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人は自分の植えたものを収穫する

12月1日、ランドセルを寄付し続けている中谷さん主催の国際ビジネス学会チャリティーフォーラムに参加してきました。
最近ご縁のあった人からの紹介です。
 
会場に入って、KINJIRO AFURICA PROJECTの設立委員会の人と名刺交換をしました。
「えっ、アフリカに金次郎の生き方を伝えるんですか」
「そうです。学びたいと希望があるんですよ」
「その前に、日本人に知らせて欲しいなあ」
「まずアフリカでやります」
「ならば実績をあげて日本に逆輸入ですね。日本人は外圧に弱いですから」
と話をしながら名刺の裏をみたら、今も強烈に印象として残っている金次郎の言葉がありました(寝言ばかりをやっていたので)。
 
道徳を忘れた経済は、罪悪である。
経済を忘れた道徳は、寝言である。
 
経済とは「経世済民」、「世を経(おさ)め、民を済(すく)うの意味で、国家社会、国民のためなるのが経済ということになります。
 
三戸岡道夫著に『二宮金次郎の一生』(栄光出版)があります。
同書によれば、「父、母、祖父の、それぞれ異なった面を引き継いで育っていったといえよう。学問好き・困窮者への慈悲は父ゆずりであり、六尺豊かな体格は母ゆずりであり、幅ひろい農業活動は祖父ゆずりであった」ようです。
 
金次郎5歳のとき、南関東に暴風雨が荒れ狂い津波が発生。二宮家の田畑も流失し、石河原になってしまいました。その復興に父は借金を重ね、4~5年頑張るのですが、二宮家は貧乏になっていきます。その上に父は生来壮健でないため病気になり、益々生活が苦しくなりました。
金次郎は11歳になり、少しでも家のためになればと、父の代わりに堤防工事に出て頑張ります。しかし、大人のようにはできない。
そんな金次郎でしたが、今まで村人に恩恵を与えていた金次郎の父を知っていたので、誰からも苦情は言われませんでした。
それでは申し訳ない、と考えて金次郎は草鞋作りを始め、村人がただで使えるように道に置きました。
草鞋は金次郎が作ったものと村人が知るようになり、金次郎は褒められ、励まされました。
金次郎は、この好意に甘えることなく、他の人々が休んでいる時間にも休まずに、一日中、一所懸命に働きました。
そのため子供ながら土石の運搬でも、かえって大人にまさる仕事をこなし、村人を感心させました。
こうした金次郎の生きる姿勢が、
勤労(徳に報いるために働く)、
分度(贅沢を自らが慎む。収入の範囲内で支出する)、
推譲(分度して残った剰余を他に譲る)、
積小為大(小を積めば大となる)、
などの言葉になって私達を導いてくれています。
そして、「人は自分の植えたものを収穫する」とも言っています。
 
因果応報に通じていますね。
原因があって結果があります。
良き種を蒔けば、良き実りがあります。
善因善果
悪因悪果
自因自果
結局、「自分の人生は自分が創造している」ということになりますね。
 
 

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