嬉しい目で十分なの。言葉はいらないの。
あーなかなかアップできずにだいぶ経ってしまいました(汗) 普段は普通に働くママのかっちゃんです。
中1の息子が学校に行くのをやめて、それでも行かせようとしていた私の頭にブロック塀が落ち、今思うと、あの日がそれまでの自分の命日でした。
それからすべてを変えたわですが、とは言え、40年以上かけて身につけてきた考え方、習慣がそうそう簡単に変わるわけもなく、まずやったのがこれで。
目で気持ちを伝える。
実は、私自身は機能不全家庭に育ったHSCで、長女だったせいもあって、幼少期から両親の不仲、両親と母方の祖父母の不仲の間で板挟みになり、HSCにとってはかなりネガティブな環境で育っています。両親ともに感情のコントロールができないので、日々暴言、暴力、泣きわめき、氷つくような沈黙の繰り返し。私は体も心も休まる場所がなく、特に母親から安定した愛着を受けられずに育ちました。結果、高2で自律神経がまいってしまい、以来いろいろな神経系の持病を抱えながら体調を整えるだけで精一杯。妹はというと、大学時代に拒食・過食を繰り返すようになったようです。その妹の状態を知った母親が親業を学び始め、妹には多少なりとも良い影響があったようでしたが、私はすでに家を出ていましたので、特に影響はなく。ただ出産後に親業の講座を紹介され、何度か行ったことがあります。そこで出会ったのが中垣寿彦先生(故人)でした。1,2回講座を聞きに行っただけで、個人的に親交があったわけではないのですが、亡くなった後に発行された1冊の冊子が母経由で私の手元に届きました。これが今も私のバイブルになっています。
HSCの息子は義務教育の9年間を通して、学校生活ではかなり苦労していましたので、on/offではありますが学校に行かなかった時期が結構ありました。そのたびに、私は辛くて辛くて。毎晩お風呂に浸ると、「なんでうちはこんなに苦労するんだろう」という思いと、親としての自分の無力さに涙が出てきて、すがるようにしてこの冊子の後半にぎっしりと手書きされた中垣先生の言葉を眺めていたんです。先生は教師としてまた心理カウンセラーとして、俗に言う困った子、手に負えない子、そしてその親の支援を一生続けられた方でしたので、一つひとつの言葉がいちいち刺さる。うーと声を上げて泣きながら読んでいました。今思うと、それは息子の心の支えになれていない自分と、先生の言葉にあるような支援を親から受けることができなかった幼い自分、両方に対する涙だったと思います。こうして夜な夜な中垣先生の言葉のシャワーを浴び続けていたら、事あるごとに、その時に必要な言葉が降ってくるほどになっていました。
今日のタイトルもしかり。
「あの日」から、まずそれまでオートマチックにただ発していた自分の言葉に意識を向けるようにしました。
気づきの一つ目は、自分の発している言葉のほとんどが反射的に出ているということ。つまり、受け答えになっていないということでした。息子が言っていることの意味をキャッチしていないのに何か返そうとする。というか返さなきゃいけないと思ってる。
感じるために、とりあえず口にチャックしました。でも長年鍛えられた反射ですから、口は閉じているんですが、言葉が喉元まで出てくる。最初の数ヶ月は、それをゴクゴクっと飲み込む日々。息子が話し出すまで、自分からは余計なことは一切言わない。これだけを徹底してやりました。
その代わりに何をしたかというと、目からラブビーム。
目の表情だけで、気持ちは伝わる。良かれと思ってのこととはいえ、言いたくなることの99%は害になります。私のように幼少期のトラウマがある場合は余計に。子どもとの間のパイプが詰まっている間は、口は閉じて目からラブビーム。やってみてね。子どもから話し始めるまで、根気よくね。
がんばってるすべての母に、私からラブビーム。届け!