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『私の物語』〜心が震えた、異文化からのおくりもの 〜 1986 その参(#3)


前回までのあらすじ
         
1986年。バブルに浮かれていた世間を横目に、生きていた『私』。
高校生の『私』は、親に置き去りにされ、ひとりバイトで生計を立てていた。深夜の音楽番組は、そんな『私』にとっての心の拠り所。そして、ある日、『私』は、ボン・ジョヴィの楽曲と出会い、いつか英語を学びたいと思うようになる。

∞ 音楽雑誌

ボン・ジョヴィのアルバムを手に入れて、

歌詞カードとにらめっこしながら、毎日カセットテープで聴いていた日々。

もっと、彼らが知りたくって仕方がなった。

インターネットのない時代。

行き先は、本屋。

音楽雑誌のコーナーだ。

近所の商店街にも本屋はあったけど、洋楽雑誌は、置いていなかった。

駅前の大きな本屋へ急ぐ。自転車にのって。

本屋に入ると、雑誌のコーナーへ向かう。

『あった!』

何紙か並んでいた。

Music Life とか、Burrn!!とか、

表紙が特集アーティストで飾られていた。

『どれが、いいんだろう』

使える予算は限られているから、とりあえず、立ち読みして中身を確認してみる。

この手の雑誌を立ち読みするのは、ちょっと恥ずかしかったけどね。

Music Lifeに決めて、商店街の脇の小さな路地をぬけて家に帰った。

バイトの時間だ。

思ったより、時間がかかってしまった。

『しかたない。帰ってきてからのお楽しみにするか。』


夕方の道を、また自転車で走る。

商店街の脇を抜ける道。

『あ、今日はまだ閉まってるな』

いつもの店の前には、まだ、星条旗が立っていなかった。

★★★

バイトが終わって、帰りはいつも深夜だ。

コンビニなんてない時代。9時を過ぎると辺りはもう真っ暗だ。

だから、灯りのついている道を選んで、自転車を走らせる。

夜になると、商店街のほとんどのシャッターはおりているけど、街灯がたくさんあって道が広い。

商店街の外れには、星条旗を上げているバーがあって、

その明かりを確かめるように、いつもその店の前を、通って帰っていた。


∞ ツアーツアーツアー

雑誌には、インタビューと世界ツアーの様子が掲載されていた。

そこには、彼らがデビューしてすぐ、
初来日して参加した、1984年のライブの事も語られていた。

まだ無名の彼らが、日本で熱烈な歓迎を受けて、ステージでプレイできたことから、

彼らにとって日本は、特別な国あることが書かれてあった。

だから、2枚目のアルバムには、『TOKYOロード』という曲を収録したのだそうだ。

大きな星条旗をまとったボーカルのジョンが、歓喜の笑顔を観客に向けている。

ちょうど、このアルバム『Slippery When Wet 』の世界ツアーが7月のカナダから始まっていた。

1年以上、世界中をまわるらしい。

『あ〜、ライブに行ってみたい!』

ツアー日程が書いてあった。

カナダの次は、日本をまわるらしい。

『えっ、日本ツアー8月って、もう終わってるやん…』

雑誌の情報は、1ヶ月以上遅れていたのだ。

日本ツアーの模様は、次号掲載だって。
こんなことってある?!
何だか失恋した気分だ。
悔しくって、仕方がなかった。

だから、また、カセットテープを何度も何度も、擦り切れるまで聞いた。

『私の物語』〜心が震えた、異文化からのおくりもの 〜 1986 その肆(#4)に続く

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