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怪談『ツクリバナシ』参

此処に一つのくわだてをしよう──────────


さあさ、始まりました、根も葉もない噂、戯れ言ざれごとばかりのつくり話。
全て夢、幻、嘘八百のでっち上げにございます。
されど此の世は思い込みと勘違い、誰しも偽りの紙芝居に魅入ったわらべの如し、浮き世の運命さだめでございましょう。
今宵こよいは童に還って、久方ぶりに幽玄なる彼岸を覗いて下さいませ。
貴方も、
わたくしも、
生まれる前のの頃へ、、、、、、


“タヌキ”

 「家に帰ったら庭にタヌキがいたんだ」
 と彼は言う。
 へえ、農業とかしてはるんですか?とあたしは応じる。
 地方の、広い、大きな田舎家で、まだ自然がたくさん残されている所の出身なのかと思ったのだ。
 「違う違う」
 彼は中部地方の大都市の出身で、周りは民家とチェーン店ばかりで、タヌキの棲むような林など全くないらしい。タヌキなんて見た事ない、その辺に棲息しているなんて聞いた事ないという。
 「びっくりしたよ。学校から帰って来て自転車仕舞しまおうとしたら、庭にタヌキがいるんだもん。それでこっち見てんの」
 最初、ニュース等で話題になっている都会のアライグマか?と思ったそうだ。
 それで、じっと観察してみた。
 しっぽで見分けられると知っていた。シマシマならアライグマ。墨をつけた筆のように先端だけが黒ければタヌキ。
 しっぽは先だけ黒い。
 ではタヌキである。
 街中に……タヌキ。
 へえ~と思って、しばらく眺めていると、

 ぽ─────ん

 とタヌキは跳び上がった。
 助走もせずに信じられない跳躍力で、ブロック塀を飛び越えて、隣家へと消えた。
 大人の背丈より高い、2メートル近い塀を軽々とジャンプする。
 “タヌキってすげえ❗”
 間抜けで臆病で弱い生き物とされたりするが、とんでもない。そこらの猟犬よりも身体能力は高いかもしれない。兎に角とにかく、すごい。
 感動した、と彼は語る。
 そう。
 タヌキはすごい。
 あたしもそう思う。
 山歩きしていたあたしには、狩猟鳥獣・害獣等の知識がある。
 タヌキのジャンプ力はせいぜい1メートル。
 農作物など1メートル程の柵があれば充分に作物を守れるのだ。
 2メートルも垂直跳び出来るなど聞いた事がない。
 そんなことはやれない。
 タヌキにやれるのは………………
 ジャンプしていなくなったと見せ掛けて、彼の横をスタスタ歩いて去って行くことだろう。
 タヌキは化かすのだ。



あらあらまあ❗
可愛らしいタヌちゃんですこと。
うまく逃げおおせて、フアンまで出来て。
くすくす。
なんだか昔話のようですわねえ。
昔は不思議な生き物が様々おりましたでしょうねぇ。


“濁流”

 戦前の話である。老猟師が教えてくれた。
 その自然豊かな地域は景勝地として知られており、春に秋に、大勢の観光客が訪れたそうだ。今と違って自動車も鉄道もまだまだ乏しく、あの頃は大きな河を船でしたものだ、という。
 ある台風の日。
 大雨で河は増水した。
 日頃、水路として便利に使っている清流も、荒々しい濁流となっていた。
 氾濫したら、川下の集落は大惨事だ。
 予断を許さぬ状況に、数名の男たちが笠にみのまとって、雨の中、高台から河を見張っていた。
 土色というのか、濁って荒ぶる水の流れは恐ろしかった。
 大変な事になる、と皆は戦々恐々と怯えていた。
 そんな中、

 ぴょん、と何かが濁流から飛んだ。

 魚だ。

 大きい。

 その魚は、何度もぴょんぴょん濁流から飛び出し、跳ねては水に消え、また跳ねるのを繰り返した。
 流されてなどいない。
 殆んど、同じ位置をぴょんぴょん跳ねる。
 そこだけ見ると、遡上する鮭のようだが此処は増水した濁流だ。
 どういう訳か、その魚は繰り返し繰り返し、何度も何度も跳ね続けた。
 不思議な光景を男たちはじーっと見ていた。
 いつの間にか、
 雨が止んでいた。
 雲が切れて、太陽が覗いている。
 “ああ、ありがたい”
 “助かった”
 と安堵の溜め息を吐く男たち。
 気がつくと、魚はいなくなっていた。
 男たちは一様に、こう思った。
 “ヌシ様だ”
 この河の主様が、必死に御天道様におすがりして、濁流を鎮めて下さった。水害を防いで下さった。
 そんな伝承や言い伝えはないのだが、それでも目の当たりにした男たちは本能的に、あれはこの河の主であると悟った。
 それは山女ヤマメのような姿だが、鯛より大きかったという。


有り難い主様ですわねえ。
でも、河の主様は河童カッパじゃないのかしら?
こういう時、河童はなにをしているのかしら?
もううに滅んでしまったのかしら?


“河童”

 実は現代でも河童の目撃談はある。
 ところが、これは受け取る側の問題もあって、あまり怪談にはならなかったりする。
 一、UMA扱いになる。超常の存在というより未確認生物、生きていた絶滅動物扱いになり、不思議なものを見た❗️というより、レアな動物見れた❗本当にいたんだ❗になってしまう。こうなると、不気味とか怖いとかの余地がないのだ。
 二、宇宙人と解釈する。確かに、河童=グレイ説がある。そのシチュエーション河童じゃないですか?と思うが、本人は宇宙人だと言う。こうなると、河童にカウント出来ない。宇宙人なら宇宙人と、パスポートか住民票か出して貰いたい。
 三、キャラクター。水木しげるさんの影響が一番大きいと思うが、河童はキャラクター化してしまった。ユーモラス&愛嬌のあるものとされ、怖さと無縁になってしまった。江戸時代からその要素はあって、そこらにうじゃうじゃ実在するものとされていたが、それでも畏怖されてもいた。その辺が、損なわれてしまった感がある。本来の河童は『不気味な隣人』という扱いであるのに。

 この辺の理由から、怪談としては少ない。
 それでも少数はいる。
 飲食店で働く彼女は河童を見た❗️と語った。
 夜、車で橋を渡っていると、それが飛び出してきた。
 “人!?”
 急ブレーキで激突せずには済んだが、すぐ目の前、ヘッドライトに浮かんだその異形は、、、、、
 『全身毛むくじゃらで二本足で立っててね、口から牙がたくさん出てて、目は一つしかないし、耳がびろーんって長くて、トサカみたいに髪の毛が逆立ってたの❗怖かった~❗️』
 それは、
 河童ではない。
 確かに毛の生えた河童の亜種のようなものはいるとされるが、一つ目はない。
 彼女は、彼女の言うところの河童と暫くの間、見つめあっていた。放心して、じっと見つめていた。
 数十秒見つめあった後、その河童?は、小走りに橋の向こうへと消えた。川に飛び込んだりはしなかったそうだ。何より怖かったのは彼女の進行方向に行った事で、家までつけてくるのではないか?という不安だそうだ。いや、それストーカーだから…………
 河童とは言えないと思うが、本人は河童にしたい。
 これは何か理解不能な存在に遭遇して恐れおののき、それらしい説明を付ける事で納得する、という防御反応だそうだ。だから昔の人は、奇っ怪なものを何でもかんでも狐狸こり妖怪のせいにした。それなら不思議ではない、害はないと安心したのだ。
 取り敢えず彼女が、得体の知れない人型の怪物に遭遇し、心底怯えたのは間違いない。


あはははは。
いやですわ、河童じゃございませんの。
その辺どうなんでしょ?
河童ってホントはなんなんでしょうねえ?


“河童2”

 あたしと同年代の人から聞いた話。
 地方の出身で、自然が豊かなところで育った彼は、中学生になっても友だち数人と川遊びをしていた。
 近くに小さいが清流があり、夏場はそこで、飛び込んだり、泳いだり、浮き輪を使ってアグレッシブな遊びをしたり、遊びまくった。
 丁度、絶妙に流れがカーブし、木が生えているエリアがあって涼しいし、目隠しにもなって大人に咎められず、その辺の子供にとって絶好の遊び場だった。
 川行こうぜ❗と、プール行こうぜ❗というノリで遊びに行った。特に示し合わせずとも、同級生はそのエリアに集まった。知らない高校生のお兄ちゃんたち(多分ヤンキー)も、そこでは優しくて一緒に遊んでくれたし、小学生のちびっこたちもいて、怪我しないようにと自然と気遣った。
 誰か何か強制したりせずとも、自然に子供たちのルールや良い関係が出来た。いい遊び場だった、そうだ。
 そのくそ暑い日も彼らはそこで遊んでいた。
 同じ学年の五、六人と、誰かの弟である小学生が五、六人。あと知らない中学生の女子も数人いたそうだ。
 (彼女たちは全身濡れるような事はしなかったが)
 カーブで流れが速くなっている所を、浮き輪に寝そべり、ドリフトするように飛沫しぶきを上げる。
 わーきゃーやって盛り上がっていた。
 そこへ、、、、

 ざっ

 その木立の中から何かが現れた。
 誰か新たに遊びに来たのか?と最初は思った。
 女の子たちが小さく悲鳴を上げた。
 それは、全裸の老人だった。
 モロ出しである。
 変質者だ❗何か危害を加えてくるのではないか?と彼らは身構えた。
 だが、
 頭髪はうすく、白くて妙にぬめっとしたその老人は普通ではなかった。
 四つ足で歩くのだ。
 両手両足を地面に着いて、ペタペタと歩いた。
 その老人は、川に入った。
 深い所にざぶんと体を沈めたかと思うと、ぷか~っと浮かび上がった。
 仰向けになって浮いている。
 体毛のないそのモロ出しの老人100%も浮かんでいる。
 ホームレスのじいさんが水浴びにきた??いや、それでもどうして全裸なのか?ボケ老人なのか?分からない。
 さっぱり意味不明だし逃げる程怖くもない。老人は、一言も発しないので、どうしていいか分からず、困惑しながら眺めていた。
 老人はずっと浮かんでいる。
 やがて、流され始めた。
 頭から川下に、ゆっくり、ゆっくり、流されていく。
 いいのかよ、と思ったが、老人は流されるまま。
 沈む事もなく、ぷかぷかと流されていく。
 そうして見えなくなった。
 後にも先にも、その川で変なじいさん見たのはその時だけだそうだ。
 老人は『河童』という事になった。
 どうして?とあたしが訊ねると「カッパハゲだから」と爆笑していた。
 カッパ、、、、
 普段は人間になりすましていたが、暑い日に、体力を消耗し切って、ふらふらと川にやって来た──────
 心地良さそうに流されていく年老いた河童──────
 そんなヴィジョンが浮かび、あたしは確かに河童かもしれないと思った。



あらぁお気の毒に。
人間社会で河童が生きていくのは大変でございましょうねえ。
草臥くたびれて、たまたま人間に見つかってしまったのでしょうねえ。
でもその子たちも良かったですわねえ。
目撃者を気にしないあやかしで…………



“旋風”つむじかぜ

 旋風を目にした事はおありだろうか?
 小さな竜巻のような現象である。竜巻とはメカニズムが違うし、規模も遥かに小さいが。
 彼は野球部だった。
 その日はよく晴れた気持ちのいい日で、野球日和びよりだった。と言っても、そんなにガチガチの部ではなくて、楽しくやろう、という活動だったので、牧歌的な楽しい時間だった。
 休憩している時に、それに気が付いたそうだ。
 グラウンドの隅で、渦を巻いているものがある。
 地面から数十センチ程、砂埃が渦を巻いて回っている。
 “なんだあれ?ああ、あれが旋風ってやつか❗”
 部員たちは好奇心を刺激され、野球そっちのけでそのくるくる回る砂埃を眺めた。
 へえ─❗️初めて見た❗️俺も❗おもしれー❗と、盛り上がった。
 その中で一人、これに何かぶつけたらどうなるのか?と言い出すやつがいた。
 確かに。
 ちょっと想像できない。
 ペットボトルを放り込んで見よう、となった。
 竜巻ほど強くないから舞い上がるのは軽い小さな物だけだろう。弾き飛ばされるとも思えないが。
 どうなるんだろう?
 好奇心で部員たちはワクワクして投げ込まれるペットボトルを見つめた。

 ぶしゃっ!!

 「………………」
 嘘だろ、と全員言葉を失った。
 そのペットボトルには、ミネラルウォーターがまだ1/3ほど残っていた。
 重たいのだ。
 その口の部分が抉られ、ひしゃげて、中の水が飛び散った。
 無惨な切り口を見せてペットボトルは地面に転がっていた。
 それから間も無く旋風は消えた。
 彼は語る。
 「ペットボトル割れるの見た事あります?最近のエコな薄くてふにゃふにゃのやつじゃないですよ?刃物で斬りつけないとあんな様にはならないです」
 ペットボトルは、首を殆んど飛ばされていた。その飲み口のキャップの部分も抉られていたそうである。
 平行に走る何かの爪痕のように、
 抉られていた。
 鎌鼬かまいたち──────
 彼もあたしもそれを連想した。
 旋風に乗った見えない獣により突然、皮膚が切り裂かれる現象として、古くから広く流布しているが、中には三匹で一組であり、一匹目が転ばし、二匹目が切り裂き、三匹目が薬を塗るなどとも言う。これは、鎌鼬に切り裂かれた部分は出血せず、痛みも少ないという話に起因すると思う。
 この現象は古来から合理的に解釈しようと、様々な説明がされてきた。古くからあるのが旋風そのものに関する解釈である。
 一番有名なのは【真空説】だろう。旋風による気圧差が真空を生み出し、それで傷を負うという。一見、科学的だが、旋風で真空など発生しないと分かっている。
 次にあるのが【砂粒説】だ。旋風で高速回転した細かい砂が、皮膚を銃弾のように切り裂くという。竜巻で物が破壊されるのがこれである。ただ、そこまでパワーのある旋風は滅多にない。軽いものしか飛ばせないし、軽いのでは当たっても傷になりにくい。引っ掻き傷くらいならあると思うが、それで深く傷を負うとは思えない。
 一番、身も蓋もないのが【あかぎれ説】である。単に、風が吹いて冷却され、皮膚の弱い所があかぎれとなって裂けるという、そりゃそうかもしれないけど、という説もある。
 どれもあるかもしれないけども、万能ではない、それ単体では説明のつかないものばかりで、結局、鎌鼬現象はよく分からない、と思う。
 彼も真空説は知っていた。そして否定した。
 「そんな訳ないです。あんな小さい旋風のパワーで真空出来てたら、扇風機で真空発生しますよ。あの爪痕は、怒りがこもったものでした」
 見るなよ、
 あっち行けよ、
 ペットボトルなんて投げやがって…………
 そういうものが込められた一撃。
 鋭い爪を持った目に見えない獣が、追い払うようにその爪を振るったような、そんな姿が目に浮かぶ。



くるくるくるくるくるスパッ❗
ホントに不思議ですわねえ。
ミキサーのように回っているなら、巻き込まれそうなものでございますけど?切られるだけというのは何なのかしら?
どうしてそんなに見られたくないのかしら?


“耳つむり”

 昭和の終わり頃の話だそうだ。
 彼女たちはよくその公園で遊んでいた。
 四阿あずまやがあって、そこでごっこ遊びをするのが常だった。
 その日もその四阿へ行ったのだが先客がいた。
 小汚ない風体のおじさんが、そこで寝ていたのだ。
 ホームレスだろうか。
 どうしよう?
 他に行こうか?
 おじさんはずっと寝ている。
 まあ、こういう事もある。
 どうしようと相談していると、おじさんの耳から何か出ていた。

 二本の触角。

 うねうね動く目。

 蝸牛かたつむりだ。

 えっ、と言葉を失い、呆然としていると、その触角は耳の中に引っ込んだ。
 おじさんがむっくり起き上がる。
 「見てんじゃねえよ」
 もうそこからは、一目散に逃げた。
 怖くて足がもつれた。
 ビビりすぎて、悲鳴も涙も出ない。
 兎に角とにかく、怖かったそうだ。
 以来、かたつむりが怖いの、と彼女は述べた。
 あたしも軟体動物恐怖症なのでよく分かる。
 このかたつむり、ナメクジの怪物は、ちょいちょい散見される気がする。他の方が類話を語っておられる。
 あたしにとって一番怖い話かもしれない。
 そのおじさんは、寄生されているのだろうか?
 それとも、
 その蝸牛が本体なのだろうか?
 いずれにせよ、彼はただの『家』なのだろう。



いや~❗️
鳥肌が………
わたくしの耳は大丈夫でしょうか??
確かめて下さいまし………
知らない内に飼っているのか、飼われているのか………
嗚呼、おぞましいですわ…………


“まるもの”

 彼女の祖父母は農業を営んでいて、子供の頃は夏休みになるとその家に長期滞在していたという、その時の話。
 正直、つまらなかったそうだ。祖父母は優しいが、いかんせん、田舎で、遊びに行く所もなく、ゲーム機もない。テレビもローカルだ。持って行った漫画を繰り返し眺めては、退屈して家の中や畑をうろうろしていた。
 庭では鶏を飼っていた。
 動物が苦手なので、それも特に面白くもない。
 うろうろしている内に、大分遠くまで来た。そして、畑のはじっこにあるお堂?祠?のような物に気付いた。
 正直、ここがおじいちゃんの畑なのかも分からない。他人の土地なのかもしれないが、ヒマなのでそれを調べてみた。
 百葉箱という物があるが、大きさは近い。
 古いもののようだが、しっかりしている。
 扉には錠前が掛かっているが、あちこち隙間がある。
 ひび割れたとかではなく、元々の、デザインとしての隙間らしい。
 そこから中を覗いて見た。

 檻。

 金網がある。
 ハムスターを飼育するような物より大きい。
 その中に、
 ピンクがかった肉がいた。
 “なんだこれ”
 見た事もない。
 大きなブロック肉、レバーを思わせるが、赤黒くはない。
 というか、全身が小さくうごめいている。
 内臓、腫瘍を連想させた。
 檻の中なのもあり、それほど怖いとは思わなかったそうだが、不思議ではあった。
 何だか分からないので、家に帰り、祖父に訊ねると、
 「あれはまるものだ」
 まるもの…………
 と言われても分からない。
 名前が『まるもの』なのは分かったが、それ以外、さっぱり分からない。
 何なのか?なぜあんな所で飼育されているのか?誰がしているのか?
 訊ねると、
 「まるものだよ」とか「まるものだから」とか、要領を得ない。
 近づくなとか、叱られたりもしなかった。何を訊いても「まるもの」の一点張りで、話にならない。祖母も「まるものさんだねえ」とか「うん、まるものだ」とか、祖父と同様だった。
 分からないのでつまらない。
 変なの、と彼女は興味を失ったが、
 後年、ネットで『太歳たいさい』なるものを目にして、あっ❗となったそうだ。
 似てる。。。。。。
 太歳とは中国で珍重される謎の物体、生物である。一説には粘菌の塊であるとされ土中から発見される。ほっとくと増えるらしい。これをなんと、不老不死の薬として中国の人は食べるというのだから、凄まじい。
 多くの太歳は、とろけたチーズを丸め再び固めたような、いわば活動停止しているように見える状態だが、彼女が見たまるものは、ピンクで血の気がある元気な状態に見えたそうだ。
 おじいさんたちは、既に亡くなったという。
 少なくとも、まるものを食べていた訳ではないようだ。



まあ、不老不死❗
わたくしにも分けて下さいな💦
あやかりたいものですわねえ🎵
不気味な見た目でも、福の神ですわ🎵


サランパサラン”

 主婦の方に聞いた話。
 洗濯物を干そうとベランダに出た彼女は、ベランダのフェンスの手すり部分に、白いものがいるのに気が付いた。
 三センチ程の白い綿のようなもの。
 彼女はすぐに、ああ、これがケサランパサランか、と思った。
 ケサランパサランとは、白い綿毛のような謎の生き物で、なんと、江戸時代から伝承されている。
 白粉おしろいを与えると増えるだの、捕まえて飼育できるが、あまり見ていると消えてしまうだの言われる。
 飼い主に幸運をもたらす云々、とされるが、正体は鳥が吐き出したぺリット(未消化物)か、植物の冠毛と言われる。ただ、世界中に類似する伝承があるので、バリエーションも多い。
 昭和の終わりに、口裂け女や人面犬のような都市伝説としてリバイバル?ブームがあった。
 それで彼女は知っていたのだ。
 ただの綿毛でしょ、と苦笑いしながらも、ふーん、これがねえ、としげしげと眺める。
 綿毛というか、モップのビラビラを丸めたように見える。よく見ると、月面を歩くように、ゆっくり、ふんわり、移動している。
 だがその毛だか触手だかは薄汚れていた。
 “まるで、消しゴムのカスを集めたみたい”
 彼女はあたしに、その汚さを繰り返し語った。汚いから、なんか幸運のご利益なんて無さそうだった、と。
 ケサランパサランというか消サランパサランだ。
 消しゴムの消しカスの集まりにしか見えない。
 「あんたねえ、もうちょっと綺麗にしなさいよ」
 イライラして、思わず言ってしまったという。
 突っ込まれた消サランパサランは、どーもすいません、という感じで、コロコロ手すりを転がって、ふわ~っと、何処かに飛んで行ってしまった。
 その様だけは愛嬌があったらしい。


かわいいですわねぇ。
わたくしも飼いたいですわ。
白粉を与えれば増えるなんて……
白粉。
鉛ですわね。
金属、毒素を吸収するなんて、摩訶不思議。
ホントは宇宙から来たのかもしれませんわ。


“冬の田んぼ”

 オチも何もなくてすいませんが、と彼は断った。
 大晦日に近い年末のある日、早めの大掃除に取り掛かっていた。
 彼は喫煙者なので煙草タバコのヤニで部屋が汚れ、くすんでいる。茶色くなった窓ガラスを、洗剤を噴射してゴシゴシ磨いていたが、汚れは頑固でなかなか落ちない。こんなの吸ってたら体に悪いの当たり前だよなと思いつつ、これでは洗剤が足りないか?と、買いに行こうか考えている時だった。
 ある程度綺麗になった窓ガラスから、隣接する他所様よそさまの田んぼが見える。片田舎なので、広大な田んぼが広がっている。夏のカエルの鳴き声は想像を絶する爆音で、だからか一戸建てでも家賃は安かった。その二階の窓から田んぼが見える。
 そこを何かが走っていた。
 なんだあれ?と思って目を細める。
 全身灰色の細長い人が、冬の田んぼを全力疾走していた。
 意味が分からなくて、あ然とする。
 刈り入れが終わった冬の、ぐずぐずぬかるんだ田んぼを、灰色が凄いスピードで走っていく。
 一枚の田んぼを突っ切り、その隣の田んぼを突っ切り、更に次の田んぼへと、猛ダッシュしている。
 何か、バカ画像の撮影か?と思うがカメラマンはいないし、自撮りには見えない。
 顔も性別も判然としないその灰色は、全力疾走で走り去り、見えなくなった。
 あれは宇宙人ではないか?と彼は言う。
 正直、何だか分からない。
 分からないが、並外れた体力なのは分かる。ぬかるんだ田んぼを走り続けるなど、相当な体力だ。
 そして、
 田んぼというと、ミステリーサークルを連想してしまう。多くは自作自演だろうが、中には、何で?というものもある。
 下手へたをこいた宇宙人が宇宙船へと慌ててダッシュする……地球外生命にそんな親近感を感じた。


ゆんゆんゆんゆん🛸
はぁ。
なかなか来ませんわねえ。
その方は宇宙船に間に合ったのでしょうか?
生まれは違えど人は人なのですわねぇ。



大人おおびと

 神職の方に聞いた話。
 お商売で神職をしている方は大勢おられるだろうが、何かはいる。神々はおられる、と彼は語る。
 ある神事の際の事。
 彼はまだ雑用に近い立場で、あれこれ手伝っていた。
 神主とは神父と同様の言葉で、神道に携わる神職の方への尊称であり、そういう役職がある訳ではない。カトリックの神父も、司教、司祭への尊称である。
 神道の場合、祀られているものによって異なるが、その神社を代表する神職の役職名は宮司ぐうじ禰宜ねぎという肩書きである。
 神事で禰宜の方が境内で祝詞のりとを上げている時だった。
 ふと気付くと、何かが社殿に覆い被さっていた。
 ぼんやりとした、人のシルエットだった。
 白っぽい、のっぺらぼうの巨人。
 何十メートルあるのか、それが手を着いて、腹の下の社殿と自分たちを見つめている。顔はないのに、そう感じた。
 なんだこれは、、、、、
 彼は絶句した。
 巨人が四つん這いになってお社を覆っている。
 こんなものがいるのか??
 自分の頭がおかしくなったのか??
 困惑していると、禰宜の祝詞が途切れた。
 その方も、上を見て驚愕しているのが分かった。
 見えている、自分だけではないのだ。
 だがそこは流石に神事を預かる者であって、禰宜はすぐに祝詞を再開した。殆んど全ての人は気付かなかったろう。神主が祝詞をど忘れしたと思った人もいるだろう。
 ほんの数分だったが、その巨人は見えなくなった。
 不思議と、恐怖心はこれっぽっちもなくて、何か、ありがたい、という感謝が溢れたそうだ。
 現れて下さった、見に来て下さった、と胸に熱いものがこみ上げた。
 実家の跡を継ぐ為に神職となった彼だが、それ以来、己を恥じて、篤い信仰をもつようになったという。


かしこみかしこみ……パンパン、と。
大昔からずっと神様は見ていて下さったのかもしれませんわねえ。
でも昔っていつからかしら?
原始時代にも神様はいらして?
いつから、
神様はおられるのでしょう?
どこから、
神様はいらっしゃるのでしょう?
神様はいつ、どうやって神様になったのでしょう?


“材木置き場”

 あたしは神様とは何かしらの【影響力】そのものであって、その中には長い歳月を生きた動物なども含まれると考える。
 今回、あやかしというテーマでお話を羅列してみた。
 神様も妖に入るのか?と思われるかもしれないが、むしろ、妖怪などは神様に近い。人をいましめ、さとす存在としての側面が強い。
 決して、敵ではないように感じる。味方でもないのだが。奇妙な隣人というべきか。
 この辺、妖怪は曖昧でもある。妖怪という言葉自体、それまで『もののけ』『あやかし』『ばけもの』など様々であった怪異への呼び名を、明治時代に井上円了によって定義づけされ広まった言葉でもあるので、玉石混淆で無理矢理感がある。皮肉にも、井上円了は妖怪の存在を否定したかったのだが、研究すればするほど、説明がつかなくなった。それを深掘りしたのは柳田国男であり、肉付けしたのは水木しげるで、その影響はどでかい。
 多岐にわたりすぎて何だか分からないが、幽霊=死者ではなくて、生きてるっぽい何かを、あやかしなどと昔の人は呼んだのではないか。
 そこにはキツネ、タヌキ、カッパも含まれる。
 現代ならUMAだし、見た人が宇宙人というなら宇宙人になる。
 共通するのが決して、悪くもない、という事。
 日本の幽霊の凶暴さからしたら、段違いに優しい。
 昔話には妖怪に助けられたり、キツネやタヌキと仲良しになるお話が腐る程ある。
 それは、神様はいつでも困った人に手を差し伸べて下さるし、異形の怪物たちはただの生き物、動物であって、良いも悪いもない、という昔の人の認識からくるのかもしれない。
 その辺が、あたしの思うあやかしというカテゴリーである。
 超常の存在と狐狸の神秘、そしてUMAが大半を占めて、混在するが、怖い要素は少なく、何処かあたたかみがある、奇妙な隣人たち。
 解釈は人によって変わるにせよ、
 彼らは今もひっそりと生き残っている。
 UMA、狐狸、神、それらにまつわる象徴的な話を三つ続けて、今回のツクリバナシ参を締めくくりたいと思う。
 怖くはない、愛すべき怪談たちをどうぞ。

 D君に聞いた話。
 小学生の頃、近所に広い材木置き場があった。
 もうあまり使われていないらしく、資材は少なく、古びていた。人気は皆無で、子供たちの遊び場だった。
 この材木置き場には、一輪車(手押し車のやつ)が幾つか放置されていて、錆だらけのそれで遊ぶのが少年たちの楽しみだった。タイヤはベコベコで、スタンドの部分も朽ちてもげていたので、実質、橇に近い。
 材木置き場の背後はまばらな竹林で、なだらかにくだった斜面となっており、そこを一輪車に乗っかって、竹という障害物をかわしながら滑り降りるのが流行っていた。斜面は起伏に富み、竹にクラッシュする事もあってスリル満点、ダンボール滑りを乱暴にしたようなゲームだが、斜面の先には小川があって、コントロールを失い突っ込んでも大怪我はしないからこそ、安心して無茶が出来た。
 乗り込むドライバーと、背中を押し出すスターター役とで順番に交代し、三台の一輪車が同時にスタートして、順位を競う。
 D君はドライバーとして一輪車に乗り込んだ。お尻を着いて足を前に投げ出す。ブレーキ兼ハンドルである。
 よーい………ドン❗️
 「うおおりゃぁぁぁ❗」
 猛スピードで滑落していく一輪車たち。
 負けたくない、もっと速く、最短コースを、とはやる内に、D君は限界点を超えてゴールである斜面の終わりも飛び越え、小川に突っ込んだ。
 「ぐええ……」
 下半身、びちょびちょになった。
 皆にゲラゲラと笑われる。
 靴が水没したのが最悪だ。
 やべー、どうしよう、と思いながら一輪車を引き上げていると、

 小川を挟んで斜め向こうに鳥がいた。

 どでかい。

 田舎の事なので、きじ白鷺しらさぎなら知っているが、それよりでかい。
 大人より大きい。ダチョウのようだが、ダチョウではない。
 巨大な飛べない鳥───────
 みんな呆然とした。
 鳥は悠然と水を飲んでいた。
 翼があるが体が大きすぎて飛べそうにない気がする。それも、ダチョウのような地味な色ではなく、孔雀のような極彩色で、何か、威厳があった。鶏冠もあり、それも何だか立派に感じた。
 逞しい脚は、鳥よりも恐竜を連想させる。
 その鳥は、水を飲み終えると、のしのしと竹林の奥へと去って行った。
 すげー、恐竜じゃないの?とみんな大騒ぎしたが、後を追おうとはしなかった。流石に怖い。
 でも不思議な感動があったそうだ。
 後に古生物学で恐竜は羽毛に覆われていた説が広まると、彼は「だよな❗」と歓喜したという。
 これも彼は『恐竜みたいな鳥』というが、あたしは神様だと思う。その巨体でエサはどうしているのか。足跡は?糞は?見たのはそれっきりだと言うが、なぜ見つからないのか。人間を恐れず、悠々としているところも、生身の動物の感じがしない。
 それに朱雀、鳳凰は大袈裟かもしれないが、白鷺、鶴、梟などを祀る神社はたくさんある。
 その鳥は、竹林の神様なのかもしれない。
 子供たちが危ない遊びをしているので神様は顕現されたとか………?



“自転車”

 カーナビが一般的でない頃のお話。
 当時、大学生だった姉弟から伺った。
 父の実家が東北にあり、おじいさんが亡くなったという。だが父は祖父、兄らと不仲で、長年、殆んど帰省した事はなく、疎遠だった。今回も、憎み嫌った父の葬儀という事で、シカトしていた。
 ところが母は案外、仲が良く、付き合いがある。
 子供たちもお年玉などを貰っていた。
 そういわけで、不義理は良くないと父を残して帰省する事になった。
 葬儀は日曜日。
 母は仕事があるので当日、早朝に新幹線で行く事になったが、子供たちは運転免許取り立てで、車に乗りたくて堪らなかった為に自動車で行く事になった。
 お姉さんと弟さんが共同で購入し、共同で使っている中古車で、葬儀の前日、土曜日の朝から出発した。相当掛かるだろうが、兎に角、車に乗りたかったし、都会の道より練習にもなるだろう。遅くともお通夜にも間に合う筈である。
 幼い頃は何度も帰省していたが、近年は疎遠で、実は祖父の死もあまり悲しくはなかった。大往生なのもある。
 そうして交代でハンドルを握り半日近く走って、祖父母の家のある県までやって来た。
 そうして、道に迷った。
 大まかに進んでも行けたこれまでの道のりと異なり、ピンポイントで祖父の家までの道のりとなると難しい。久しく訪れていないので忘れてしまった。
 祖父母の住む市内に近付いているとは思うのだが、よく分からない。
 あちこちさ迷って、完全に分からなくなった。
 ロードマップは持参していたのだが、田んぼと畑しかなく、目印になるようなものがない。
 それでも走り続けて、民家を見つけた。
 不躾ではあるが、そこで道を尋ねようという事になり、ハンドルを握っていた姉は路肩に車を停めると、運転席を降りてそのお宅に走って行った。
 弟さんは助手席で、あーあ、失敗したな、腹減ったし、ファミレスはなさそうだから蕎麦屋とかないかな、とうんざりして待っていたそうだ。
 そうしてぼんやりしていると、

 自転車が来た。

 和服のおばあさんが乗っている。

 古い、大昔の自転車だった。

 彼は言う。
 「サーカスのでっかい車輪の自転車」とは、前輪が異様に大きい自転車の事だろう。あたしも不案内なので調べたら、19世紀イギリスで発明されたペニー・ファージングというものが元祖だそうで、とんでもないスピードが出るが、ブレーキが無く、あっても間違いなくつんのめってコケるので危険極まりなく、廃れたらしい。
 原型よりは小型化してはいるものの、それでも危ないし、ハンドルのコントロールも難しいので、現在、曲芸などの為にしか使われてはいないという。
 それに乗ったおばあさんがやって来る。
 彼は、へえ、田舎には昔の自転車がまだ現役なんだなあ、と感心した。
 難しいであろう自転車を、危なげなく、おばあさんはコントロールしている。
 一切ぶれる事なく、真っ直ぐに、でもゆ~っくりと自転車はやって来る。
 面白いばあちゃんだなーと退屈していた彼はその姿に魅入みいった。
 近付いてくる自転車。
 一直線にぶれない。
 自転車がくる。
 大きな前輪。
 前輪がくる。
 後輪がない。
 自転車ではない。

 おばあさんはタイヤに乗っている。

 「え?」
 意味が分からない。
 自転車などではなかった。
 タイヤだけなのだ。
 おばあさんは、そのタイヤの上にうつ伏せになって、水平に真っ直ぐ体を伸ばしている。その両手は地面に真っ直ぐ伸びており、タイヤの軸を挟んでいる。
 腹筋ローラーで走るより難しいだろう。
 なんという凄まじい曲芸か。
 そんな事可能なのか。
 おばあさんは、ゆっくり、ゆっくり、その状態で走ってくる。
 どうやって進んでいるのかも分からない。
 足は真っ直ぐ伸ばしているのだ。まるでウルトラマンみたいな姿で走っている。
 マジかよと、彼は何度も目を疑った。
 疑ったが、本当にタイヤに乗ってウルトラマンで走っているらしい。
 車の前を通り過ぎる時も、まじまじと観察したが、そうとしか思えなかった。
 とんでもないスーパーばあちゃんだ❗と、興奮した。
 程なく道を訊いた姉が車に戻ってきた。
 「姉ちゃん、あれ❗あのばあちゃん凄いよ❗」
 「え?なに?」
 姉におばあさんを示す。
 相変わらず、おばあさんはゆっくりと走っている。
 「なにあれ?どうやってるの??」
 「わかんねーけど、凄いなぁ」
 謎のばあちゃんの超人技に、姉弟は感動した。
 田舎の年寄りは、凄い、と感銘を受けた、
 そうして、車は走り出した。
 おばあさんと同じ方向だが、この神業を見ていたいのと、退いてもらうのも悪いので、とろとろと徐行しておばあさんの後をついて行った。
 間も無く、大きくカーブした上り坂に出会でくわした。
 どうするんだろう?
 いけるのか?
 登れるのか?
 と姉弟が固唾を飲んで見ていると、
 おばあさんは、やはり先ほどまでと何ら変わらない様子で、すーっと坂道を登り始めた。
 それを見て漸く、
 あ、人間じゃない、と姉弟は気が付いたそうだ。
 百歩譲って、スケボーのように最初のひと蹴りで走る事も出来るかもしれない。うまく走り続けられるかもしれない。
 だけど上り坂は無理だろう。
 上り坂でもおばあさんはウルトラマンのままである。
 そんな芸当、やりようがない。物理法則を逸脱している。
 なんなんだ、あれ────────
 混乱する姉弟の前で、おばあさんとタイヤは坂道を登りきり、すっ、と消えた。
 「あれは狐か狸に化かされたんじゃないかなあ」
 とお姉さんは語った。
 あたしもそう思う。
 なんというか、
 あ、よそものの人間だ、イタズラしてやれ🎵
 という悪ふざけを感じる。
 突拍子もないものに化けて、小馬鹿にする感じがタヌキっぽい。彼らの化かすという行いには、危険さや残酷さは少ない。笑ってしまうものさえある。
 地元民でない知らない人をカモにするあたりも、らしい。
 タヌキに化かされた…………
 宇宙人がおばあさんに擬態して、オーバーテクノロジーで作った地球人ぽい乗り物に乗っていた、というよりは納得がいくと思う。


“冬の釣り”

 最後の話になる。
 なるのだが、これは何だか分からない話である。
 捉え方がたくさんある、というべきか。
 同級生の男子Aから聞いた。最初に聞いたのは高校一年か二年か。後にあたしは山友だちとなる。
 Aは釣りが趣味だった。
 元々、彼のおじいさんが釣りが好きで、幼いAを連れていく内に、彼もすっかり釣り人になっていた。
 池や湖の釣りが主で、渓流釣りにも行った。
 ホントはダメなのだろうが、シーズンを無視してあちこちで釣りをした。
 彼は大人に近付いていき、おじいさんは老いていく。原付の免許を取ると、知人から格安で買ったスクーターに釣具一式を積み込み、Aは一人で釣りに出掛けた。
 釣れなくとも行った。
 竿を構えて糸を垂らしているだけで楽しいらしい。
 どう考えたって魚なんていない用水路ですら、Aは釣り糸を垂らした。
 冬のある日。
 防寒着を着込んでAは愛車に跨がった。
 向かったのは結構、離れた所にある山の麓。
 渓流釣りで有名な河川の支流がある。
 人なんか入らない河川敷なので夏場はジャングルだが、冬場はそれらも枯れて、侵入しやすかった。
 魚なんていないとは思うが、ロケーションが素晴らしくて前からここで釣りがしたかったのだ。
 川幅は十メートルもない。浅く、水は少なく、流れは速い。
 Aは岩に腰を下ろし竿を組み立て、釣り糸を垂らした。
 寒い。
 だが楽しい。
 我慢比べのような状況が続いた。
 時刻は昼。
 二時間もすると、流石にキツくなってきた。
 Aは川原の石を集めてかまどを組んだ。そこにその辺で枯れている灌木や落ちている流木を放り込む。焚き火をするのだ。山人であるおじいさんにこういった事を教わっていた。携帯していた百円ライターで着火すると、乾燥したそれらは面白いように燃えた。
 暖かい。
 缶コーヒーを用意していたので、口を開けて、焚き火の側に置いて温める。
 再び、Aは焚き火にあたりながら釣竿を手にした。
 空はどんよりと曇って重たい。
 雪が降るかもしれない。
 熱々になったコーヒーをちびちびすすりながら、降ってきたら撤収しよう、と考えていた。
 帰り道のスリップが怖かった。
 そうしている内に、本当に雪が降ってきた。
 めちゃくちゃ寒い。
 まだ来て三時間くらいなので少し不満だが、潮時だ。
 これ以上は厳しい。
 竈の火に土を掛けて鎮火すると、投げ出してあった釣竿を仕舞おうとした。

 重みがある。

 なんだ?

 見ると、いつの間にか、針に何か掛かっている。

 おっ、と嬉しくなったが、一瞬で?になった。

 糸を片手に、持ち上げる。

 “これは何??”

 それはサンショウウオのようなものだった。
 三十センチはあるか。
 黒く、ぬめっとした体はサンショウウオのそれだ。
 四肢があり、ひれのついた長い尾が全長の半分を占めている。変態途中のおたまじゃくしにも見える。
 彼も最初はサンショウウオ?と思ったらしい。やべー、天然記念物を釣っちまった❗とテンパった。
 この辺りにそんなものが棲息している話なんて聞いた事ないが、サンショウウオだろう。真冬だが両生類全てが冬眠するとも限らない。
 だが、よく見るとその頭部がおかしい。
 尖っている。
 サンショウウオの頭は丸いし、両生類の頭部は扁平なのが普通だろう。イモリにせよサンショウウオにせよ、平たい頭をしている。
 それが薄い、細い。
 細長いのだ。サンショウウオのように縦に潰れて平たいのではなく、横から潰れて平たい、薄い。
 牙というかくちばしのように湾曲し先端が尖っている。
 目は見当たらないが、鮭の頭部を彷彿とさせる。
 これは一体、何なのか、、、、、、、
 Aはポカーンとそれを眺めていた。
 死んではいない。緩慢に動く。
 “どうしよう”
 頭が真っ白だった。
 焚き火は消してしまったのでどんどん寒さがぶり返す。
 雪は激しさを増す。
 (返そう)
 そう決めた。
 決めたが、針を外すのが怖い。
 鮭のような、攻撃的な口の形をしている。指の一本くらい食い千切れそうな雰囲気がある。
 「おい、川に返してやるから、おとなしくしろよ❗」
 テンパったAは、そう声を掛けてみた。
 恐る恐る、口を開けさせる。
 その時、全く意味が分からないが、彼はこう思った。

 『若い女だ』

 本人も意味が分からんと言っていたが、その生き物の口から針を外していると、そう感じたらしい。
 両生類のようだが舌のない、鋭い牙の並ぶ口に指を突っ込みびくびくしながら針を外した。
 魚のようにぶん投げるのもはばかられて、両手で抱えて、丁寧に川に返すと、じゃぶんと生き物は水中に姿を消した。
 「………………」
 なんだったのか。
 さっぱり分からない。
 変すぎる物事に遭遇すると、人はどうしていいか分からなくなる。
 暫く突っ立っていたAだが、凍える寒さに我に返り、急いで帰り支度をすると原付に跨がり、家路についた。
 帰宅後、お風呂で暖まり、祖父にその不思議な生き物の事を話す。
 普段温厚な祖父が話を聞いて眉間に皺を寄せる。
 そしてこう言った。
 「お前な、そういう時は後ろ向きに歩くんだ。後ずさって帰れ」
 その言葉には、侮蔑と嫌悪が感じられたという。
 かわいい孫、同じ趣味をもつ仲良しの孫に、あからさまな負の感情を向ける。
 なぜなのか分からない。
 言ってることも分からない。
 後ろ向きに歩いてこいとは?
 祖父はあれについて何かを知っているのか。
 “タブーを犯した愚かな孫への憤り”を滲ませる祖父に、それ以上、何も訊けなかった。
 あれは川のヌシなのか。
 神なのか。
 単なる未確認生物なのか。
 分からない事だらけだ。
 分かった事があるとするならば、それは、変な場所や変な時期に釣りをしてはいけない、という事くらいか。
 法律とかマナーとかだけではなく、そこには、触れてはいけない、接してはいけないから安全の為に近寄らない、古の人の知恵があるという風に感じた。
 祖父の後を追うように、彼は山人となった。
 山を歩き、猟をする。
 三十才になる時、彼はよく知った地元の低山で遭難した。
 道が全く分からなくなったという。
 雪の中、凍える一夜を過ごした。
 翌日、猟友会などの面々が彼を発見した。
 意識不明、手足は凍傷で瀕死の状態だった。
 助かっても手の指は全て諦めてほしい、と家族は医師に宣告された。
 数日後、
 彼は奇跡的に意識を取り戻した。
 凍傷の指は癒えていた。
 夢の中で、両生類のぬめっとして暖かい感触を両手に感じていたという。
 彼が遭難した山にもその河川の支流がある。
 水の流れはあちこちに繋がっているのだ。

 赦されたのかもしれない、と彼は語った。



さあさあ、皆々様、如何でしたでございましょうか。
全て出鱈目でたらめ、口からの出任せでございます。
現世うつしよは一瞬の夢、幻。
人の思いはちりあくたさながらに。
怪談ツクリバナシ、閉演のお時間でございます。


 貴方のすぐ側に、彼らは今も生きている。

(了)


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