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柳家小三治死去

僕は20年ぐらい前、大学在学中に落語にハマって、以降、今でもYouTubeやらも含めて一日一度は落語を聴いている。といっても、ガチの落語ファンと比べると全然浅めのアマちゃんなので、その辺はご容赦を。

小三治師匠の落語は生では確か二度ほど聴いた、一度目は19年ぐらい前で、演目は"付き馬"。二度目はその一年後ぐらいで"あくび指南"。
どっちも凄く印象に残ってる良い高座だった。
"付き馬"を演じた時はいかにも江戸前の落語という感じで可笑しさの中に何か凄みを感じさせた。
そして、二度目の生小三治の"あくび指南"。
この時の"あくび指南"がこれは僕の生の落語体験の中でも一番笑った時だったと思う。

あくび指南っていう噺は、それまでに色んな名人の演じたのを音源では聴いていたけど、そんなに面白い噺とは思っていなかった。
展開も少ないし、どっちかと言うと地味な噺という印象だった。

しかし、小三治師匠のは面白かった。
あの時の小三治師匠の凄かったのは、面白いことを言うぞ、という意気込みみたいなものを全く感じさせず、空気のようにその場に存在して、ボソッと言う一言一言が無性に可笑しくって自然に笑いが込み上げてくることである。
若い時の録音から辿っていくと、それは歳を取って円熟味を増すとともにその傾向が強くなっていっただろうなと思う。

今月の2日が最後の高座だったようで生涯現役を貫いたことになる。
そして、落語が凄いのは、若い時の瑞々しい時から、晩年の枯れて葉が落ちる瞬間までの人間一生のドキュメントをお客さんに見せられることである。(もちろん、それは演者がどこまで現役でやりたいかという意志にもよるが)
その変わっていく様にその落語家の人間としての本質が現れる気がする。

小三治師匠の数年前の高座で"粗忽長屋"を演じているのがYouTubeにあって、やはり年の影響を感じさせるところもあるが、それでも自然に笑いが込み上げてくる可笑しさは健在で、そのうちまた機会があれば生で聴きたいなと思っていたところだった。
ご冥福をお祈りします。

#クラゲナス

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