どっちが親でどっちが子どもなんだか
朝の通勤途中、手をつないで歩いて登園する親子を見かけると、うるうるしてしまう。私もあの頃、たまには半日でも休みを取って、手をつないで歩いて登園しようと思えばできたはず。遅刻しないように、できるだけ短時間でお別れできるように、そんなことしか頭になかった。それを察していた息子は、手を変え品を変え駄々をこねる。毎日毎日、朝のお別れに手をこまねいて、会社につく頃にはぐったり疲れていた。単にぎゅっとしっかり抱きしめて、笑顔で「行ってくるね。迎えに来るからね。」と言ってあげれば良かったのに、それができなかった。保育士にそう注意されても、言われていることの意味がピンとこなかった。
もう二度と戻ってこないあの頃。なんであんなに可愛かった息子に愛着を感じられなかったんだろうと思う。
結局、自分の中に経験としてなかったから出てこなかったのだと思う。私の母も、長女の私に愛着を感じられなかったに違いない。それは彼女自身、親からもらえなかったからなんだろう。
世の中の半分の人は、生まれた時から親との関係が安定している安定型。残りの半分が、親を頼れず、恐れや不安を感じてきた不安定型。私は完全に不安定型だ。ありのままの息子を受け入れられるようになって初めて、自分が世の中をどう見て生きてきたのか、少しずつ客観的に見れるようになった。例えば、私は基本的に人と会う時に警戒している。見極めようとするのは、戦うか逃げるかで、人に対する基本的な信頼感がない。一方で、自分に関心を持ってくれる人がいると、喜んでついていってしまうところもある。異性関係はこれでさんざん痛い目にあってきた。これでやっと安心できる、という錯覚に陥ってしまう。
赤ちゃんは生まれて9ヶ月までに、親が支援的で思いやりのある人かどうかを見分けているという。そしてそれが他者をどう見るか、世界をどう見るか、の基盤になる。赤ちゃんは難しい判断をしているわけじゃなく、単に、生まれてまだ何もできない時に、自分の求めに応えてくれたかどうかを感じ取って、それをベースにその後の人間関係を築いていく。それが生き抜いていくためのその子なりの戦略になるからだ。安定型の子は、「人っていつでも助けてくれるものなんだ」「だから私は大丈夫なんだ」と思って生きていく。不安定型にはいくつかパターンがある。(詳しくは明橋大二著「HSPのためのハッピーアドバイス」)私は子どものころに愛情を感じられず、ずっと不安だったとらわれ型に一番近い。とらわれ型は、人間関係や職業選びで不幸な選択を繰り返しがち、とある。ビンゴ。
型がどれであれいいんだけれども、知っておくことで自分を責める材料を一つ減らすことができる。「私がしてきた数々の辛い選択は、幼少期に身につけたサバイバル戦略の延長線上にあった。だから私が悪いんじゃないよ。」と自分に言ってあげることができる。驚いたことに、それが腑に落ちた瞬間、心がふっと軽くなって、そこから何が生まれたかというと、これからの自分の選択に対する責任感だった。
世話をすることと、赤ちゃんの安心したい、という求めに応えることは、同じようで違うのかもしれない。もちろん私だって、泣けば抱っこし、おむつを変え、おっぱいをあげ、泣いている理由を一生懸命考えてできる限りのことをやった。思えば、息子はHSCなので(当時は知らなかった)とにかく眠りが浅く、よく泣いて、本当にずっと抱っこしていた。ノイローゼになりそうなくらい大変だった。加えて、泣き止むと良い母親、泣いていると出来の悪い母親。そういうプレッシャーも感じていたと思う。
慌てて泣き止ませようとせずに、息子の様子をよーく観察していたら、よく寝る時とそうでない時、その日の過ごし方や環境の違いと泣きっぷり、といったことに、気づけたかもしれないと思う。朝のお別れで泣く息子とできるだけ早くお別れしようとするのではなく、さみしくて泣いている彼の気持ちを受け取って「母ちゃんもさみしいけど、仕事終わったらすぐに迎えに来るから、安心してね」と言ってぎゅっと抱きしめること。そして、この数年徹底してやってきた「心で聴く」こと。これらはすべて一緒のような気がする。最後のアナログ世代的には、ダイヤルでラジオ局を合わせるイメージ。言葉や行動に惑わされず、相手の気持ちにダイヤルをチューニングしないことには、子どもの求めていることがわからないから応じられない。
9ヶ月までに、さらには3歳までに、安定した関わり経験を積み重ねてあげたかったけれど、「知らなかったからしょうがない。当時はあれが私ができる限りのベストだった。」でいい。過去には戻れないので、今できることを残された時間めいっぱいやる。毎日顔を合わせる日々もおそらくあと少しなので。
ひといちばい敏感な子の著者アーロンさんはこう言っている。子育てとは、一言で言えば、子どもを自分から切り離して、世の中に送り出すこと。リターンのない投資なので、有形には手元に何も残らない。ただ、子育て以外でこれほど人を根本的に成長させる経験はないんじゃないかと思う。ありのままの息子を受け入れられるようになる過程で、息子が私に送り続けてくれたメッセージは、おそらく、「そのままのあんたでいいじゃん。」だった。無条件に大好きでいてくれた。
私が自分に「そのままのあんたでいいじゃん。」と言えるようになることと、息子をありのまま愛せるようになることが、マジでイコールだったから、どっちがどっちを育ててるんだかわかんないな、という話でした。(笑)