![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/172247546/rectangle_large_type_2_d003069303b3f74c47543cf55e238b13.png?width=1200)
「西野神社と天津神の関係を探る」
西野神社に祀られている神々について調べていく中で、「天津神(あまつかみ)」との関係性が気になりました。日本神話では、天津神は高天原(たかまがはら)に住む神々であり、地上の国(葦原中国)を治める国津神(くにつかみ)とは異なる存在とされています。
では、西野神社の御祭神である豊玉姫命・鵜草葺不合命・譽田別命は、天津神に分類されるのでしょうか?それとも国津神なのでしょうか?このテーマについて、文献や神社の由緒をもとに考察してみました。
西野神社の御祭神
西野神社には、以下の三柱の神々が祀られています。
1. 豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
豊玉姫命は、海神(綿津見神)の娘であり、山幸彦(彦火火出見尊)の妻として知られています。
ご利益: 安産、子宝、縁結び、家庭円満
豊玉姫命のゆかりの地
海神の宮(竜宮)
『古事記』や『日本書紀』では、豊玉姫命は海神の宮(竜宮)に住んでいたとされます。神話上の概念的な場所ですが、後世の伝承では具体的な地域と結びつけられています。宮崎県(日向地方)
豊玉姫命の神話の舞台は、宮崎県の日向地方と深く関係しています。山幸彦が兄の釣り針を探して海宮を訪れる話や、豊玉姫命が地上で出産する場面は、日向神話の一部です。福岡県(宗像地方)
豊玉姫命は、宗像三女神(田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命)と同一視されることがあり、福岡県宗像地方との関連が指摘されています。宗像大社は海の神を祀る神社として有名です。鹿児島県(薩摩地方)
豊玉姫命を祀る神社が多く存在し、特に指宿市周辺では、彼女が産んだ子(後の神武天皇の祖先)が育ったとされる伝承があります。
まとめ
豊玉姫命は神話上の海の神の娘であり、海宮(竜宮)に住んでいたとされますが、日本各地に伝承が残っています。特に宮崎県(日向)、福岡県(宗像)、鹿児島県(薩摩)と関係が深いと考えられます。
2. 鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)
鵜草葺不合命は、豊玉姫命と山幸彦の子であり、神武天皇(初代天皇)の父とされる神です。
ご利益: 子孫繁栄、家庭円満、成長・発展
鵜草葺不合命のゆかりの地
宮崎県(鵜戸神宮)
宮崎県日南市にある鵜戸神宮は、鵜草葺不合命の誕生地とされています。伝承では、豊玉姫命が出産のために海宮から地上に上がり、産屋を建てる途中で産気づき、屋根を葺き終わる前に生まれたため「鵜草葺不合命」と名付けられました。宮崎県(高千穂)
父である山幸彦が降り立ったとされる高千穂とも関係があります。鵜草葺不合命が実際に育った場所は定かではありませんが、日向一帯で育ったと考えられています。
まとめ
鵜草葺不合命は、宮崎県の鵜戸神宮周辺がゆかりの地とされます。ただし、彼の一族(海神の系譜)や天皇家の伝承に関係する地域として、高千穂や日向地方全体が関連しています。
3. 譽田別命(ほんだわけのみこと)
譽田別命は、第15代応神天皇の神名であり、八幡神として全国の八幡宮に祀られています。
ご利益: 勝運上昇、厄除け、商売繁盛
応神天皇(譽田別命)のゆかりの地
大阪府(羽曳野市 誉田御廟山古墳)
応神天皇の陵墓とされる誉田御廟山古墳(応神天皇陵)がある場所です。日本最大の前方後円墳である仁徳天皇陵に次ぐ規模の古墳で、応神天皇が葬られたとされます。奈良県(大和地方)
応神天皇の生誕地は明確ではありませんが、古代の大和政権(現在の奈良県)で活動していたと考えられています。福岡県(宇美八幡宮)
福岡県糟屋郡宇美町にある宇美八幡宮は、応神天皇の誕生地とされます。「宇美」という地名は「産み」に由来するとされ、神功皇后がこの地で応神天皇を出産したという伝承があります。京都府・大分県(八幡神信仰の中心地)
応神天皇は八幡神として信仰され、京都の石清水八幡宮や大分県の宇佐神宮に祀られました。特に宇佐神宮は全国八幡宮の総本社であり、応神天皇信仰の中心地です。
まとめ
譽田別命(応神天皇)のゆかりの地は、福岡県(誕生)、奈良・大阪(活動)、大阪府(陵墓)、京都・大分(信仰の中心)など多岐にわたります。
西野神社の御祭神と天津神との関係性
西野神社に祀られている三柱の神様 (豊玉姫命・鵜草葺不合命・譽田別命) は、それぞれ天津神と関わりが深い神々です。以下、それぞれの関係を詳しく説明します。
① 豊玉姫命(とよたまひめのみこと)と天津神
神話における位置付け
豊玉姫命は 海神(わたつみ)の娘 であり、天津神系の神である 山幸彦(やまさちひこ)=彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと) の妻。
山幸彦は 天孫降臨した瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の子 であり、つまり 豊玉姫命は天津神の家系と婚姻関係を結んだ神 ということになる。
天津神との関係
天孫(瓊瓊杵尊)の血筋と海の神(国津神)の血筋を融合させる役割を果たした。
豊玉姫命の子供 鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと) は、のちに初代天皇である 神武天皇の父 となる。
つまり、豊玉姫命は天津神の子孫を育てた重要な存在といえる。
② 鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)と天津神
神話における位置付け
鵜草葺不合命は、天津神である天照大神の直系 にあたる。
父は天孫・山幸彦(天津神系)、母は豊玉姫命(海神系)ということで、天津神と国津神の血を受け継ぐ存在。
彼の子供が 神武天皇(かんむてんのう) であり、日本の皇統(天皇家)につながる神。
天津神との関係
天津神の血統を地上に継承した神 であり、日本の建国神話の中でも非常に重要な役割を持つ。
天照大神の子孫が地上を統治する流れを作った という点で、天津神との関係は非常に深い。
③ 譽田別命(ほんだわけのみこと)=応神天皇と天津神
神話における位置付け
第15代天皇・応神天皇(おうじんてんのう)の神名が譽田別命。
応神天皇は、神武天皇(天照大神の子孫)の直系の子孫 であり、天皇としての天津神の血統を受け継いでいる。
天津神との関係
応神天皇は 天照大神の血を引く天皇であり、天津神の影響を色濃く受けた存在。
また、八幡神(はちまんしん)として武運の神となり、多くの武士や人々に崇敬された。
天皇家と関わりが深く、天津神との結びつきが非常に強い神様である。
④ まとめ:西野神社と天津神の関係
御祭神
天津神との関係
豊玉姫命
天孫降臨した瓊瓊杵尊の孫・山幸彦と結婚し、天津神の血を継承する役割を果たした。
鵜草葺不合命
天津神の血統を持ち、神武天皇の父として日本の統治につながる重要な存在。
譽田別命(応神天皇)
天照大神の直系であり、天津神の血を受け継ぐ天皇として武運・国家安泰の神とされる。
西野神社の御祭神は、すべて天津神の系譜と強く結びついている。
特に 天孫降臨から地上の統治につながる神々が祀られており、日本の神話と深く関係している神社 といえる。
創建の経緯:
明治18年、西野地区(現在の西野)、右股地区(現在の平和)、左股地区(現在の福井)の3つの集落にそれぞれ祠が建立されました。
その後、明治32年(1899年)1月にこれらの祠を現在地に合祀し、社号を「西野神社」と定めました。
御祭神:
西野神社の御祭神は以下の三柱です。
豊玉姫命(とよたまひめのみこと):海神の娘で、縁結びや安産の神として信仰されています。
鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと):初代天皇である神武天皇の父で、皇室の祖神とされています。
譽田別命(ほむたわけのみこと):八幡神としても知られ、武運や勝運の神として広く信仰されています。
主な祭事:
例祭:9月(敬老の日の前の日曜日)に行われ、三基の神輿(京神輿・江戸神輿・子供神輿)が氏子区域を渡御し、太鼓山車も同時に巡行します。
人形供養祭:3月(毎年ひな祭りの直後の日曜日)に参集殿内で執り行われる人形清祓・お焚き上げの神事です。
泣き相撲:例祭日に土俵で行われる赤ちゃん相撲です。
良縁祈願祭:不定期に執り行われる良縁を願う祭りです。
西野神社は、縁結びや安産の神社として広く知られ、特に平成20年代前半からは、縁結びや良縁を願う若い女性の参拝者が増えています。
また、安産祈願の吉日とされる「戌の日」の特に午前中は、安産祈願の祈祷を受けに来る妊婦やその家族で境内が賑わいます。
詳細な情報や最新の行事については、西野神社の公式サイトをご参照ください。
考察
西野神社の主祭神
札幌の西野神社の主祭神は豊玉姫命(とよたまひめのみこと)です。
これは比較的珍しい例で、一般的に豊玉姫命は相殿神(配祀神)として祀られることが多いですが、西野神社では主祭神として崇敬されています。
この神社の御祭神である豊玉姫命と鵜草葺不合命は、日本神話において九州南部と深い関わりを持つ神々です。そのため、西野神社の創建には、九州南部にゆかりのある人々が関与していた可能性が考えられます。
この神社に祀られている神々が天津神との深い関わりを持っていることから、天津神にゆかりのある人物がこの神社を創建したのではないかと考えられます。