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拡張ラテン文字のこと

note参加者の皆様、はじめまして。Qvarieです。

自分は子どもの頃から世界の文字に興味があります。特にラテン文字=ローマ字やキリル文字などの拡張文字に興味があり、それらがユニコードのバージョン更新で新規拡張文字が採用されると感激します。
現在まで生まれた拡張ラテン文字の総数は不明で、数多く生まれたものです。

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上の画像は拡張ラテン文字の大文字で、ユニコードにラテン大文字が存在しないもの、例えばフィー《ɸ》の場合はギリシャ大文字ファイ《Φ》又はキリル大文字エフ《Ф》で代用したり、チワン語旧正書法の第4声調記号はキリル文字チェー《Ч ч》と統合されていることからキリル文字のものを使用します。
国際音声記号の小文字シータ《θ》はギリシャ文字のもので代用し、そのラテン大文字はミドルチルド付きオー《Ɵ》かギリシャ大文字シータシンボル《ϴ》のいずれかを使用します。

拡張ラテン文字の簡単な歴史

ラテン文字は初期の頃からクラウディアン文字というラテン語の追加文字案やゴール語拡張文字などが生み出されてきました。

イギリスではアングロサクソン語の表記にルーン文字由来のソーン《Þ þ》やウェン《Ƿ ƿ》、Dに横線を加えたエズ《Ð ð》(※大文字はベトナム語やクロアチア語などのストローク付きディー《Đ đ》やエウェ語などのアフリカン・ディー《Ɖ ɖ》と同型なので注意)などを取り入れました。
アイルランドではインシュラー体を変化させたゲール文字が標準字体とされたのですが、ユニコードでは基本ラテン文字と統合されたものの、インシュラー・アール《Ꞃ ꞃ》などが拡張ラテン文字として一部採用されました。

中世ヨーロッパでは略字表記のためにコン《Ꝯ ꝯ》やフローリッシュ付きピー《Ꝓ ꝓ》などが生み出され、これらを使用した縮約法が多用されました。
ドイツ語ではフラクトゥール体を基盤としたドイツ文字が20世紀前半まで公式書体とされ、印刷文化の発達でテーツェット《ꜩ》などの合字やアール・ロトゥンダ《Ꝛ ꝛ》などの異体字も活字に取り入れられました。
現在も生きている合字にはデンマーク語・ノルウェー語などのアッシュ《Æ æ》やフランス語などのエゼル《Œ œ》などがあります。

中世のアメリカ先住民諸言語表記のためにヘング《Ꜧ ꜧ》やトレシーリョ《Ꜫ ꜫ》などが登場したり、ベトナム語のクォック・グーではホーン付きオー《Ơ ơ》などが登場しました。

19世紀-20世紀初期

19世紀中頃にラテン文字を基盤としたした人工文字が続々生まれ、1847年に正式版が公開されたアイザック・ピットマン式の表音活字は“フォノタイピー”と呼ばれ、英語の文字改革のために生まれ、何度も改訂されました。表音活字はコムストック文字/パンフォネティコンやシンシナティ文字などの派生文字が生まれ、アメリカのマリスィート語やフエゴ諸島のヤーガン語で表音活字が一時期使用されたこともありました。
表音活字はエシュ《Ʃ ʃ》など国際音声記号及びその派生アフリカ諸言語の拡張ラテン文字に採用されたものも結構あります。

国際音声記号は英語では国際音声学協会と同じ“IPA”が略称となっていて、ラテン文字をベースにギリシャ文字やフォノタイピーで字母を補ったものになっています。
IPA登場以前の音声記号はスウェーデン語方言記号や分析的正書法、レプシウス音声字母、ローミック、パレオタイプなどが登場しました。
IPA以後はウラル音声記号、ロシア言語学字母やアメリカ音声字母など各国独自の音声記号も登場しました。レプシウス音声字母の字母では本来[ʕ]音を示す二重プシリ《Ꜣ ꜣ》はエジプト学で半子音字ア《𓄿》を示すアリフ[ʔ]として採用されました。

マルタ語のヴァッサーリ式ラテン文字やアルバニア語のスタンブール文字、スロベニア語のメテルチッツァと、近世のヨーロッパ諸言語における文字改革でさまざまな拡張ラテン文字が生み出されました。
人工言語ではヴォラピューク語で当初拡張ラテン文字が使用されていたのですが、ウムラウト付き字母に変更されました。初期ヴォラピューク母音字はユニコードに採用されています。

明治時代から昭和初期の日本では独立仮名やひので字、東眼式新カナ文字などのラテン文字を改造した音節文字による新国字が登場したり、清朝時代の中国では切音新字というラテン文字改造の文字が登場しました。

1920年代以降の20世紀

1920年代から70年代ごろまでは拡張ラテン文字の黄金時代で、旧ソビエト連邦や中国、アフリカなどで拡張ラテン文字が多数誕生し、拡張ラテン文字の黄金期でした。

ソビエト連邦時代のロシアとその近隣諸国・地域では、ヤナリフと呼ばれる拡張ラテン文字体系が登場し、タタール語やアゼルバイジャン語などのチュルク諸語を主に、カフカズ諸語では多彩な拡張ラテン文字が生まれました。
同時期にトルコ語ではアイ《I i》に点付き《İ i》[i イ]と点無し《I ı》[ɯ ウ]で発音を区別する方法が導入され、現行のアゼルバイジャン語やクリミア・タタール語などにも採用されています。
アディゲ語ヤナリフは原則的に小文字のみが使用されたのですが、タイトルケース用に大文字が稀に使用されたこともありました。

ロシア及び近隣諸国における独立国家共同体時代前後に、トルクメン語では一時期ドル《$》, セント《¢》, イェン《¥》, ポンド《£》といった通貨記号を改造した拡張ラテン文字が一時期使用され、イェン《¥》の小文字がダイエレシス付きワイ《ÿ》でポンド《£》の小文字が字下げしたロング・エス《ſ》という風に個性的なものでした。
アゼルバイジャン語では旧ラテン文字正書法であるヤナリフからシュワー《Ə ə》が採用されたりトルコ語と同じくアイの点の有無の区別がされた新正書法が導入されたり、チェチェン語では一時期独自の拡張字母を含んだ正書法が使用されていました。

中華人民共和国になってからの中国ではチワン語やウイグル語を始めいろいろな言語で拡張ラテン文字が一時期使用されたことがあり、ミャオ語やリス語などその字母の一部は吉川弘文館・刊『世界の文字の図典』で確認できます。80年代にチワン語では英語と共通のラテン文字26字、ウイグル語では拡張アラビア文字にそれぞれ正書法が変更されたことで拡張ラテン文字が廃止されました。
リス語はミャンマーなどでフレイザー文字という改造ラテン文字が現在も使用されています。
中国語普通話のピンイン草案ではフック付きエス《ʂ》やスモールキャピタル・アイ《ɪ》など拡張ラテン文字を使用するもので、現行の連字方式と大きく異なるものでした。

アフリカ諸国・地域の言語の共通表記法としての拡張ラテン文字体系が数種類生まれ、国際音声記号をもとに作成されたものになっています。これらの表記法から拡張ラテン文字を取り入れた言語も増加しました。
レバノンのレバノン・アラビア語では20世紀後半に独自の拡張ラテン文字を含む正書法が導入されています。

アメリカやカナダの先住民の言語ではベルト付きエル《ɬ》やグロッタルストップ《Ɂ ɂ》などを導入した正書法を使用する言語が見られます。アメリカではユニフォン文字やセンコテン文字など原則的に大文字のみを使用する先住民諸言語用拡張ラテン文字正書法が登場し、ユニコードではセンコテン文字はフレイザー文字と異なりラテン文字と統合されています。ちなみにユニフォン文字は本来英語の文字改革のために生まれた改造ラテン文字です。

1989年に国際音声記号が整備され、その後の改正ではいくつかの字母の導入や修正が行われています。
ラテン文字をもとにした人工文字では、アメリカ手話表記用のストーキー文字が誕生しました。

21世紀

21世紀になると新規拡張字母を導入する改正を行うラテン文字使用言語は減ってきたのですが、ドイツ語では小文字のみのエスツェット《ß》に大文字の《ẞ》が導入されたことはユニコードに大文字が採用されたことが大きいようです。
スペイン語・ポルトガル語・カタロニア語など単語に性別が存在するロマンス諸語では本来スーダンのコアリブ語のために生まれたアット《@》の大小文字を導入して性別を問わない単語を表記する運動も出てきています。

アメリカのオセージ語ではラテン文字を改造した独自の文字体系であるオセージ文字が21世紀初頭に生まれ、ユニコードに採用する際に拡張ラテン文字として採用する案があったもので、本来大小文字の区別が無かったオセージ文字に新たに小文字が作成されました。

音声記号では国際音声記号にない字母を大量に導入したCanIPAが登場しました。エヴァータイプ社では英語で使用される国際音声記号の大文字を使用した書籍を販売し、これらの大文字がユニコードで採用されました。

世界の文字の大手サイト『Omniglot』などでラテン文字を改造する人工文字を発表する場も増えてきています。フォントではにしき的フォントでユニコード未登録のラテン文字を外字で使用できる環境を与えています。

今後も拡張ラテン文字の動向が気になります。

備考

■画像に使用したフォント : Noto Sans Black

参考資料

・亀井孝, 河野六郎, 千野栄一『言語学大辞典(別巻)世界文字辞典』(三省堂)
・亀井孝, 河野六郎, 千野栄一『言語学大辞典(4)下2』(三省堂)
・世界の文字研究会『世界の文字の図典』(吉川弘文館)