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水平線が光る朝に
本日のお話をさせていただきます。
合掌、なんまんだぶ、礼拝。
🙏🙏🙏
今回の「なもフレーズ」はこちらです。
水平線が光る朝に あなたの希望が崩れ落ちて
風に飛ばされる欠片に 誰かが綺麗と呟いてる
最近仏さまのお話をさせていただく時に、よく取りあげる内容があります。
例えば、お寺の本堂でお話する際、
「いまこの空間の中心はどこでしょう??」
と質問します。
部屋の中ですから、皆さん天井の中心あたりを眺めることが多いですね。
残念、実はそうではないのです。
「仏さまが安置されている本堂の中心は、仏さまなのです」
このようにお答えします。
この場は「仏さま中心」に、お話を聞かせていただくところ。
言い換えれば、「自分中心のものの見方、受け止め方」を一旦カッコに閉じて、お話を聞かせてもらいましょう、ということです。
この「自分中心」というのがなかなか厄介なものですね。
仏教ではこの「自分中心」のスタンスが、最終的には自分自身を苦しめることになるのだよ、と説かれます。
お釈迦さまはこのように説かれますが、なかなか「自分中心」から離れることのできない私。
今回の「なもフレーズ」には、
あなたの「希望」が失われること、それは同時に誰かにとっての「綺麗」なことになる、と読ませていただきました。
「希望」が失われること、それだけでも辛いことでしょう。
同時に誰かにとっての「綺麗」なことになることもありえるのが世の中です。
この世の中は常に二面性をはらんでいるとも言えます。そして私はどこまでも「自分中心」という一面でしか物事を受け止めることができない存在でもある、ということです。
私は善意であの人に〇〇してあげたのに。
あの人にとっては迷惑でしかなかった。
そんなやり取りって世の中に溢れていますよね、残念ながら。
「自分中心」から離れることができれば楽になれるのだろうけれど、そうはいかない現実。
この苦しみに目を向けるのが仏さまの教えではないでしょうか。
繰り返します。
本堂の中心は仏さまなのです。
どうしても「自分中心」の悩み苦しみが多い世の中ではありますが、せめてこの本堂、仏さまのいる場では「自分中心」をカッコに閉じてみましょう。
そして「仏さま中心」のスタンスで、教えに耳を傾ける。
もしかしたら何か新たな視点が育まれるかもしれません、ないかもしれませんが。
だからこそ、教えを聞き続けることが大切なのでしょうね。
本日もお参りいただき、有難うございます。
合掌、なんまんだぶ、礼拝。
🙏🙏🙏
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