見出し画像

今さら聞けない!アパルトの中の恋人達のどこか切なく、生々しい感覚。

ネットの胡散臭い記事みたいになった。 あれ長い前置きして
「まだわかりません!」って結論で言ってくるのずるいよね。

恋愛経験がないのに恋愛最中の気分になる

プリンと醤油を混ぜたらウニになる!っていうけど
ウニ食ったことないから分かんないよ!!!!
的な感じで恋愛・失恋ソングは無理して聞いてるとこある。
でもこれは麦茶とオレンジジュースでリンゴジュースになるくらい
分かりやすくてしっかりエモーショナルが伝わる曲。
ほなもうリンゴジュース飲めやって話だけど。

正直、これを聞いた後こんな感じの関係性になりたいよねーっと
薄っぺらいことを思ってしまう。

コントラスト大好きおじさんなので、アパルト(略称)は
それが顕著にあって好きなんㇲ。

イントロ~1番まで見ていきましょう

何とイントロ 50秒以上あります。今やイントロは退屈を誘うものと
認識されてしまうほど扱いにくいものになりつつある時代というのを
考えると、50秒ってすごいなあって思います。でもこの50秒は
退屈どころかどことなく高揚を誘い、そんでもってこの50秒の中にも
ドラムが18秒あたりから26秒あたりまでクレッシェンドで強めの殴打
そして一瞬ギターのみになり再び3種の楽器がそれぞれの呼吸を始める
イントロは複雑でもなくシンプルなのに、1個のクラシックを聴いた感覚。そして歌いだし。

彼女の寝息を確かめたあと
部屋を出て夜を吸い込んで
戦争が起きたらどーしよーとか
脈絡のないこと 考えてた

「恋人たち」「彼女」というところからアパートに住む二人のうち男性側の視点から始まる

吐かれる呼吸を確かめ、外に出てタバコを吸ってんのかなと思います。
彼女の寝息を確かめる という行為は生存確認なのか 
はたまた起こしてしまったり、起きたりはしてないか?という意味合いか。
後者の方が現実的だが、どちらにせよ 彼女のことをまず一番に
起きてから心配するあたりどことなく優しさのある男性なのだろう。

僕はまだ18故にタバコは吸えないが、タバコを吸う友達はよくいる。
あの、互いに幼いときから一緒だった友達がそんなことをしてると
注意するまでもないけど、どこか切なくなる。 でもタバコぼーっと
吸ってる友達のほうがどこか切なく見える。それくらいタバコは
得体のしれない何かに浸からせてくれるんだと思う。
だから「戦争が起きたらどうしよう」っていう
普段じゃ考えることもないことも考える余裕ができてる。
だいぶ飛躍した考察だがアパルトが収録される
「REGRESSIVE ROCK」は2011年6月8日リリース
そしてその年の3月。東日本大震災の4日後にはシリア内戦という今も続く
内戦が始まった。そんな世界の終わりのような最中で作詞作曲した
山田亮一は若干の畏怖も感じ、こんな歌詞を散りばめたのかなんて思う。
ほぼこじつけですまない。

誰も知らない所で
虚しく色を変える夜の信号は
まるで今の自分そのものだった
もたげる首の角度までおんなじだった

ベランダとか、最低だけど彼女の寝る横で吸えば済むタバコを
誰も知らない、迷惑のかからないところで吸う男性。
誰も通らない、感謝もされずとも色を変える信号。
どちらも誰かに見られずとも、客観的に見たら良いことをしてるが
感謝されるまでもないことで それは己も分かってるような態度。
「今の自分」という親近感を信号に抱いている。

もたげた首の状態と信号がおんなじかといわれるとあまりしっくりこない。ということで比較してみる。

足と地面に接してる部分を揃えて比較

ちょうどハヌマーンの2ndミニアルバム「RE DISTORTION」より
同じ位置に男性がおり視点が若干上向きなので比べやすかった。
こう見るとなんとなく合点がいくなるほど、信号と電柱を含めての
見方だったのか。と勝手に納得した(多分違う)

そしてサビ

予定のない今日の月の形
夜にかじられたようなそんな形
あの月はなんて名前なのかな
理科の授業もっとちゃんと聞いとけばな

     予定のない今日の月の形

もたげる首⤴           夜の信号

という風に自然とサビへの流れが目線を基準に容易く想像できるのが
ハヌマーンらしい面白い工夫。

教養がないゆえに「夜にかじられた」というメルヘンチックな
言い方しかできない自分の愚かさを今になって少し後悔してる。
この後悔は大人になったらより多くの頻度で訪れるものだと思う。
「ちゃんと勉強しとけば」だなんて期末試験くらいでしか思わないことが
日常の中で自分でも悪いと思うほど馬鹿なミスで叱られたり
指摘するのも億劫なマウントを何気なくとられたり
自分がいかに世間知らずで能無しか知らしめられたり
そんな瞬間にその類の後悔をこんなにメッセージ性に落とし込むのではなく
物語の一粒として混ぜるのはなかなかレベルが高いなあと思った。
また、「理科の授業」というどことなく小中の自分を
思い出させるノスタルジーをうまく含んでもいる。
高校生になるとそれは化学、地学、物理、生物という4つに分かれる。
それに月の形 だなんてことは小中授業特有の
「そんなことよりももっと難しいことを
覚えにゃならんからその”そんなこと”を今のうちに学ぼう」
という意味合いの程度の知識である。でもその方が楽しかった。
でもそれすらも無視し真面目に聞かなかった
ツケが回ってきたなぁとうっすら思ってる。

良いノスタルジーと悪いノスタルジー両方を含ませ、
それでもって物語の流れをしっかりと維持されているサビ。
「あの月はなんて名前なのかなぁ」「(中略)聞いとけばなぁ」
「なぁ」という語尾がわかりやすい後悔の念を投げてくる。そこもいい。

2番にいきます

古い人形抱いたまま眠って
目が覚めたら彼は部屋にいなくて
浴槽のお湯流したっけだとか
明日の朝食のこと考えてた

女性視点に移動

1番の男性視点とは打って変わり女性視点になる。
ちなみにドラムから「タタタ」と聞こえ二番が始まる。
これは場面転換の意味を込めたドラムかと思う。このタタタのおかげで
2番にスッと入れる。サビと同じようなリズムだと
「まだサビ?それとももう2番?」と困惑してしまう。
そのために2番に入る前に若干の間奏入れる。
でもそうせず違和感を覚える不自然なタタタがうまく刺さって
「あ、2番になったな」と気づかせる上、間奏がなく2番に入るため
6分26秒という長い曲なのに「もう終わった?」と思わせてくれる。

「目が覚めたら彼は部屋にいなくて」
男性は寝息を確かめるほど気にかけてるのに女性は部屋にいないことに気づきつつもそのあとはお湯を流したかだとか明日の朝ごはんとか
生活のことを考えてる。男性がどこかなぞ、さほど興味又は心配なし
これは脈絡のない「戦争」という非現実的な男性と比べて
嫌なほどに現実的な女性。そのうえこの2つの生活の心配は
「男性を加味したうえでの生活」の心配よりかは
「一人暮らしのような生活」の心配に近い。 
だから女性はうっすら もしかしたら無意識的なのかもしれないが
男性との生活になんとなく「飽き」のようなものを感じてるのだろうか。

なんとここでギターソロが入ってくる。
すごく新鮮だった。脈絡のない感じでこのギターは男性が
タバコを吸いきって帰路についている途中なのかなぁと
勝手に思ってる。

守られるか無視される以外には
用途のない夜の信号は
ああなりたくないと思う女子そのものだった
不憫そうな姿までおんなじだった

アパートなのでベランダから見ているのでしょう

男性は信号を「虚しく色を変える夜の信号」
女性は「守られるか無視される以外には用途のない夜の信号」

男性は見た目 女性は中身 概念的な部分で信号を憐れんでいる。
男性はそれを自分に置き換え、女性は他人に置き換える。
男性的、女性的、といった今の多様性にそぐわない不快な考察しないが
明らかにこの二人の男女の価値観の相違的なものがさっきから顕著に表れる
でも共通認識もある。
信号を憐れむところ 何らかの姿に投射するところ
大きい目で見れば 深夜にどことなく物思いに耽ってしまうところ
恋愛において価値観は大事なこと。自分じゃありえない考えが
相手にとっては当たり前、その逆も然り、みたいな。
でも全部同じだと気持ちが悪いし、
多少自分が我慢しつつ自分が譲れないものを理解してもらう。
そうすることでなんとなく均衡を図る。 その天秤がこの曲で
見えてくる。僕が勝手に。

守られるか無視される=彼氏からの扱い なのかなんて思う

「られる」「される」というところから受け身で自分が何かを被る
扱いを受ける女子にはなりたくないのだろう。
いわゆるヒモだとか浮気性とか、そういうのと
付き合ってる友達のことを思い出したのだろうか。
それを「不憫」と名付け、憐れむのがとっても現実的だ。

星屑の点を線で繋ぐように
あなたとの日々も意味を持つかな
臥し待ち月が出てるからでしょう?
やけに叙情的になってしまうのは

星が見えるほど視界が幅広いので部屋の窓なのかベランダなのか迷ってましたが後者にしました

         ほ    し      く           ず

      予定のない今日の月の形          

             夜の信号

もたげる首⤴︎                            女性 
                                                              (アパート)

分かりにくい図になってきたな…
男性視点のサビは月単体で展開されるが
女性は普通に見たら何の意味も見えないような
1日1日をちいさな星屑として
その星たちを線でつなげれば星座になるように
無駄と思いそうな日々が大きな意味をもつかな?と思ったり
やけに詩的なことを思うのは、男性側がわからなかった
かじられたような月の本当の名前「臥し待ち月」が
出てるからかな と理由づけている。

男性は月を見て、「自分が」もっと勉強してたらな
という風にその視点には自分しかいません。
しかし女性は星屑を見て 星座を思い出し、
その星座は一見何の意味もなさそうなそれらをつなぎ合わせてできたもので
そんな風に恋人同士の無意味な日々を意味あるものに
してくれる時がくるのかなと期待する。
変に詩的なのは月のせいだ。 というように
幅広い視野と知識で自分だけでなく彼氏である男性を思い出している。
臥待月を見ていない2番の最初で男性のことをあまり
気にかけていないことから男性に対して「飽き」的なものを感じてるのか
と思ったがそうじゃなかった。アパートで二人 という
協力やある程度の心の許しがないとできない同棲や星屑に例えるほど
長い日数をともにしてきたということからその長い関係が
いつか無駄になることに恐怖を抱いたのかもしれない。
あしたの朝食や浴槽のことを考えるほど現実的な彼女はいつか
終わるかもしれない という現実すら思い浮かべてしまった。
最初に彼が部屋にいないことに対してさほど気にしていなかったのは
そもそも彼がよく、部屋を出る又は気遣ってタバコを外で吸うことを
その長い生活のどこかで知るようになったから だと思う。
ある程度構築された関係だからこそ生まれる無関心だった。

「あなたとの日々も意味をもつかなぁ」
1番サビでの「なぁ」の語尾の意味は 過去への後悔
2番サビでの「なぁ」の語尾の意味は 未来への不安

過去と将来という対比と後悔と不安というマイナス的な類似
語尾にまで散りばめられている。

部屋に帰れば彼女はまだ眠ってて
床に落ちた台湾製のそれと目が合う

「台湾製のそれ」が何なのかは解釈が分かれるそう。
僕は真っ先に彼女が抱いて眠ってた人形だと思ったのですが
避妊具という解釈もあるそうで…自分が童貞過ぎて情けない。
僕は人形説として話を進めさせていただく。

ここからドラムがおとなしくなったのは最後のサビの静けさとして
いわゆる 抑揚というやつですが 帰ってきた男性が
まだ寝てる(と思っている)女性を起こさないために足音だとか
ドアの音とか そういう静かにする気遣いを表してると思う。
眠ってるという描写があるのにドラムがバカスカ鳴るよりは
大人しいほうが情景に合ってるしね。

もしも床に落ちたものが人形だとして、目が合った...

アパルトの中の恋人達
愛し合うと言うにはおぞましいほど
醜い行為に果てた後で
ざらっとする後ろめたさはなんだろう

音楽文学にしろ性行為に関しては様々な比喩や隠喩
そして直接的又は間接的表現がされる。
下ネタと言ってしまえばそうだがその行為は愛し合ってるもの同士が
行うことが大半の行為。例外もあるが。 そんな行為をどう描写するか
なんて至極難しい。直接的すぎるとこっぱずかしさが出るが
間接的過ぎて伝わらないのもいかがなものかと。
ハヌマーンはそこで「行為」というセックスを表すのに
もっとも端的でかつ聞こえが恥ずかしくならない
単語(別の意味もあるため)を置き、前座として
「愛し合う」というよく小説で用いられる性行為という言葉の
使用を避けるための表現が用いられている。 恋愛ゲーでいう「暗転」だ。
なんでこんなに直接的表現を避けるの?「セックス」って言えばいいじゃん
っておもったそこのあなた!!婉曲的な方が演出として良いんデス!
例えば誰かが死んだことを「○○は死にましたが...」だなんて言ったら
ちょっと嫌でしょう そんなちょっとした不快を避けるために
「○○は遠くへ行きました」という風に婉曲の存在意義がある。

具象的な肉体の行為に言及するのを避けるために,それに対応する心理的な感情(「愛」「情け」という抽象概念)を持ち出すという解釈です。

第77回 性の婉曲表現 | 談話研究室にようこそ(山口 治彦) | 三省堂 ことばのコラム

またはるか昔から性の婉曲表現は存在しており、アパルトでは
「愛し合う」という抽象概念の持ち出しが用いられてる。
そして行為自体のフォーカスではなくその後の 
わかりやすい言葉で言うと「賢者タイム」だが、そこに着目し
「ざらっとする後ろめたさ」について疑問を呈した。
その感情に関して答えはないけれどその感情の言語化が端的にされている。
ここまで不愉快の域を出ずに性行為後の謎の感覚を詩的かつ現実的に
描くのはすごいと思った。

例えばその薄汚れた人形
ボタンの目でいつも君を見てる
君の薄汚れた人形
毛糸の唇で笑っているよ
所詮中身はスポンジと綿だし

再び、ドラムの「タタタ」が使われ、それと同時に男性視点になった。
やはりすごく違和感なく次の場面転換的な感覚でしっくり入ってくる

先ほどから「台湾製のそれ」「薄汚れた人形」
「毛糸の唇」「所詮中身はスポンジと綿だし」

...扱いひどいな とツッコむがその割には
どこで作られたか 毛糸の唇 ボタンの目 中身のスポンジと綿
やけに材質まで把握しており、無碍な言い方をしてるにも
関わらずその詳しさは何だと疑問だった。
この人形は彼女が抱いて眠るほど大事にしていることから
幼いころから共にしてきたものだとして、そんな大事にしてる
うちに男性も目に入れる機会が多く、ていうか部屋にいつもあるから
自然と状態まで覚えてしまったのだろうか。
それか男性自身が付き合った当初からなんとなくプレゼントした
ものだったのか。どちらにせよ二人の共通認識として大事なもの
という認識はある。彼が抱いていたのは嫉妬の念なのかもしれない。

最後の歌詞

涙ぬぐい取るそのオンボロみたいに

僕はなりたい

見た目がみすぼらしくて、中身もたいして良くない。それでも
いつも君を見て、薄ら笑いを浮かべながら、
君の涙とかいろんなものをふき取るものになりたい という
一種のプロポーズみたいな言葉で終わる。 
もしもこれが結婚式ソングのような華やかさを
持つものだったら最高のフィナーレだろう。
しかしこの男女の気持ちの吐露はだれにも届くことがない。
「涙ぬぐい取るオンボロになりたい」男性
「あなたとの日々に意味を持ちたい」女性
どちらも別れたいという気持ちはなく、もう一歩進みたい気持ちがある。
でもそれはプロポーズしたい!とかそういうものじゃなく、あまりに
恒常的で慣れ親しんだ日常が壊れることのなんとなくの恐怖をなくしたい気持ちも潜んでいる。それらの気持ちの集合体を具現化させたのが
アパルトの中の恋人達だった。

全体を通して見返すと
失恋ソングのような悲しみに明け暮れたものでもなく
恋愛ソングのような喜びに満ち溢れたものでもない。
その真ん中のにある「生活の崩壊とこれから」について
フォーカスされた作品だと思った。 
これで終わりたいが、最後に僕の勝手な疑問と
それに対しての考察を聞いてほしい。

部屋に帰れば彼女はまだ眠ってて
床に落ちた台湾製のそれと目が合う

アパルトの中の恋人達
愛し合うと言うにはおぞましいほど
醜い行為に果てた後で
ざらっとする後ろめたさはなんだろう

例えばその薄汚れた人形

ボタンの目でいつも君を見てる

「アパルトの中の~なんだろう」 これ いる?

正直、「それと目が合う 例えば その薄汚れた」でも歌は成立します
この隙間に入れた意味ってなに?となるわけで。
そこで僕がひねり出した考えはこれです。

すべてを見る人形の視点

「アパルトの中の恋人達」という主語から 男性女性どちら側でもない視点
であることがわかる。ナレーター的存在ってのはしっくりこない。
そしてアパルトの中の恋人達という 第三者から見た二人の関係のことで
醜い行為に果てたことを見れるのは「人形」という存在のみ。
「いつも君を見てる」人形は男性という存在もいつも見ている。
そんな二人の行為と男性が部屋を出たこと、女性が実は起きてたことを
人形はすべて知っている。そんな二人の小さな隠し事を
後ろめたさが残る雰囲気と思ったのかもしれない。 
そしてこの人形のメタファーは我々リスナーでもあって
物語外からの存在であることは除くと
その物語(二人の関係)に干渉することはできないが
ずっと二人の行動や心情をなんとなく見ることができる。
そして1番2番の過程を経て
「アパルトの中の恋人達」について思うことを述べる。
歌詞中の人形そのものなのでは...と思った。

最後に

主観まみれの考察ばかりにまみれたnoteを読んでくださり
ありがとうございました。お見苦しい部分もありますが
このnoteを見てもう一度、「アパルトの中の恋人達」
という名曲を聴いていただけら新たな発見があるかもしれません。
そして初めて聞く人は自分が思うような解釈を
発信してみるのも面白いと思います。考え方や解釈は自由であり
そこに整合性の有無はそこまで気にしなくてよいと思います!
それでは改めて 最後まで見てくださりありがとうございました!
ばいばい

いいなと思ったら応援しよう!