プロサッカー選手の心肺停止
コロナ禍により1年延期となった、サッカーの欧州選手権、UEFA EURO2020が遂に開幕しました。連日熱戦が繰り広げられる中、日本時間の未明に行われた予選グループB第1試合、デンマーク代表対フィンランド代表戦で大変な事件が起こりました。
突然の昏倒、そして心肺蘇生
前半終了間際、スローインを受けようとしたデンマーク代表のクリスティアン・エリクセン選手が突然倒れ、そのまま意識を失ったのです。私はこの試合をWOWOWで生観戦しており、多くの視聴者と同じく大変動揺しました。
勿論試合は中断し、直ちにメディカルスタッフが呼ばれます。カメラに映るエリクセン選手の目は焦点が合っておらず、意識不明の状態に見えました。私は嫌な予感がしました。というのも試合中に突如心肺停止となり、亡くなった選手がいた事を思い出したからです。
チームメイトが壁を作る中、心肺蘇生が開始されます。四肢がビクッと大きく動いたことから、AED(自動体外式除細動器)が使用されたことが分かりました。その後選手はストレッチャーに載せられて搬送され、空のピッチだけが映る状況が続きます。
その後40分ほど経過した後、UEFAの公式Twitterからアナウンスが有り、エリクセン選手が病院に搬送され、容態が安定していることが報じられました。選手の無事をひたすら祈り続けていた私は、安堵の涙を流しました。
プロアスリートの突然死
先に述べたように、プロサッカー選手が突然心肺停止となり、亡くなるという事例が稀に報じられます。
2002年の日韓ワールドカップにも出場し、大分県中津江村(当時)での住民との交流が報じられたカメルーン代表に在籍した、マルク・ヴィヴィアン・フォエ選手は、2003年のコンフェデレーションズカップで試合中に倒れ、そのまま亡くなっています。
スペイン1部リーグ、リーガ・エスパニョーラでは、2007年にセヴィージャFCに所属していたアントニオ・プエルタ選手が試合中に意識を失い、その後一時回復したもののロッカールームで再び発作を起こし、病院に搬送された後に亡くなるという事例がありました。
2009年には、同じくリーガのエスパニョールでキャプテンを務めていたダニエル・ハルケ選手が、遠征先のホテルで恋人と電話中に発作を起こし、亡くなるという悲劇も起こっています。その後、2010年のFIFAワールドカップ南アフリカ大会決勝でゴールを決めたイニエスタ選手が「DANI JARQUE SIEMPRE CON NOSOTROS(ダニ・ハルケ 僕たちは永遠に一緒だ)」というメッセージを書いたアンダーシャツを見せた場面は感動的でした。
日本でも、長く横浜マリノスや日本代表でDFとして活躍した松田直樹選手が、2011年、当時所属していた松本山雅FCでの練習中に倒れ、懸命の治療にも関わらず亡くなるということがありました。
これらサッカー選手の突然死はあくまで稀なケースではありますが衝撃的なニュースですし、「健康体」という文字が服を着て歩いているような頑健な肉体を持つプロアスリートに心臓発作が起きるというのは不可解にも感じます。何故このようなことが起こるのでしょうか。
プロアスリート故に起こる心臓発作?
若年アスリートの突然死の原因については様々ですが、2016年にMaronが北米で症例登録された886例を解析した論文では、肥大型心筋症が36%、先天性の冠動脈奇形が19%を占めていました。続いて診断されていない左室肥大9%、心筋炎7%、ARVC(不整脈原性右室心筋症)5%と続き、また心原性以外では外傷55%、薬物9%、自殺7%、心臓震盪6.5%などと示されています。
一方で肥大型心筋症はそれほど多くないとする研究もあり、左室肥大やARVC、冠動脈奇形の割合のほうが高いとするもの、そもそも原因不明のものが多いとするものもあるようです。その他の意見として先天性の不整脈疾患(QT延長症候群、Brugada症候群)なども突然死の原因と考えられています。
肥大型心筋症は心臓の筋肉(心筋)が分厚くなってしまうことで、心臓から血液を送る経路が狭くなったり、不整脈が起こりやすくなったりします。冠動脈奇形は心臓を栄養する血管の形に異常があることで、このため心筋への十分な血液が送られなくなり、狭心症や心筋梗塞、致死的不整脈を起こすリスクが高くなります。AVRCは右心室の心筋に異常が起こり、右心室由来の不整脈を起こしやすくなります。いずれも突然死が起こる原因としては致死性の不整脈が起こることが原因とされています。
今回、私はこの突然死が起こるメカニズムを詳細に解説した論文や記事をみつけることができませんでした。
アスリートはトレーニングにより心筋が肥大していわゆるスポーツ心臓になっているため、これらの病気を持っていると、トレーニングによる負荷>心筋の酸素需要増大>先天性の素因から十分な血流を得られない>不整脈>死という機転をたどるのではないかと想像しています。
私は産婦人科医で心臓は専門ではないため、循環器の専門医ご意見を伺いたいところです。
アスリートの心臓突然死を防ぐには
心臓突然死の原因の多くは「心室細動」と呼ばれる致死性の不整脈です。これが起こると心臓は血液を送り出すことができなくなり、心停止の状態となります。こうなると数分で脳を含めた全身の組織が機能できなくなり、死に至ります。
心停止からの救命率は1分ごとに10%ずつ低下すると言われ、できるだけ早く心肺蘇生と電気ショック(電気的除細動)が必要です。例えば試合中のスタジアム内であれば、すぐそばに居る選手や審判、チームのメディカルスタッフが、救急車の到着を待たずにピッチ上で心肺蘇生を開始できれば救命率は上昇します。
2015年に発表されたデンマーク(!)の論文によると、病院外で発生した心臓突然死に対して、その場に居合わせた人が心肺蘇生処置や救急車を待たずにAEDを使用することで73%を救命できたと報告されています。今回のケースも、メディカルスタッフが直ちに救命措置を開始し、適切にAEDを使用することによって、ピッチから搬送される際には意識を回復できたようです。
私たちにできること
突然の心停止の際、そばに居合わせた人が救命措置を開始することが大切なことは分かりました。しかし普通は目の前で突然人が倒れ、蘇生処置をやったことがあるという人はまずいません。そもそも医療従事者でもない自分が手を出してよいのだろうか?と不安に思うのも当然のことです。
総務省の統計では救急隊を要請し、蘇生処置を行わなかった場合の救命率は9.3%でしかありませんが、救急隊の通報とともに胸骨圧迫(心臓マッサージ)やAEDが使用された場合の救命率は50%を超えます。「学校・職場などで何となく訓練は受けたことがある」程度の人であっても、救急隊の到着前に蘇生処置を行うことには意味があるのです。ぜひ、勇気を持って一歩前に出ていただきたいと思います。
もうひとつ、今回のエリクセン選手の事例で私が感心したのは、チームメイトが蘇生処置の周囲を囲んで壁を作り、選手のプライバシーを守ったことです。例えば蘇生の現場では、AEDを装着するために着衣を脱がさなければならないため、心無い野次馬やスマートフォンによる撮影から要救助者のプライバシーを守る必要があります。救命処置に自信がなくても「これなら自分も協力できそうだ」と思える方は多いのではないでしょうか。
さいごに
今回は世界的に注目されるスポーツイベントの中で、生中継で心肺停止と蘇生の現場がテレビに映し出されるという衝撃的な経験をしました。幸いにして選手は一命をとりとめ、快復に向かうことが期待されますが、今後も同様のケースがもっと身近な現場で起こらないとは限りません。これを機会にもっと多くの方が心肺蘇生処置のトレーニングを受け、一人でも多くの要救助者が助かることを願ってやみません。
長文を読んで頂き、ありがとうございました。
2021/6/13【追記】動画が削除されたため、エリクセン選手の画像に差替
【追記2】画像が大きすぎるため、ロイターのツイートに差替
2022/3/27【追記3】埋込式AEDの手術を受けたエリクセン選手は復帰。2022/3/26デンマーク代表としてオランダ代表戦に途中出場し、見事なゴールを決めています
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?