2024/04/11 BGM: Akino Arai - 懐かしい宇宙
今日・明日は休日。今朝、いつものようにZoomで英会話のミーティングに興じる。今日の話題は匿名で何かや誰かをレビューすることについてだった(つまり、別の角度から言えば「アマゾンやSNSでの『匿名レビュー』を信用できるかどうか」について)。もちろん、その種の匿名の態度はいわば大事な責任を放棄することとも言える。しかしその態度あってこそ救われる生活というものもある(ぼくだって、オンラインでは基本的には匿名で生きているようなものだ)。だからこの件に関してはどうしたってジレンマ(葛藤)が起こりうる。とはいえ、このご時世さまざまな人が「トレンド」なものを匿名で腐して暇つぶしに興じているように見えなくもないのだけど(Xや悪名高き2ちゃんねるなどにおいて)。
朝活の一環として、どうぼく自身が森羅万象を認識しているのかについて考えてしまった。外部の世界を見て、そしてこの身体の中にある僕自身について考えてしまう、ということ。ぼくの認知の能力(さっき書いた「見たり考えたり」する力)には限界がある(ぼくは不完全な人間なのだから)。でも、にもかかわらずぼくはこの世界をクリアに捉えられると考えがちである、そして他の人も同じだ、と。どうぼくはこの考え・想像力の「外」にあるものを考えたりできるんだろうか。これについて考えていくと、結局は「口をつぐむ」ことを選ぶしかないんだろうか(ウィトゲンシュタインが『論理哲学論考』の末尾に書き記したように「沈黙しなければならない」と)。ああ、この灰色の脳がだんだんホットチョコレートのようにどろどろに溶けるのを感じた。
午後、市内の図書館で読もうと思っていた本をついに借りる(高橋源一郎『DJヒロヒト』だ)。グループホームの本家に行き、そこで市役所の方の調査に協力させてもらう。その方がおっしゃるには、3年前に同じような調査を行ったことがあったとのこと。よく覚えていないがその時は忌まわしいパンデミックの最中でなかっただろうか。当時はぼくたちはこの町でのさまざまな活動を諦めなければならなかったっけ。英会話教室、パーティやお祭りのようなアウトドアの活動、などなど。ああ、時間はすぎる。人生の様相も変わってきた。
それが終わり、『DJヒロヒト』を第一章のおしりの部分まで読む。なんだかChat-GPTの生み出した実に平板なシロモノのように見える。でも、これは「罠」というやつかもしれない(だから「ように見える」と書いた)。この長編はこの著者の豊満な知識(とりわけ日本の歴史や文学において)、彼自身のひと癖ある人生経験、そして自由自在に壁・ボーダーを超えて展開される想像力のアマルガムではないかと思えてきた。
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