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「なぜ内陸の西野神社に海の神が?歴史と背景を考察」

西野神社に海の神が祀られた理由を考察する

札幌市西野地区にある西野神社は、縁結びや安産の神として知られていますが、実は海の神である「豊玉姫命(とよたまひめのみこと)」が祀られています。なぜ内陸部に位置するこの神社に海の神が祀られているのか、その理由を探ってみましょう。


西野神社の歴史

西野神社の起源は、北海道開拓時代に遡ります。

  • 1877年(明治10年):札幌市西野地区に入植した開拓民が、五穀豊穣や安全を願い、祠(ほこら)を建立。

  • 1897年(明治30年):正式に「西野神社」として社殿が建設される。

  • 1968年(昭和43年):現在の社殿が完成。

  • 現在:縁結び・安産・子宝の神様としても信仰を集めている。

この西野神社を建立したのは、主に北陸地方からの移住者たちでした。彼らがなぜ海の神を祀ったのか、いくつかの要因が考えられます。


北陸地方と海の神信仰の関係

① 北陸地方からの移住者たち

西野神社を創建した開拓民の多くは、北陸地方からの移住者でした。北陸地方は日本海に面しており、漁業や海運が盛んな地域です。そのため、もともと海の神を信仰する文化が根付いていたと考えられます。

北陸地方の移住者たちは、北海道に移住した後も、故郷で信仰していた海の神を祀った可能性が高い。

② 豊玉姫命(とよたまひめのみこと)の神格

豊玉姫命は、日本神話に登場する海神・綿津見神(わたつみのかみ)の娘で、航海・水の恵み・安産の守護神とされています。

開拓者たちは、新天地での生活の安定や豊穣を祈願し、豊玉姫命を祀ったのではないか。

③ 北海道の開拓と海運・漁業の発展

当時の北海道は、漁業や海運が重要な産業でした。特に北陸地方の移住者たちは、海との関わりが深い生活を送っていたため、北海道でも漁業や交易の発展を願い、海の神を信奉したと考えられます。

海の神を祀ることで、漁業の発展や航海の安全を願ったのではないか。


まとめ

西野神社に海の神が祀られた理由は、主に北陸地方の移住者の影響 であると考えられます。彼らは、北海道に移住してもなお故郷の海の神を信仰し、新天地での豊穣や生活の安定を願ったのです。現在では、西野神社は縁結びや安産の神としても信仰されていますが、その背景には、開拓時代の移住者たちの信仰と願いが込められているのかもしれません。

北海道の歴史や開拓民の文化を知る上で、西野神社の存在はとても興味深いものです。ぜひ一度、訪れてその歴史に触れてみてはいかがでしょうか?


参考資料


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