいという監督の思いが発端になったと知った。すぐに当作を観たくて堪らなくなった。デラ富樫。
祖母と別れ、母と実家に帰った。恋人から電話を打診された。「晩酌してて、そのノリで誘ってみた」らしい。なんとなく、彼が晩酌という言葉を使う人で良かったな、と嬉しく思った。色気のある言葉に私はときめく。母がお風呂に入っているあいだに、40分くらい話した。
饒舌になっていた彼は、私が家族の中でどういう立ち位置なのか想像がつかないだとか、私は口が達者で、答えられない質問に対してのらりくらりとかわしている印象だとか言っていた。秘密にしていることはまた対面で話すよ、と私が返すと、彼は不満気な様子だった。
彼は、深めの話を面と向かってするのは得意ではなく、電話のほうが話せるらしい。しかし私は逆で、真剣なことほど向き合って話したい。その違いをどう埋めるべきか、考えなくてはならないなと思う。
私は彼に自分のことを話したくないわけではない。そもそも私がリアルの場であまり自己開示をしないのは、相手に打ち明けるだけの価値を自分の話に見出していないから、という理由もあるのだ。思い起こすとこういう性格になった原因もいろいろあって、一晩の電話でぱっと喋ってしまいたくはないし、私自身も把握できていない。それについてもいつか彼に言わねば。
noteに公開している、この日記のことも。