私が大学に入学した2009年。時代は世界金融恐慌の真っ最中だった。
日本では社会に絶望し、毎日100人近い人々が自らの命を絶っていた。
終わりのない世界金融恐慌、5.6%の失業率で、私の頭の中は4年後に暴れ出すストリートファイターシリーズのザンギエフがファイティングポーズを取っている。
なぜだからわからない。わからないんだよ。
でも確実にザンギエフがいるんだ。
卒業して私がキャンパスから放牧されたら、ザンギエフに吸い込まれて、ぐるぐる回転しながらスピニングパイルドライバーをかけられて、頭蓋骨から脳みそがドロドロ流れて、きっと死ぬんだ。
ザンギエフは人間じゃなくて、格ゲーのキャラだから、何も躊躇しないで私を殺しにやってくるんだ。私はガイルじゃないから、ソニックブームもサマーソルトキックも出せないよ。でも必殺技もないくせに待ちガイルみたいに構えて、4年後は死ぬまで防御するしかない。
「簿記を勉強しようかと思っている。」
4年間で存在しないはずのザンギエフにぶっ殺されるのを恐怖しながら入ったサークルの部室で、ロン毛でガリガリの倉科くんは、タバコから自分の最後の脂肪を溶かすようにふかしながら私に話しかけた。
彼曰く、この不況もいつかは終わる。その時の日本に必要なのは、組織の上の人間の指示に従う人間ではない。
だって今の日本のどの組織のボスもだめだからこそ、日本も世界金融恐慌になっている。だからこれからの日本が成長するには、確かな知識で、自分で見て、聞いて、判断して、独自に任務を遂行できる人間が必要だ。
そのために組織のあらゆる経済状況を、認識し、測定して、記録して、伝達する会計学を倉科くんは勉強するらしい。その会計学の基礎が簿記らしい。
男の子はカッコいいものが大好きだ。そしてカッコいいものをやっている自分が大好きだ。どうやら会計を倉科くんはカッコいいものとこの時判断したのだと思う。つまり今のカッコいい会計を勉強する決意をした倉科くんの中では、カッコいい自分が始まっているのだ。
私にはカッコいい自分が始まっている倉科くんは、昨日よりはマシなロン毛でガリガリの倉科くんに変わって見えた。
そういえば私の人生の中で、私がカッコいい場面とかあったかな?そもそも大学に入学するまで、地方の田舎者だった私は、カッコいいと思うことをしようとすると、両親にぶん殴られて泣いて、カッコ悪いままで上京して、今はこうして大学のサークル室にいるわけだし。
4年後に倉科くんは会計を武器にして、今の日本のどこかの組織のボスたちと戦うらしい。私は武器を持たずに、待ちガイルのまま一発でザンギエフにぶっ殺されるのか。
ん?そういえば、まだザンギエフに会計で攻撃を仕掛けたキャラはいない?札束をばら撒いて、最後に勝利するキャラなんていない。
ザンギエフも世界金融恐慌で、お金に困っているのかもしれない。会計の知識でザンギエフのファイナンシャルプランの相談に乗ってあげれば、タイムオーバーで引き分けを繰り返して、中年のロシア人のザンギエフのほうが先に死んでくれるかもしれない。
ザンギエフに勝利したら田舎に帰って、実家の農園を引き継いで、後はニコニコ動画で何回も強敵ザンギエフが死ぬ動画を見ながら、畑に出来た果物を食べながら死ぬまで安心して生活しよう。完璧な人生だ。
「倉科くん!私も一緒に会計を勉強するよ!」
うふふ、私もこれで、人生ではじめてカッコいい私になる甘い夢が見られるのかもしれない。ザンギエフを倒そうとしている私のカッコいいは、もう始まりかけているのかもしれない。
部室の奥にあった巨大な寝袋から、むくむくと、りえさんの顔が出て来た。
りえさんの本名は、りえさんじゃない。りえさんのりえは、「宮沢りえ」のりえなのだ。宮沢りえに似ているのかというとそうではない。
むしろ彼女には、あんな中年の大御所女優のようなオーラはない。白くて華奢で、ちっちゃくて、いつもデニムにTシャツかジャージで、大塚愛に似ているホンワカした雰囲気で、キャンパスを歩くアホな雰囲気をしたサークルの3年生の先輩だ。りえさんは可愛いけど、ゆるい生活を好み、実家から大学に通うのが面倒くさく、サークル室に住んでいることが多い。
ぼけっ~っと眠そうな目で、いつもキャンパスを歩くりえさんはかわいい。おそらく一度は男がヤラせて欲しいと願うタイプなんだと思う。しかしそれ系の男子学生が彼女に話しかけると、りえさんは問答無用で、容赦なくペットボトルを投げるのだ。
きっと昨日も夕方のキャンパスで誰かをシバいて、ぐっすりと部室でお眠りになったのだろう。
じゅりじゅりと寝袋の中からお出になる。途中でおっぱいのところで苦しそうにすると、むん!と踏ん張って、寝袋からぽん!とお出になられた。
りえさんは大学1年生のころ、大学4年の先輩と付き合ったらしい。
その先輩は屑人間だったらしいのだが、りえさんが可愛すぎて夢中になった。そのころのりえさんは、彼氏とよく2ちゃんねるのオフ会に出ていたのだが、りえさんは当時大人しく、集まる男性と浮気される可能性が怖かったらしい。
それなのにこの先輩は何をとち狂ったのか、そんな大人気のりえさんと付き合っていたのに、りえさんの陰で「俺の彼女のおっぱいは、宮沢りえのサンタフェのおっぱいみたいにピンクで綺麗だ」とあちこちで回ったらしい。
要するにあれは俺の女だという自己顕示で、浮気の不安から逃げたかったのだ。
彼女の噂は狭い界隈で、あっという間に広まり、彼女はりえさんと、みんなから呼ばれるようになった。りえさんが定着した代わりに、りえさんはペットボトルを気にいらない男に投げる女の子になった…
と先日の新勧コンパで聞いた。
「こりゃ!一本頂戴!」
と、りえさんが言うと、倉科くんはりえさんにタバコを渡し、彼から火を借りてタバコを吸った。
「りえさんは会計の資格を持っていますか?」
私は聞いてみた。
「会計士目指すの?うちのサークルにも多いけど、私は簿記3級しか持ってないよ」
どうやらりえさんは、大学1年生の春に、簿記3級と簿記2級を受験して、簿記3級に合格したらしい。彼女によれば、うちの大学には大学の通常授業の他に、経理研究所というものがあり、そこに入会すれば、学部・学年に関係なく誰でも会計関係の資格の授業の勉強ができるらしい。
私と倉科くんは早速入会して、5月の簿記3級と簿記2級の合格のための勉強をはじめた。田舎者の私が東京の人たちと勉強できるか心配だった。しかし簿記の勉強は単純だった。足し算と、引き算と、掛け算と、割り算が仕えればいい。さらに驚いたことに電卓で計算をしていいのだ。計算パターンも少なく、10日ほどで3級の授業は終わり、予想模擬試験問題も満点が取れるように私も、倉科くんもなった。でも簿記3級がカッコいい武器になるとは思えなかった。
ところが2級になると難しさがかなり高くなった。いろんなパターンの計算があり、授業はどんどん難しくなった。それでも私はザンギエフに殺される妄想に勝つために、ひたすら電卓を走らせた。
あっという間にゴールデンウイークに入った。私は田舎者だから、東京の人たちと勉強するのに疲れた。倉科くんは、経理研究所が行う大学が長野に保有する施設での合宿に行った。彼の気持ちはストイックだ。あれ以上ガリガリにならないといいね。私はこのままでは精神を病むと考えて、合宿には不参加。サークルで1泊の2日のキャンプに出掛けた。
サークルの先輩方の中には、昨年の春に簿記3級に落ちて、秋と冬の試験は遊んじゃって、今年の春に簿記3級と簿記2級を受ける予定の人々がいた。彼らはあれこれとアドバイスをくれたが、意味がわからなくて困った。要するに1回ぐらい不合格でも、いつか合格すればいい。せっかくの大学生活なんだから、もっと俺たちと遊ぼうぜ。と田舎者の私を騙したいんだと思う。
「落ちた奴らが偉そうに後輩に語ってんジャーネよ!」
いつもの部室の寝袋を、今日はキャンプ場に持ち込んでいるりえさんが言った。
「あのね!うちの大学のデータでは、1年の最初の簿記検定で2級不合格になる奴は、会計にむいていない人が多く、会計業界の資格も取れず、就職活動も大したこがないってデータがあるわけ。要するにこいつらは落ちこぼれ。エビデンスがあっても諦められない落ちこぼれのアドバイスなんて無視しな。私は2級合格を諦めたけど、あんたと倉科はがんばんな!」
その後私はりえさんと温泉に入った。はじめてのサンタフェフェスティバルだ。りえさんの本当におっぱいは凄くきれいだった。本当に宮沢りえのサンタフェみたいなおっぱいだった。
「本当にきれいなおっぱいですね。でもなんで今も周りにりえと呼ばせているんですか?」
私はおそるおそる聞いてみた。
「りえとか、あやって、出会い系サイトみたいに嘘くさい名前でしょ?大学を出て、就職して本名を名乗れば、おっぱいの噂も消えるからね。全員が私のことをりえだったと思ったら、私の勝ちでお終い。そういえばあいつも公認会計士を目指して、1年目に簿記不合格のまま卒業して行ったな」
そんな話を聞いたあと、私は残りのゴールデンウイークは勉強を続けた。やがて大学が再開すると、また私も倉科くんも経理研で勉強を続け、6月になると簿記3級と、簿記2級に合格した。
合格したのはサークルでは、私と倉科くんだけだった。サークル室で落ちた先輩方を笑いながら、りえさんは、私たちをかわいい笑顔でお祝いしてくれた。いつも通りのりえさんだった。
ところが、りえさんがその後、大学からいなくなってしまった。サークル室のあのいつもの寝袋も消えてしまった。私は田舎者だから、かわいいりえさんと、ちょっと仲良くされて嬉しかった。だから急にいなくなって悲しかった。りえさんと登録した電話番号にかけても出てくれない。先輩方によると授業の出席確認でも、彼女の名前が呼ばれることはなかった。
さよなら見た目は大塚愛なのに、おっぱいはサンタフェ、本当の名前を知らない憧れのりえさん…。
それでも私と倉科くんは勉強を続けないといけない。簿記2級に大学1年生で合格した学生には3つの道がある。簿記1級を目指す。簿記1級の合格者には、公認会計士の受験資格が与えられる。取った瞬間に次の国家試験から受験ができる。それとは別のルートもある。公認会計士は2年生が終わる時点で、所定の大学での単位が認められたら受験資格を得られる。秋に簿記1級を合格して、2年で公認会計士を目指すか、簿記1級は諦めて、3年生から単位認定で公認会計士の勉強を始めるか。
私はどのルートがいいのかわからなくなったけど、カッコいい方向で成長している倉科くんは、
「俺たちが、同世代で最強を目指すなら、簿記1級に決まっているだろう」
ということで、私たちは大学から少し離れた簿記1級を教えてくれる予備校に入ることにした。
倉科くんのご家族は、簿記2級の合格に大喜び。勉強に集中させて公認会計士にするために、なんとわざわざ予備校の傍に広いワンルームマンションを買った。さらに彼が勉強に集中できるように、地方に住むお母さんが、定期的に家に掃除に来ていた。彼の実家はお金持ちだということがわかった。
「どうして教えてくれなかったの?」
と私が聞くと、倉科くんは、
「大学ではみんなと楽しく生活するのに邪魔だった。でも今は違う。簿記1級のために楽しい大学生活いらない」
と静かに語った。
「別に簿記1級の合格者は、うちの大学にはたくさんいるし、みんなと楽しく大学生活することは、時間のやりくりでなんとかなるよ。私も簿記の勉強は10時間毎日しているけれども、他の時間はみんなと楽しく生活しているよ?」
私は少し悲しくなって言ってみた。
「それはおまえが特別なんだよ。俺は凡人だから、勉強10時間したら寝るのみだ。これから生きていくために会計が全てだから脳を休める」
そうか彼にとって会計はそこまでして究めたい世界なのか。田舎者の私は弱い。今もザンギエフに吸い込まれて、ぐるぐる回転しながら死にそうなことを妄想するぐらい弱い。でも倉科くんは今の日本のどこかの組織のボスたちと戦おうと、4月の新歓コンパのころから強い心で戦おうとしている。私もぐるぐる回転しながら死にたくない。私も気合が入った
予備校には様々な人がいた。うちの大学で私のように今年2級を合格した人もいた。他の大学で2級を合格した人もいた。1回落ちたけど、今年合格して来ている人もいた。専業主婦で、ご主人がリストラされて、自分が働くために、昔1級に落ちて再チャレンジの人もいた。会社に言われて来た人もいた。失業してこれから起業するために来た人もいた。
やる気がない人もいれば、私たち2人のように、模擬試験では全員に絶望を与えるような点数を狙っている人も当然いた。私たちにとって会計は戦うための武器であり、武器の使い方を学ぶのだ。
私の敵は吸い込んでくるザンギエフ。倉科くんは日本のどこかの組織のボスたちだ。
圧倒的な成績で簿記1級を取得しなければならない。6月の簿記検定が終わり、7月の大学の試験が終わり、簿記1級の講座が始まったのは9月だった。
大学1年の最後の簿記1級を受験するチャンスは11月だ。2級の10倍は難易度の高い1級は、11月に合格するには範囲が広すぎる。予備校にはそんな短期間のコースは、4月に1級が不合格だった人のコース以外なく、私たちは来年の6月に向けてのコースを選んだ。
私は毎日大学の授業に出て、放課後は予備校で授業を受けた。でも田舎者で東京に友達がいないので、予備校の授業が終わるとサークルの飲み会にも遅れて参加して、その後に朝まで予備校の復習をした。
それでも予備校の授業では、カマキリの卵のようであり、その卵の中の大量のカマキリの赤ちゃんの中にも、さらに大量の卵があるかのうように、無知の私は果てしない探求のように思えた。授業が延長して、終電を逃し、家に帰れないことも何度かあった。そんな試練もザンギエフに比べたら大したことはないと自分を説得した。時にはネットカフェのお世話になり、朝まで何回も問題集を解いた。田舎者の私もネットカフェを使う私は都会人に化けられるようになった
三蔵法師様がいない状態で、猿以下の脳みその悟空の私が、天竺に挑むかのような日々だったが、それでも簿記2級を取得して、簿記1級の勉強もしつつ、サークルにも顔が出せるようになった私は、少しずつ天竺が見えた。私の頭の中で、ザンギエフの存在は徐々に薄れていった。今のままなら成長を続けたら卒業しても良い勝負ができるかもしれない。
一方の倉科くんは、どんどん会計の世界にのめり込んで行って、大学の授業も休み勝ちになっていった。大学でもサークルの部室に顔も出さなくなり、図書館などで勉強する姿をレアポケモン程度に見かける程度になった。
たまに出るサークルの飲み会の本当の楽しみも、田舎者の私にも何か掴めそうな私だった。しかし後期の大学の授業が近づくころには、倉科くんの会計への情熱は、どこからみなぎるものなのだろう?こんなに何かと真剣に向き合う熱量のある彼ならば、りえさんのようなかわいい女の子も彼女にできるのではないだろうか?それぐらいの努力をしているように感じた。彼の青春は寂しくないのだろうか?毎週実家のお母さんがやってきて、徹底的にサポートをしているようではあったが。
予備校の授業の難易度が高くなっていくにつれて、私の大学の人も含めて生徒の数はどんどんと減って行った。予備校での授業は午前のクラスと午後のクラスがあって、生徒たちは時間の都合で、毎回どちらかに出るシステムだ。私もこれには助けられた。しかし年末には生徒の数は100名ほどから40名ほどになった。
年内最後の授業の日、クラスの一人が忘年会をやろうと幹事に立候補する人が現れた。簿記1級に合格したら、みんながそれぞれ会計の世界に散っていく。でも日本経済は世界恐慌の真っ最中だ。交流を深めて、何かがあったらお互いに助け合うきっかけにしようとのことだった。
珍しく倉科くんが参加することになったので、私も同行することになった。参加者は十数名で、先生、私たちのような大学生、不況で無職の人、社会人の人などが集まった。
幹事の人はさぷりまんとみんなに陰で呼ばれていた。ダチョウ俱楽部の上島のような体格で、太っているのを気にしているみたいで、いつも校舎で妖しいサプリメントを飲んでいたからだ。サプリメントをたくさん飲んで、お昼休みは公園で筋トレしていたけど、痩せるには一日に何回も食事が必要とか言って、いつも食べているのを教室で見た。私は彼を遠目で見て、少し怖かった。
忘年会が始まると、さぷりまんは自己紹介をはじめた。なんと私たちの大学を卒業したらしい。卒業後はITベンチャーを起業したが、経理の人に騙されて、社長だったけど倒産しちゃったらしい。私は田舎から出て来た大学生ですと軽い自己紹介で済ませた。倉科くんは会計の世界で生きて行くみたいな話をした。
忘年会がはじまると、私はさぷりまんがすぐに嫌いになった。彼はまず先生のところに軽く挨拶に行き、すぐに社会人の方々のテーブルで、飲みはじめた。
「へええ!東大卒なんですか?はーい皆さん!こちらに東大卒の一流企業の方がいますよ~!年収1千万円のエリートです」
「え?あのIT企業にお勤めなんですか?僕の友達もいるんですよ。知ってます?」
「へえ!将来起業をお考えなのですか?僕もIT企業をやっていたから、ITのことならなんでもできます。起業したら雇ってください」
生徒の交流を深める場なのに、社会で力を持っていそうな人たちとばかりと熱心に話す。少しでも自分の将来のビジネスになりそうな人としか話さない。声が気持ち悪くて地獄だ。デカい声出してるんじゃネーヨ!
忘年会が社会で力のある人チームと、私たちのような大学生や無職、離婚したために子供のために簿記1級を目指すチームに分かれていった。とてもイヤなビジネスの匂いがする気分の悪い飲み会だ。なんだが自分が気持ち悪いシステムの中に組み込まれていくようだ。
私が自己紹介で田舎から出て来た大学生ですと話をした時に、そうまさに私の自己紹介の時、さぷりまんの目が一番ガッカリとしたように見えた。
会計で言えばサプリマンは、私を使えない人間として認識して、使えるかどうかを測定して、話しかけないことで忘年会の会場で力ある自分のチーム外と記録して、参加者に行動で伝達したのだ。時に会計は残酷なものだ。
「おーいうちの大学の男ども、こっちの席に来いよ~」
忘年会も中盤になると、さぷりまんは私の大学の男子学生を自分のチームに呼んだ。何人かの社会人の方々が明日早いので帰るらしい。
さぷりまんのチームの席の方々に、うちの男子を紹介させてみせた。
それはもうとっくに卒業した他人に近い後輩たちに挨拶させることで、自分は面倒見がいい使える人間だとアピールしているようだった。その時後輩たちに席を譲るように、さぷりまんのお気に召されなかったであろう方々が、私のチームの席に座った。お疲れ様でした。よく殴りませんでしたね。
「僕はあの大手企業とも取引したことがあるんですよ」
「社長時代はキャバクラで一晩で50万円使っちゃいました」
「あの芸能人とは親友です」
「もうそれを証明できそうなのは、この高級腕時計だけですけどね。ハハハ」
お酒も調子もまわってきたさぷりまんは、席でひとりで、過去の栄光を語っていた。
私にはわかった。彼には自信がないのだ。
自信がないから上島のような見た目が気になり、サプリメントをたくさん飲むし、公園で筋トレをするけど、一日に何回も食事をして見た目は変わらない。本当は自信がなくて仕方がないのだ。それは見た目がそうだからでも、会社が倒産したからでもない。
だからこういったアピールは更に彼の心を苦しめているように見えた。
その自信のなさの源はもっと闇が深く、仮に簿記1級に合格しても絶対に解決できるような簡単なものではないはずだ。彼の行動は全て自分の行動を、自分の中で誤魔化すためのものだ。
ああ、私もさぷりまんを、認識、測定をし、心の中で記録した。誰かに伝達する必要はない。全員わかっている。
忘年会は終了し、ほとんどの人が帰路についた。さぷりまんは電信柱でゲロを吐いていた。あれこそが彼の真の姿だ。だらしがない体を前身で揺らしながら、彼は駅へと吸い込まれて行った。
気分が悪い忘年会ではあったけど、私たちの席では先生から来年の6月までにどのような授業をやるのか。今後はどのような心掛けが必要か。合格に有用な話が聞けたので、ためにならなかった忘年会ではなかった。そして私と倉科くんは後期の大学の試験をなんとか突破して春になった。
「ゼミ何にするの?」
悪夢の忘年会から草場くんという男の子と仲良くなった。草場くんと私は、その後さぷりまんの気持ち悪さについて語り合い、一緒にお昼ご飯を食べる中になった。予備校では教室で、大学では食堂か私のサークルの部室で一緒に食べた。倉科くんはお昼も一人でテキストを読んでいた。私たちは2年生になったのだ。うちの大学では2年生からゼミが始まる。
草場くんは母子家庭だそうだ。お母さんは公務員で、草場くんはうちの大学の付属高校から、エスカレーター式で入学してきた。うちの大学の付属高校には放課後、希望者には簿記の授業があり、草場くんは高校2年生で簿記2級を取得した。母子家庭で、一人で彼を育てたお母さんのために、公認会計士に合格して安心させてあげたいらしい。高校生のころからアルバイトをしていて、1級を受験しながら、公認会計士までの専門学校の学費を貯めたそうだ。
草場くんは背が高くて、笑うと目が猫のような目になるが、まつげが長い男の子だ。一緒にお弁当を食べるとき、周りの人が私のような田舎者とごはんを食べていると思っていないか心配だった。でも草場くんは、いつも余裕がある都会人で、私が田舎者だと分かっていないフリをしてくれた。
私たちが入るゼミは会計ゼミに決まっている。二人で面接会場に行くと、倉科くんもいた。会計ゼミは人気ゼミだけれども、3人とも2級を持っていたので合格できた。教授はうちの大学で公認会計士に合格した後、博士課程を経て、うちの大学の教授になった先生だ。アフロみたいな髪型で、生徒に自己紹介をさせた。私は田舎から出て来た大学生ですと、サークルの新観コンパや、専門学校の忘年会と同じ自己紹介をした。
「自己紹介やり直し。あと3年で君たちは社会人になるんだぞ。社会に出たら自己紹介で自分のことを覚えてもらわないと仕事ができない。誰も君たちに興味なんか持ってくれないぞ。残り3年なんてあっという間だぞ。自分がどういう人か知ってもらえるような自己紹介をしなさい」
教授は怒鳴って、学生に自己紹介のやり直しをさせた。みんなは高校時代の話やら、地元の話をした。公認会計士を目指す人、税理士を目指す人、国税専門官を目指す人、大企業で経理をやりたい人、外資系コンサルタントになりたい人、ベンチャーキャピタルに入りたい人、地元に帰って農協監査の仕事をしたい人。一括りに会計を学ぶといっても、いろんな進路があることを知った。
あともう1級を持っていて、既に公認会計士や税理士の国家試験を受ける準備をしている人がいるのにも驚いた。凄い人はどこにでもたくさんいる。草場くんはお母さんを安心させたいから公認会計士になると答えると自己紹介を合格した。何回も何回もやり直しをさせられる学生もいた。倉科くんの最後の自己紹介は、会計が好きなだけですと言って先生を睨んだ。あのガリガリのロン毛で。先生は何回もそれしか言わないから諦めた。最後まで自己紹介がうまく出来なかったのは私だけだった。
「田舎を出て、大学に入学したら、見た目は大塚愛の、宮沢りえのサンタフェのようなきれいなおっぱいの先輩とサークルでお友達になりました」
と、りえさんゴメン!と思いながらヤケクソの自己紹介をしたら、教室全体が苦笑いになった。先生は苦笑いの中、私にむかってこう言った。
「君と倉科くんのことは、実はりえから宜しくと頼まれていたよ」
私は驚いた。りえさんのゼミの後輩に私はなったのか。私は去年のキャンプから、りえさんがいないことについて聞いてみた。先生はニヤニヤしながら、
「いつかひょっとしたらわかるよ」
という言葉だけを残した。っていうか先生もりえで認識しているのか?本名はなんなんだ?いったい彼女は何者なんだ?
翌週には15人ぐらいたゼミ生は、女の子が5人来なくなって、私一人が女として残った。きっと先生は厳しい人だと思ったのだろう。
でも先生は初日の自己紹介には厳しかったけど、それ以降は優しい会計学の教授だった。
先生は資格のためではなく、学問のための会計も教えてくれた。それをそれぞれの目的を持つ生徒に、さらに予備校で学習できない分野にも力を入れた。
公認会計士、税理士、中小企業診断士、USCPA、公務員試験、TOEICだって受けないとね。そうそうもちろん簿記1級も受けないと。
残ったゼミ生は、色んな専門学校に通い、模擬試験のランキングに名前を載せた。ゼミに顔を出しながらも私は、倉科くんと、草場くんと同じ簿記1級の予備校で勉強を続けた。
簿記1級の試験は6月だった。私は合格した。私は簿記1級の合格者になった。長い受験勉強だった。結果の報告をしにゼミ室へ行った。教授はニコニコして喜んでくれた。草場くんも合格だ。私はザンギエフにぐるぐる回転しながら殺されないわすかな希望を手に入れた。
倉科くんは不合格だった。そして噂では、さぷりまんでさえ合格したらしい。どうして過去の栄光にすがりつく糞袋が合格し、倉科くんが合格できなかったのか納得がいかなかった。
私は去年の4月から、倉科くんは寂しくないのだろうかと今日まで思っていた。そう。今が一番寂しいだろう。だけどここまで同じ時間を共有したからわかる。
今は何も私から話しかけてはいけない。その空気を私は認識して、測定して、私の心に記録して、さらに心の深いどこかに伝達した。田舎から出て来た私は小さく成長したのだ。
倉科くんにはかわいそうだけど、これが会計の世界の残酷な現実なのかもしれない。私たちは会計の世界を生きている。会計の世界では結果は一つしかない。
ゼミでは先生が、これから資格試験を目指すルートを学生に提案をしてくれた。
既に公認会計士の一次試験は5月に終わった。今回1級を取った学生のうち、公認会計士になりたい人は、受験資格があるので12月の一次試験の勉強をはじめるべきだ。1級を持たない学生は来年の5月の一次試験に向けて、受験資格に必要な大学の授業の単位を取得しながら準備するべきだ。
こうして私と草場くんは予備校で12月の一次試験合格を目指すコースへと進み、倉科くんは5月に一次試験を目指すコースへと道が分かれることになり、私が会計を学ぶきっかけをくれた倉科くんとは、今まで以上に疎遠になってしまった。
私と草場くんは、12月の一次試験に向けて勉強を続けた。もうなんで勉強しているのかわからない。草場くんにはお母さんを安心してもらうためという偉大な目的がある。しかし私にはザンギエフに吸い込まれて、ぐるぐる回転して死ぬという漠然とした恐怖から逃げることぐらいしか理由はない。
電卓を叩いて最終的な数値を認識して、測定して、紙に記録して、先生に提出して伝達を繰り返す時、私は確かな安心感を得ているのだ。もはやこれは完全なる中毒で、先生から返却される答案にマルがついていると、信じられない多幸感に襲われた。
12月の一次試験を迎えるころには、倉科くんも、草場くんも、りえさんも関係ない。ましてさぷりまんのことなんて記憶になかった。試験は一瞬の出来事で、いつの間にか私は、一月の後半のゼミのOB・OGを含む新年会の席にいた。
「難関試験に合格した人たちおめでとう。これからもこのゼミでは毎年新年会を開く。難関試験に合格した人は、これからも毎年この新年会に顔を出して、大きなことに挑戦する人たちの励みになって欲しい。就職や研究で成果を出した人たちもおめでとう。うちのゼミが日本一のゼミになっていくと僕は信じている。思うような結果がでなかった諸君、例え何度も残念な結果が出ても、毎年このゼミに顔を出して、今年こそはと闘志を燃やして欲しい。別に試験に合格しなくてもいい。うちのゼミ生には全員充実した人生を送ってもらいたい」
今年は私の学年からは、公認会計士の一次試験の合格者は出なかった。代わりにゼミの先輩や卒業生の方々が、いくつかの難関試験に合格した。私と草場くんも簿記1級の合格者として、他の難関試験の方々と共にお祝いして頂き、教授からの挨拶と、祝い金として1万円を頂いた。
勉強のし過ぎで頭がおかしくなった私は、田舎から出て来た自分が、大学近くの高級ホテルで、今までに会ったことがないような人々に圧倒されて、さらに頭がおかしくなってしまった。
握りしめた1万円の入った封筒を、私は一人暮らしのアパートの壁に飾り、今年の5月の一次試験には合格して、夏の二次試験も合格するぞと完全なる会計マシーンへと変態化していくのだった。今年こそは合格する。そういう一年にしてみせると私は信じた。
私と、倉科くんと、草場くんは、同じ専門学校のコースで勉強を続け、そして公認会計士の国家試験に合格するはずだった。しかし現実は違った。このあと過去これほどないほどに、私と倉科くんは疎遠になった。
3月11日のお昼ごろ、アパートで問題をグルグルと何回も解いている最中。外からミサイルが落ちたかのような爆音が鳴ると、私のアパートは激しく大地の底から動きまくった。混乱する中で壁を見ると、1月に頂いた1万円の封筒が悲しそうに揺れていた。
これから悲しいことがはじまるのだ。
混乱してテレビをつけてみると、震源地は私の田舎だった。農家の実家とは何日も連絡がつかず、まるでワープをしたのように、私はいつの間にか次の年のゼミの新年会にいた。
11か月をほとんど泣いて暮らした私だったが、幸い実家の農地は無事だった。しかし私は田舎が被災地になったことによる精神的不安定で、気が付けば不安定になった以外に何もできない一年だった。
私の頭の中のザンギエフは、両手を伸ばして毎日ぐるぐると一人で回転を続けていた。
今年も私のゼミはたくさんの難関資格の合格者が出たと聞いた。しかし倉科くんも、草場くんも合格できなかった。悲しいことしかない。
先生は前の年と似たような挨拶をして、合格者に祝い金1万円を渡すと、亡くなった被災地にいたOB・OGへの黙とうが黙祷の時間が設けられた。ロン毛でガリガリの倉科くんと、私が田舎者だと分かっていないフリをしてくれる草場くんは、今年も公認会計士になる気まんまんだった。
だけど私の中の公認会計士への狂った祭りは、完全に田舎を襲った津波で燃え尽きてしまってい
た。
もう何もかもイヤになった私は、喫煙所で倉科くんからタバコを貰って吸った。あと14か月でザンギエフタイムだ。タバコって意外と美味しい。頭の中が空っぽになって気持ちいい。どこまでもタバコといたい。田舎の畑をタバコ畑にしたい。でもまだ被災地は安定していないから、今は大学の近くにある高級ホテルの宴会場でこうしています。
認識も、測定も、記録も、伝達も今ではできなくなったけど、タバコを私は確かに今感じている。
「こりゃ!一本頂戴!」
あれ?大学1年生の時に誰かがこんなことを言っていたかもしれない。イテ!私の頭に何かが当たった。まだ私は頭に何かが当たったこと程度に脳は頑張ってくれている。
「大変だったね。お父さんとお母さんは大丈夫?」
懐かしい人が私を胸で抱きしめてくれている。
「あまりも腐っていたから投げた。本当はペットボトルだぞ。でも私の大学時代最後の女の子の後輩だからワリバシで許してやるのだ」
りえさんだ。
大学1年生のゴールデンウイークに、あの寝袋と共にいなくなった外見が大塚愛で、おっぱいが宮沢りえのサンタフェのりえさんだ。本名は知らない。
私はそのあと泣きながらりえさんと今までの色んなことを話した。
簿記3級のりえさんは、大学3年生のキャンプを最後に大学を中退した。りえさんは公認会計士の受験資格である大学2年までの単位を取得して、退路を断って公認会計士に挑んだ。
並大抵の覚悟では合格できないほどの覚悟が彼女にはあったはずだ。でもそれが何だったかは、りえさんは絶対に話さないに決まっている。
公認会計士に合格した彼女は監査法人に入社した。私たちの知らないところで、やがて彼女は海外投資家たちと提携した震災復興のための小さなベンチャーキャピタルの設立に参加した。被災地出身者がいると企業のイメージもいい。殆ど大学3年生の時に授業に出なかった私は、大学4年目の授業を出ながら、そのアベンチャーキャピタルで働かせてもらうことになった。
わーい!わーい!
次の年の新年会も倉科くんと、草場くんは公認会計士試験に落ちた。
私たちは次の年の新年会でも、私たちは大学を卒業したけど、倉科くんと、草場くんは落ちた。
その次の年も2人は落ちた。倉科くんは実家がお金持ちだけど、相変わらず親に買ってもらったマンションから予備校に通い、週末にはお母さんが家のことを手伝いに来ていた。
お母さんを安心されるために勉強を始めた草場くんは、もはやお母さんの不安の種でしかない。
その次の新年会で、ついに草場くんが公認会計士に合格した。倉科くんは勉強続行だ。その次の年も倉科くんは落ちた。その次の年だってもちろん倉科くんは落ちる。
次の年の新年会では、意外な人物がうちのゼミから公認会計士に合格した。
あのさぷりまんだ。
彼はゼミの先輩だったのだ。泣いて勝手にスピーチをはじめよとしたさぷりまんに向けて、りえさんはワイングラスを投げて流血沙汰になって、血染めの新年会となった。
実は大学一年生の時のりえさんと付き合った4年生の先輩の正体がさぷりまんだった。さぷりまんは卒業後の世界不況の中で、小さなゲーム会社の1プログラマーを過ぎなかった。たまたま経理でアルバイトをしていたりえさんは、自分のおっぱいがサンタフェの宮沢りえだとバラしたさぷりまんを何かの形で、横領に見せかけて解雇させたようだ。さぷりまんは血だらけになりながら、何かを言っていたが、何が真実かはわからない。
ホテルの医務室から復活したさぷりまんは、この年も不合格だった倉科くんに酔っ払いながら絡んだ。
「お前は自分の大学時代からの今日までの、試験のために使った経費の金額でも計算していろ」
この時は私が奴にワリバシを投げた。
そこまでもやり取りを、倉科くんは黙ってタバコを吸いながら見ていた。
もう私は田舎者ではなくなった。その次の年の新年会では、私と草場くんは結婚報告をする予定だった。しかし会場では、空気を読んで黙っていた。
前年に涙の合格発表をしたさぷりまんは、どこの誰にも雇用されなくて、世の中に絶望して自殺したため、全員に黙とうを捧げることになったからだ。
糞袋の同期生は誰も参加しなかった。もちろんりえさんもだ。
ゼミの後輩たちは、合格できなかった倉科くんの予備校での頑張りを教えてくれた。どうやら講師にならないかとスカウトが来たらしい。
しかし断ったそうだ。世界恐慌の時だった一年生の時の、今の日本のどこかの組織のボスたちと戦おうとする姿勢は変わっていないようだ。もちろん未だに倉科くんは実家がお金持ちだけど、相変わらず親に買ってもらったマンションから予備校に通い、週末にはお母さんが家のことを手伝いに来ていた。
そして私は気づいた。りえこさんと再会したあと、私の頭の中からザンギエフはいなくなった。あのワリバシは、りえこさんのソニックブームだったのかもしれない。
さぷりまんが合格した去年は、りえこさんのグラスソニックブームと、私の2代目ワリバシソニックフームとのコンボだったのだ。
大学2年生の時の予備校の忘年会で、ビジネスの匂いがしそうなアピールをしていたさぷりまんの姿を思い出した。彼自身の心を苦しめているように見えたその自信のなさの源の、深い闇を私たちは解放することができたのかもしれない。
深い闇からの解放は自殺によって実現された。そういえば私が自分を田舎者であることについて考え、世界恐慌を中にして発生した頭の中のザンギエフに怯えることに使った日々は、さぷりまんの気持ち悪さと似ているように他人からは見られていたのかもしれない。彼と私はひょっとしたら似た人間だったのかもしれない。
その次の新年会の前の平日に、倉科くんから電話が私に入った。草場くんは仕事をしていたし、私だけが家事を終わらせて、倉科くんに会いに行った。
私は到着すると、彼の空気を認識して、測定して、私の心に記録した。
そしてそれは本当に今までにないほどに確実に心の深い部分に伝達された。
こんなことを意識するのはいつ以来だろう?しかし昔確かに私はこの世界に生きた。忘れるわけがない。そのきっかけになったのは、ここにいる倉科くんだ。
「少し雰囲気変わった?」
「実は5月に出産するの」
「おめでとう。草場にも宜しく」
「ありがとう。必ず伝えるね」
倉科くんの姿は、サークル室で一緒に会計を勉強することに決めた時と同じで、ガリガリガリでロン毛のままだった。10年以上変わらないのが羨ましい。
「試験不合格だった。もう諦めることにした。草場の監査法人も大規模リストラだろ。今年も受験しても、去年のあいつみたいに、この年齢で雇ってくれる時代じゃない。今日まで親の大金を溶かすことになっちまった」
そう私に呟いた瞬間に、見た目は10年以上前のガリガリでロン毛のままなのに、倉科くんから感じる何かが、確実に変化していくことを感じた。
少なくとも今の日本のどこかの組織のボスたちと、戦おうとする姿勢だけは、確実に消えていくことだけはわかった。私は妙な胸騒ぎを感じはじめた。
「これから倉科くんはどうするの?」
「今年からうちの大学の哲学科に編入して、時間について解明する」
サポートされたお金はすべて、日本にいる一番痛いアラサー女子のチャリティーに使われます。ピアピカの優等種の人がモチベーションを沸かさない、やりたがらない領域に劣等種として頑張ってます。