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希望の光なんてなくったっていいじゃないか

本日のお話をさせていただきます。
合掌、なんまんだぶ、礼拝。
🙏🙏🙏

今回の「なもフレーズ」はこちらです。

胸を張って歩けよ 前を見て歩けよ
希望の光なんてなくったっていいじゃないか

「シャングリラ」チャットモンチー

朝方、夕方、少しづつ季節が移り変わってきていることを実感します。
相変わらず日中は汗だくですが…

先日、初盆のお参りに伺って、あるご自宅でのことです。
お母さんがご往生され、お父さんと息子さんが自宅にいらっしゃいました。

読経が終わり、短い法話をさせていただこうかと思った瞬間。
お父さんが静かに涙を浮かべられました。

もちろん、妻のことを思い出してです。

人生における苦しみは絶えることはありません。
なかでも辛いものは「愛別離苦」と実感します。

「今回はこんなお話をさせてもらおう」
ご法事の前には大体準備をして伺います。
しかしお父さんの涙の前では、そんな準備は吹き飛んでしまいました。
代わりにお話ししたのは、私の経験した「愛別離苦」です。

お父さんも、息子さんも、静かに聞いてくださいました。

ご法事の終わり、お父さんがおっしゃいました。

「妻を亡くした悲しみは消えませんが、前を向くことも大事ですね」

お釈迦さまは説かれます。
「一切皆苦」生きることは苦であり、思い通りにならないものだ。
端的に言うと、人生というのは「苦」「絶望」が初期設定ということでしょうか。

しかし、思います。
「希望」に満ち溢れた人生など、あるのでしょうか。
あるに越したことはないけれど、お釈迦さまはない、と見抜かれたのですね。
無常の世界を生きるからこそ、ありもしない「希望」にすがって生きるのはやめた方がよい、ということでしょう。

あえて言うならば、仏さまの教えが人生の道しるべになり、歩むべき方向を指し示す光となってくださるのでは。

私たちはいつまでも一緒にいることはできません。
別れという悲しみもまた避けて通れない縁です。
ただ、悲しみを縁として、見えてくる、味わうことのできる世界があることも確かです。
「希望」なんかなくても、「絶望」がスタート地点だとしても、そこから人生を歩んでいけ、という仏さまの言葉のように思います。

本日もお参りいただき、有難うございます。
合掌、なんまんだぶ、礼拝。
🙏🙏🙏

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