深瀬と未来の銀河街の悪夢

日本のバント「SEKAINOOWARI」のボーカルさん深瀬慧さんは日本で高校退学してから親にアメリカへ留学しに行きなさいと言われ一か月半ぐらいにアメリカ滞在してた。現地の文化に慣れなかった深瀬さんは心の病に抱えながら日本に戻った。病気を治すために17歳の深瀬さんは親に精神病院に入院させた。病院の中に治療してた間、おしっこまで監視カメラに取られた。結局、心の病はなおれたけれども心の傷もできてしまった。深瀬さんは病院の中にいろんな理不尽なことを経験したので心理学者になりたがってた。麻酔や薬のせいで深瀬さんはもう大学受験できる能力を見失った。幸いのことで深瀬さんは小学生からの幼馴染さおりさんとバンドを組むことになった。そう!さっき言った「SEKAINOOWARI」というバンドだ!バンドのメンバーさんと一緒に音楽のこと頑張りながら音楽を作り、音楽に癒し、今はもう有名なアーティストになった。
さってと未来さんは?はい!自己紹介させていただくわ。未来はつまり作者さんのことである。15歳の時に不登校になって以降、クラスメート、高校部の先輩、大学生のボランティアさんなどいろんな人の訪ねを拒んだ。挙句、お父さんとおばさんに精神病院に入院させた。原因は未来さんがお母さんの髪を勝手にカットされたり、起こったらもの投げたりした。入院したばかりの未来さんはベッドに帯で縛られたのでおっしこしたい時が看護師さんを呼ぶことが嫌がってた。それでそのままでベッドにおしっこを漏らした。未来さんは強がりやさんで負けず嫌いで大きな声えで泣きながら叫び出した。「ここに運ばれたのが嫌!私を離して!家に帰りたい!!!」精神病院でもがった未来さんは看護師さんたちに電撃されて一時的に意識を失った。あの時はちょうど中国初の北京オリンピック大会で確かに2008年8月8日だった。未来さん以外、いやいや。精神病院に入院者以外な中国人たちの皆さんは喜びながらテレビを楽しみに見てた。

「蝉が喚いて夏の到来を知る
其の都度何故か羨んで居るのさ
此の戦地で尽きたら「何シラヘノ服従」
帰る場所など何処に在りましょう
動じ過ぎた
もう疲れた
愛すべき人は何処に居ましょう
都合の良い答えたは知っているけど」
椎名林檎の「ギャンブル」
あの日以来、未来さんは○○運動大会のことを嫌いになった。夏のことも嫌いになった。ベッドに縛られた未来さんは夏の夜にセミの鳴き声を聴きながら一人でこっそり泣き続いた。体は電撃されたせいでビビられたことをずっと忘れたことがなくまるで寒い冬の日に寒すぎて心臓も氷に慣れるぐらいに震えた。
未来さんはベッドに縛られた翌日冷静になれた。同じ病室に住んでるおばあちゃんから「大丈夫?水、飲まない?」親切に声かけられ未来さんはちょっと驚いたが頷いた。「みんなそうよ!来た時には嫌がってた時期があってね。でも、病気だから仕方がないでしょ?ちゃんとお医者さんの言う通りになってすぐ退院できるわよ!あんた、若いね!何歳?」
「15歳です。」未来さんは泣きながら答えた。
「あら!そうなの?大丈夫だよ!きっとすぐに治れるわよ!」
未来さんは現実のことを受け止めた。
やっと三日にベッドから解放され、自由に動くことになった。精神病院の中に心の病を治すためにいろんなルールがある。スマホンやナイフ使用禁止された。本もちゃんとお医者の目を通して私の手元に運ばれた。病気のせいで本のことに興味津々だった私にはもう何も読みたくなかった。中学二年生の未来さんは理系が苦手だけど、国語(中国語文学)には得意だった。
中学校で理系得意だった広東省出身の男クラスメートから未来さんが書いた作文が誰かのもののパクリと皮肉に言われた。そして、精神病院を退院してから長い時間で文学のことを諦めた。今を思えばばかばかしいなことで十代の私は脆くてそう思った!なので、皆さん決して好きなことを諦めないで!15歳から日本語を勉強し始めてた私はある大学教授に「好きなことを続きなさい!好きなことは人を喜ばせるよ!いつかビジネスに繋がるかもしれないし。」と言われて日本語のことずっと使い来た!
十七年前の中国の精神病院の中に住んでた人は「CRAZY PEOPLE」と思われてた。未来さんは誰とも喧嘩してなくみんなと仲良し過ごした。朝ごはんいつもおかゆで何味もなかった。食事後でラジオ体操でみんなと一緒に体を動かしたり夜の時間帯に「新聞聯播」という番組でニュースを見たりしてた。過去も現在も未来も考えずにただ時間が過ごしただけだった。
未来さんにとって一番影響深いのは重病室の患者さんのことである。解放軍文芸団に所属された40代前半のきれいなお姉さんがいつも独り言でベッドの上にダンスしたり中国らしい歌を歌ったりした。あのおかげで未来さんは中国の大晦日の「春節聯歓晩会」に出た中国らしい歌番組を嫌いになった。ピンポンやバドミントンなど中国らしいスポーツも嫌いになった。随分月日経っても好きになれなかった。日本人の友達と温泉に行ってた際にちょうど卓球テーブルがおいてあるので「せっかくだから卓球しませんか?」親切に誘われて私は「下手です!」しか返事できなかった。幸いに最近連絡取れて自分が中国らしいスポーツ嫌いになった原因をちゃんとつたえた。今日はコーヒー屋さんで友達に話した結果「JOY ZHOUのことも好きじゃなかった。」を言った後で「それはそうだよ!だってJOY ZHOUも春節聯歓晩会に出演したんだね!」とツッコミした。思えば確かなことだ!
今、思えば私は十代ごろに精神病院に入院した件で結構影響された。男と付き合うと単に「いつかろくでもない男と別れた挙句再び精神病院に戻るかもしれない。」を思う。根拠がちゃんとある!精神病院に入院して女性たちはみんな男のせいで入院させた。私は父さんから理由問わずに殴られたり、例の文芸団のお姉さんは夫が若い同僚さんと不倫になったり、私よりちょっと年上のお姉さんは彼氏が暴力振り回されたり、おばさんは息子さんに脅かしたりなどの原因で入院させた。
退院後、今31歳になってた私は愛という名の川に一度訪れたことなくずっと逃げつつけてた。今まで自分のことをおかしいと思い、いろんなことを演じてすなおになれなかった。 

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