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第1話…2022年2月28日 退職
魂はずっと悲鳴を上げていた。
限界だった。
守り固められた今までの社会を維持するために、僕は生きていたくなかった。
2022年2月28日。
就労支援経由でなんとか見つけた障害者雇用で9ヶ月間雇われた、地元のJAの事務職を退職。
とりあえず普通の人間を、人間以下の存在を、脱出したかった。
【2022年2月 JA退職】
— うたろう(旧:リトファー) (@Qu_no_utarou) December 31, 2023
とりあえず普通の人間を脱出したかった。限界だった。
守り固められた今までの社会を維持するために、僕は生きていたくなかった。
これ以降、「職場を探す」行為は諦めている。
しかし、ここで貯めた資産がその後の「学び」に役立ってくれた。 pic.twitter.com/Dp0yokWuJ6
2021年6月1日。
とある就労以降支援施設への1年半の通所を経て、いくつもの偶然が重なった末に、地元のJAに障害者雇用の枠で就職した。
一見悪くない仕事だったし、最初はいい職場を見つけたと思っていた。
それが9ヶ月後に、なぜ退職する運びとなったのか。
振り返れば、当時22歳だった自分の人生の実に19年もの間、どこかに通い続ける生活だった。
その中ではずっと、魂の底から望んだ学びも、仕事も、させてもらえなかった。
生まれてからずっと、何もかもを手元から奪われたままだったんだと思う。
一見「愛情」のように見えて、「世話」という名の汚れを与えられる。
まるで人間の食肉となるためだけに身を貢ぐ家畜のように。
それは人間社会でいうところの「介護」に近い。
職場の人は人間社会として見たら、いたって優しい人たちだと思う。
僕にとっていい職場になるようにと精一杯頑張ってくれた人もいるし、もちろんそのような人には感謝している。
でも自分がいるべき場所ではないのは確かだった。
それはどこに雇われていたってそう。
2021年10月13日に、転機が訪れた。
とあるアニメ作品を視聴したきっかけがあり、窮地に置かれたドラゴンキャラクターの心情描写に大きな衝撃を受けた。
それを境に自分はいかに窮地に立たされていたのかを、新たに手に入れた解像度で問い直すことになる。
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本来の姿、その面影はどこへ?
僕は小さい頃から、世界を俯瞰して見ることや、自由に世界を組み立てることが大好きだった。
箱庭シミュレーションゲームだってそう。ブロックの組み立てだってそう。
だから、もし僕の大いなる本体を表す概念があるとするなら、「創造神」に近いのだと考えている。
世界を創っていた、それに携わっていた、そんな存在が、自分自身の世界すらも創れなくなっている。
ここまで落ちぶれることはあっただろうか。
想像できるだろうか。
カッコつけたり誇大妄想をしているだけもしれない。
でも、そういった一貫した苦しみを背負って生きてきたのは事実だ。
仮説としてではあるが、簡単な神話にしてみる。
僕が大好きな創ったはずの世界は、人間たちが好きなように、「俺が俺が」と所有を争いながら、壊しながら、汚しながら使っていった。
それでもなお、人間が自然とは違う新たな風を吹き込んでくれるのにとても興味があって、「いかにうまい共存をみせるのだろうか」と見守ってきたような部分もある。
だけどこの体で生まれてきて、そのフィルターが映し出す世界は、あまりに解像度が低かった。
興味があったように見えたものは偽物だったとわかった。
そんな背景に、もう、見切りをつけてしまった。
人間は自分たちの社会を守り固めることしか眼中にない。
そんな人間の分霊を使いこなせない、使うのに抵抗があった自分は、人間社会から幼稚で奇異な存在だと見られてしまう。
気づけば、ずっと「人間のおもちゃ」だった。
それは本来の姿をないがしろにする、あってはならなかった姿。
とにかく何もかも忘れて、好きなようにされている自分が悔しかった。
ネットで幸せを享受しながら昇進していく仲間たちを見ていて、今までの自分がどれだけ理不尽な状況に置かれてきたかを理解した。
自分の体、自分の魂、こんな不器用なはずはないのに、と。
何もわかってない。
言動と行動が一致してない。
嘘しかつけない、ありえない。
誰かに、自分の存在理由さえも好き勝手に決められてしまう。
自分はどうなってしまうのだろう、自分じゃないと過ごせない、自分じゃないものにはなれない…
ただ仕事ができなくなり、職場にも、事業所の職員にも、迷惑をかけてしまう日々だった。
2022年1月、そんな中でも意を決して行った、遠く離れた豊橋の地。
初めてのJMoF2022と獣化博が終わり、「本来あったはずの世界」を見つけた。
このような世界を探していたし、こんな世界を創りたかった。
親の期待を、人間の期待を、聞いて、応えようとしている場合じゃない。
ただでさえ、そんな期待に応えられないのだから。
あえて今まででは考えられなかった行動に出たい。
今の自分だから、それができた。
そんな決意は、余力は、退職届へと変わった。
非常識かもしれないし、実際に困難続きになったけど、これ以降「職場を探す」行為は諦めている。
しかし皮肉にも、ここで貯めた資産がその後の「学び」に役立ってくれた。
第2話へ続く