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N型の理想と現実の差

noteの記事を読んでいると、ある考えが浮かんだ。「N型の人は、他人に少し理想を求めすぎではないか?」ということだ。その理由として、些細な出来事に対する不満や愚痴が、N型の人々に多いと感じたからだ。

N型は抽象的な思考や理想に重きを置き、物事の裏にある意図や意味を深読みする傾向がある。そのため、現実の出来事が自分の理想と噛み合わないと、不満が生まれやすい。特にその理想が現実とかけ離れている場合、他人に過剰な期待を寄せることになり、それが思わぬ反応や衝突を引き起こしているようにも見える。

たとえば、遊びに誘うメッセージで「暇そうだから」と言われただけで、「私は好きで暇をしているわけじゃない!」と憤慨する人がいる。だが、冷静に考えれば、これは単なる価値観の違いに過ぎないと気付けるはずだ。遊びに誘ってくる相手が、わざわざ煽るために「暇そうだから」と言うだろうか?むしろ、その場で感じた状況をそのまま表現したと考える方が自然だ。

もちろん、「暇そうに見られるのが嫌だ」と感じる人がいるのも理解できる。しかし、それを完全に防ぎたいのなら、「今の私は忙しい」と書かれたプラカードでも掲げておかない限り、相手にその思いを伝えるのは難しい。人の価値観や思考は多様であり、そこに誤解が生じる余地は常にある。

「少し考えればわかることだ!」と憤るのは簡単だが、それはやはり他人に期待しすぎている。少なくとも「暇そうだから」と送るタイプの人に対して、その言葉選びに配慮を求めるのは、メタルバンドにクラシックをリクエストするようなものだ。彼らにとって、それはただの一言であり、殆どの場合は深い意図があるわけではない。そこに自分と同じ価値観を期待するのは、あまりにも傲慢だ。

ネットに愚痴を書けば、多くの人が寄り添い、共感してくれるだろう。その安心感は、暖炉の前で過ごすような心地よさを与えてくれるかもしれない。しかし、怒りを人前に出す前に一度、立ち止まって考えてほしい。自分がなぜ怒りを感じたのか。その怒りの火種はどこから生まれたのか。そして、それは本当に人にぶつけるほどのものだったのか。

一度何かに書き出して考えてみることを勧めたい。紙でも、メモアプリでも良い。言葉として形にして並べてみれば、怒りの正体が少しずつ輪郭を現してくるかもしれない。もしかすると、それは怒りではなく、疲れや不安といった別の感情が仮面をかぶっているだけかもしれないし、相手に対する期待が裏切られたことへの失望かもしれない。

怒りの原因を見つめ直すこのプロセスは、時間も手間もかかり面倒に感じられると思う。しかし、その作業を経て初めて、自分の感情をより正確に理解し、他者と対話する準備が整う。愚痴を書き込む前にこの手間をかけることで、感情の渦に飲み込まれることなく、自分の内面と向き合えるようになる。その先に真のコミュニケーションがあると私は考える。

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