映画で’90sにタイムトリップ ~中編~
「自由が欲しい」と思ったりしてきたけれど、、、ふと氣づく。観るものを選べる自由があって、、、それに、読むもの、書くこと、聴くもの、話すこと、食べるもの、学ぶこと、働くこと等々を選ぶ自由もすでに、手にしているじゃないかと。こんなにも選べる自由があることに感謝して、今日も時空を超えて行ってきます♪
■"THELMA & LOUISE" (テルマ&ルイーズ)
1991年 / 監督:リドリー・スコット
(ref : https://unpfilm.com/thelma_louise/)
人は皆性格が違うのが当たり前だが、この二人の女性ほど対象的なのも珍しい。当時のアメリカ社会の中でも地域差があっただろうと想像するが、片田舎に住んでいた二人の女性の境遇には閉塞感が漂う。
そんな日常から解き放たれて、ドライブ旅を楽しむはずだったが、、、
色んな感じ方や観方があるだろう。
個人的には、ラストシーンのかっこよさ、美しさに感動を抑えられない。
そこまでの局面、局面でテルマとルイーズが行動を選択する時、迷いが無い様は爽快だ。しかしラストを想う時、「あの時、もしも他の選択をしていたら?」と考えてみる。他の選択をしていたとして、それはジェシカ&アマンダであったということになっただろう。アメリカ国内だけでも大勢実在するであろうジェシカやアマンダのように、耐え難い理不尽な現実の中で生きることになっていただけのことではなかったか。
■”The Garden" (ザ・ガーデン)
1990年 / 監督:デレク・ジャーマン
友人に連れられて映画館で鑑賞した当時、20歳の自分が人生で始めて体験した実験映画。ストーリー性はないのに、スクリーンの映像が(監督の心象風景を切り取っている)独特な色と質感を持って美しく、ライブ感がみなぎっている。映像に引き込まれ、強烈なメッセージが伝わってくる。裏に原子力発電所があるジャーマン本人の自宅の”庭”を撮るというコンセプトを基に撮られたというこの作品。
撮影当時、デレク・ジャーマンはエイズ陽性で、死と向き合っていた。
(・・・・数年後の1993年、エイズによる合併症の末期状態にありながら製作した”Blue"は、画期的であった。https://www.youtube.com/watch?v=7TXWTjkithc
Wikipediaに「その色彩から、イヴ・クラインへのオマージュとも言われている」とあるのを目にし、あの「クライン・ブルー」と繋がっていることに感動した。死を目前にしたジャーマンは、クラインの芸術性の源にあるものに触れていたのだろう。救われる想いがする。イヴ・クラインは、通称「空虚」展(「The Void」<Official>Paris,1958)という、室内を真っ白に塗り上げた空っぽの展覧会を開き、観客を驚愕させている。)
■"Wonderland" (ひかりのまち)
1999年 / 監督:マイケル・ウィンターボトム
ロンドンに住む、ごく普通の三姉妹とその家族の日常。まるでドキュメンタリーのよう。マイケル・ナイマンの音楽が登場人物の機微とロンドンの街の情緒をよりリアルに感じさせてくれる。
そして、どうしてもこの物語の登場人物は皆、実在していたとしか思えないほど身近に感じる。当時のロンドンのありふれた日常を、監督の愛ある眼差しで映し出している。ナディアの父親もデビーの元旦那も、絶対いたよね。それからTim!確実に実在したでしょ。と、思う。
■"Night on Earth" (ナイト・オン・プラネット)
1992年 / 監督:ジム・ジャームッシュ
ロサンゼルス、NY、パリ、ローマ、ヘルシンキの5つの都市を舞台に、タクシーの車内で展開される運転手と客との巡り合いをオムニバス形式で描く。地球という同じ星、同じ夜空のもと、それぞれ違ったストーリーが繰り広げられる。
パリの夜、ベアトリス・ダルとイザック・ド・バンコレの表情、仕草、会話と、街の画、雰囲気がジム・ジャームッシュと同じ時代に生きている幸運を、またまた強く感じさせる。
NYも、ヘルシンキも街と人とユーモアが絶妙。
そして、トム・ウェイツの音楽は言うまでもなく、この映画の血液だ。