アリス イン ヒステリア(バラバラ猫はアリスの味方)第10話
「待ちくたびれたよ、おちびちゃん」
さっきまで双子が居た場所で、かさかさと草が揺れる。
その茂みから、聞き馴染みのある声が聞こえてきて……全てを察した。
猫、と私は口の中で小さく呟く。
「邪魔だったから、つい蹴り飛ばしてしまった。随分飛んでいったみたいだから、悪かったなあ」
双子の女が私を庇ってくれる訳も無い。殺そうとしている相手だ。多少言葉を交えた所で分かり合えるとも思えない。
ただそこには、あの姿があった。
猫はしゃがんで、私と目線を合わせてくれる。
首を傾げる仕草は何処か憎たらしい。
「彼等と何をしていたんだい? 遊んでいるなら、てっきり帽子屋かと思ったよ」
相変わらずの飄々とした態度。
人の命の危機など、全く知らない様子は腹立たしい。
――でも、来てくれた。
また来てくれた。また助けてくれた。
その気持ちが強くて、涙腺が刺激されたのか視界がかすんだ。
「遅い! 来るのが遅い!」
「おちびちゃんが来ないんだよ」
確かにそうだが、今はどうこう言っている気分ではなかった。
上半身を起こして、同じ高さとなった視界で、猫の胸板を拳で叩く。
「遅い……」
私の頭を撫でてくる猫に、また泣きそうになっていた。
「どうしたんだい――おや」
そこで猫の視線が足へと移る。
刺さっているそれを捕らえたようだ。
「……どうしたんだい、それは」
言わずとも、きっと察したのだろう。
猫は変わらず斜め上に裂けた口で笑っている。
けれど……その笑う顔が、怒っているように感じられた。
「どうして反撃しないんだい。武器は渡しているだろう」
痛い所をついてくる。
私が考えたくなかった事を猫は易々と言葉にしてしまう。
「……帽子屋さんに置き忘れて」
すると猫は大きな瞳を細くする。
それからわざとではないかと思わんばかりに、大きく首を傾げた。
「おかしいな。帽子屋とあの双子の関係は良好だ。君を狙うつもりなら、その情報は届いているはずだが」
――やはり、そうなのか。
猫の言葉に、残しておきたかった希望が排除される。
「やっぱり……わざと……」
猫は黙っていた。
ガサッと草が大きく揺れる。
「やっぱりテメーの連れか、そのガキ」
ずっと響くチェーンソーの音のせいで距離がイマイチ掴めなくなっていたが、男が戻ってきたらしい。
――女の首を片腕に抱えて。
生首になった女は、男の腕の中でゆっくりと瞬きをする。
不気味な光景に、近くに転がっている女の体を一瞬確認してしまった。
「大丈夫だったか、おまえ」
「ええ」
「ごめんな、俺のせいで」
「あなたが悪い訳じゃないわ」
女の体は動いていない。血は出ていないが、死体のように地べたに転がったまま。
そんな体を放って、男と会話する彼女の首は……不気味を通り越して少し滑稽でもあった。
男は片手にチェーンソー、片手に愛する人の首。
もはやその存在は悪夢以外の何者でもない。
「後で帽子屋へ行って直してもらおうな」
――帽子屋。
その単語に一気に思考を奪われる。
やはりこの双子とあの帽子屋のお姉さんは繋がっている。
呆然としている私を一瞥してから、猫はのっそりと立ち上がった。
「誰だい。この子をいじめたのは」
猫の声が少し低くなっている気がした。
「いじめた? はっ、笑わせるな」
「また君達だね」
猫の口調といい、双子の対応といい、顔馴染みでも、この二組は決して良い関係ではない事は伝わってきた。
「よくもコイツの首を」
「君がそんなものを振り回していたからだろう」
「うるさい」
双子の男は、女の首を地面に置く。
猫は、私の頭をもう一度撫でる。
それを合図にして、二人は一気に駆け出した。
――速い。
猫は思った以上に速かった。それこそ猫のように、草原を一瞬で駆け抜けて、あっという間に男の懐へ入り込む。
そんな猫を、男はチェーンソーを振って切ろうとする。
だがそんなもの何でもないと言わんばかりに、猫は高く飛んで避けてみせた。
「凄い……」
猫自身が戦っている所は初めて見た。つい魅入ってしまう。
確実に猫の方が優勢だ。軽い身のこなしは見ていて惚れ惚れする。
けれど、これまで私に戦えと言うばかりだったのに、どうして今は自分で戦ってくれているのだろう。
――私のため、だろうか。
「あなた。それと真面目に戦っても無駄」
近くから聞こえてきた女の声に、肩がビクッと震える。
もはや第三者として見守るだけになっていたが、気付けば双子の女の首がすぐそこにあった。男が置いた勢い余って、転がってきたらしい。
女の綺麗な顔は、横を向いたまま私を見つめていた。
「このガキ狙って」
波打つ長い金髪が数本入ってしまった口で、女は言い放つ。
真っ直ぐに私を見つめてくる瞳は澄んでいて綺麗なのに、口走っている言葉は全く違う。
「……そうだな」
男は視線の先を、猫ではなく、私に変えてくる。
そのまますぐに走り出す。
はっとして立ち上がるが、足に刺さったままのアイスピックのせいか、上手く走れない。
どんどん距離を詰められる。
轟音がすぐそこまでやってくる。
男は振りかざす。
また、チェーンソーが目の前。
「おちびちゃん」
でもやはり、猫の方が速かった。
男より奥にいたはずなのに、もう男を追い抜いて……私の前へと立っていた。
鈍く、肉を引き裂く音が響いた。
私の悲鳴が木霊する。
「猫!」
どさりと肉の塊が落ちる。
チェーンソーの刃は猫の体を貫いた。
傷は斜めに走って、体を上と下の二つに切り裂いた。
「よっしゃ!」
双子の男は嬉しそうに笑った。
「猫……猫……!」
腰が抜けて、もう立てない。
ただ、目の前に転がっている猫の体から目を離せない。
胸の辺りで切られた。
腕のついた上半身は、力無く私の傍らに寝そべっている。
残り半分の、足がついてる方の体。
男はそれを踏み付ける。
この双子、二人共が人の体を踏む事が好きらしい。
悲しいとか、恐怖とか、身の危険とか……そんなものを通り越して、私は奥歯を噛み締めた。
――よくも。
「そこまでして守るって事は、やっぱソイツも女王の手先なんだな。お前と同じで」
「女王の手先? そんなものになった覚えはないよ」
ぎょっとする。
てっきり動かなくなったと思っていた猫の上半身は、付いている腕を器用に使って、半分だけの体を持ち上げる。
お陰で猫の顔が見えるようになって、その声もよく聞こえる。
「猫! 良かった……死んだかと思った……!」
「これ位は平気さ。いい加減、学習をおしよ」
人が心配していると言うのに、何て台詞だろう。
でも、それこそ無事だと実感出来て、安心した。
男からは舌打ちが聞こえる。
「随分余裕だな。え? やっぱバックに女王が居るからか」
「だから違うと言っているのに。君も学習能力が無いなあ」
いかにも苛ついている男を前に、猫の上半身は頬杖をついた。
交わされる会話の意味はよく分からないが、女王という単語は気になる。
帽子屋でも何度も聞いた、女王という存在。
「しらばっくれんな! お前のせいで仲間が何人死んだと思ってんだ!」
「女王がやった事だよ」
「テメーはそれを止めなかったじゃねぇか!」
「認知と放置の違いだね」
「適当に言葉並べやがって! 俺達の仲間を見殺しにしただけじゃねぇか!」
「やれやれ。君は結論主義者かい」
仲間を見殺しにしただ、違うだ、互いに一切譲らない言い争いが続く。
私は事情を知らないので、話の内容は理解出来ない。
けれど男が興奮しているのは十分に分かった。
きっと、わざと。
猫は人の心を操るのが上手いのかもしれない。
「あなた! ソイツより!」
「テメー、再起できないくらい、バラバラにしてやるよ!」
双子の男は、切り離された猫の下半身を更に踏み付ける。
チェーンソーを持ち上げて、抵抗のない足を更に切り刻んでいく。
両足。太腿。足首。
更には上半身にも近付いて、胴体を肩から真っ二つにも裂く。
「ちっ、しぶとい。ここでもねぇのか」
「無抵抗な相手を虐めるのは楽しいかい」
「黙れ!」
目を逸らし、口元を覆いたくなるような光景だが……私の心は決まっていた。
「……猫!」
私を襲ってきたこの双子。
何より、私を守ろうと庇い、傷ついた猫を殺そうとしているこの男。
許せない――と思った。
「コイツの弱点どこ!」
チェーンソーの動きが止まる。
私の声が聞こえたようだ。
「あなた!」
女の声も響く。
だが、絶対にやってやる。
私は足に刺さるアイスピックを引き抜いて、握り締めた。
この武器で勝てるかどうかは分からない。
距離は微妙。小回りが利く分には、こちらが有利。
いや……素早く動ける事しか、アドバンテージは無い。
それでもやる。やってやる。
「クソッたれが!」
猫から刃が逸れた。
男は再び、私を狙う。
チェーンソーを肩に乗せて、こちらに駆け寄ってくる。
「猫!」
違和感が残る足を誤魔化しながら、私も構えの体勢に入る。
――何処を狙えば良いのだろう。
私の知っている情報は皆無。
ただ双子の男というだけ。
「女を狙い」
「――え?」
動いた猫の口からは違う相手が出てきた。
「でも男を!」
「女の心臓を刺すんだ」
よく分からない。
でも猫と目が合うと、私は頷いた。
胴体に頭と腕一本しか残っていない猫の姿を見れば、躊躇している余裕は無い。
少し離れた所に転がっている女の体。
そこに向かって、私も駆け出した。
【←前】
アリス イン ヒステリア(愛し愛する双子と対峙)第9話|アサキ
【一覧】