
MBTI界隈に感じたズレ
私はかつて、MBTI関連の記事を読むのが好きだった。しかし、その熱が過去のものになってしまったのは、この界隈にズレを感じたからだ。そこで今回は、私が感じたそのズレについて語りたいと思う。
MBTIには正確性や信憑性に限界がある。それを理解した上で、私はあくまで一つのツールとしてMBTIを活用してきた。心理機能の特性を知ることで、自分の弱点を把握しやすくなり、また他者とのコミュニケーションで起こるズレに気付くきっかけにもなった。MBTIを自己成長と他者理解のための“きっかけ”として捉える姿勢を私は日本MBTI協会が示しているMBTIの理念だと認識していた。
しかし、ネット上のMBTI界隈は違った。そこでは、自分を慰めたり、タイプで人を強引にカテゴライズする風潮が目立つ。「自分は〇〇タイプだから仕方ない」や「〇〇タイプは“絶対”にこうだ」といった記事が溢れ、それが高く評価され、MBTI本来の用途に近いものが埋もれている現状に私は違和感を覚える。
私は、MBTIを通じて自己を甘やかすのではなく、各タイプの違いや得意や不得意を多角的に理解し、成長し合う姿を見たかった。けれど現実には、「自分のタイプの得意」をあたかも自分のトロフィーのように自慢し、不得意な部分はタイプのせいにして逃げる姿が多い。そして、それだけにとどまらず、他者を強引にラベリングし、タイプ以上の深い理解を放棄してしまう人々も目立つ。
MBTIが本来持つ可能性を感じていただけに、この現状に失望してしまった。
これは、社会の厳しさも知らず、辛さを経験したこともない未熟な子供の、単なるわがままに過ぎないのかもしれない。あるいは、私自身が狭い視野に閉じこもり、妄想の中で勝手に話を膨らませているだけなのかもしれない。けれど、もしこの記事を読んで共感や理解を示してくださる方がいるなら、どうかMBTIをより良い形で活用してほしい。それが私のささやかな願いだ。