近年の映画で「集合的な物語」よりも「個人を徹底的に描く物語」の傾向が強まった理由とは?
近年の映画では、主人公という「個人」に強く寄り添い、徹底して1人を描く 作品が多くなっている。
映画はもともと 主人公という個人を通じて物語を追ってゆく「個人の物語」 を描くメディアではあったが、近年はさらに「個人」にフォーカスする傾向が強まっている。
これはジャンルを問わず、SF、アクション、ドラマ、ホラー、サスペンス など、幅広いジャンルに見られる現象である。
この変化の背景には、デジタルでの撮影が普及したことによる技術的要因 だけでなく、社会的・文化的な要因 も影響している。
では、なぜこの傾向が生まれたのか?
ここでは、5つの主要な要因 を考えてみる。
1. デジタル技術の進化と映画の撮影手法の変化
小型カメラとデジタル撮影の普及
映画撮影の機動力が向上し、「より近くで」個人を撮ることが容易になった。
小型カメラや手持ちカメラ、超高感度センサーの発展により、
「カメラが主人公の感情に寄り添う」演出 が強調されるようになった。例:『レヴェナント: 蘇えりし者』(2015) → 手持ちカメラでディカプリオの息遣いまで映し出す。
例:『ユダ&ブラック・メシア』(2021) → 被写体に超接近したカメラワークで心理描写を強化。
VFXとCGIの発達で「個人の主観世界」が表現しやすくなった
視覚効果(VFX)が発展したことで、「個人の心理状態を視覚的に表現」しやすくなった。
例:『TENET』(2020) → 主人公の時間の流れを映像として操作する。
例:『ジョーカー』(2019) → 色彩や照明で主人公の精神状態を象徴的に描く。
結論: デジタル技術の進化により、カメラが個人に密着しやすくなり、個人の視点を強調する演出が可能になった。
2. 映画市場の変化:「グローバル市場よりも、個人の感情に訴える作品が求められる」
ハリウッドの「大作映画一極集中」の影響
MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)や『DUNE』のような大規模なフランチャイズ映画が支配的になった。
一方で、中規模予算の映画が減少し、
映画監督たちは「個人的なテーマを掘り下げる作品」にシフトする傾向が強まった。例:『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(2022) → マルチバースを舞台にしながらも、母と娘の個人的な葛藤を描く。
ストリーミング時代の影響
NetflixやAmazon Primeの台頭により、観客が「個人的な体験」として映画を楽しむ傾向が強まった。
劇場映画は「大作志向」になり、個人的なテーマを描く映画は配信向けにシフト した。
例:『ローマ』(2018, Netflix) → 監督の幼少期の記憶をもとにした個人的な物語。
例:『マリッジ・ストーリー』(2019, Netflix) → 離婚という非常に個人的なテーマを描く。
結論: 大作映画の支配が進む一方、ストリーミングでは「個人的な視点」の映画が支持される傾向が強まった。
3. 社会的変化:「個人のアイデンティティが重視される時代」
SNSと個人主義の強調
SNSの普及により、「個人の物語」が強く共感される時代になった。
例えば、TwitterやInstagramでは「1人の個人の体験」が拡散され、大きな議論を生むことが多い。
それと同様に、映画も「個人の視点」にフォーカスすることで、観客が感情移入しやすくなった。
例:『ノマドランド』(2020) → 一人の女性の視点を通して、現代社会の孤独を描く。
社会問題を「個人の視点」で語る傾向
近年の社会問題(ジェンダー、LGBTQ、人種問題など)は、
「システム全体」よりも「個人の視点」から描かれることが増えた。例:『ムーンライト』(2016) → 黒人男性のアイデンティティを徹底して個人的な視点で描く。
例:『プロミシング・ヤング・ウーマン』(2020) → 性暴力問題を主人公の復讐劇として表現。
結論: 現代社会では「個人の物語」がより共感を呼ぶようになり、映画もその流れに適応した。
4. 映画の「主観的体験化」:観客に「主人公の視点」を体験させる技術が向上
カメラワークの進化
カメラの動きやフレーミングで、「観客を主人公の感情に引き込む技術」が向上した。
例:『バードマン』(2014) → 全編ワンカット風の演出で、主人公の精神状態をリアルに体験させる。
例:『TENET』(2020) → 観客が「主人公と同じ混乱」を体験できる構造。
結論: カメラワークや編集の技術が進化し、「観客を主人公の視点に引き込む」演出が増えた。
5. 「集合的な物語」よりも「個人の物語」が共感を生む時代へ
かつての映画(特に20世紀)は、「大きな物語(歴史、戦争、革命)」が中心だった。
しかし、21世紀の映画は、「大きな物語」よりも「個人の物語」にフォーカスする傾向が強まっている。
例:
『プライベート・ライアン』(1998)→ 戦争という集合的なテーマ
『1917』(2019)→ 1人の兵士の視点にフォーカス
結論: 「個人の物語」の方が、観客にとって共感しやすく、感情的な没入感が強まる。
なぜ「個人」を徹底的に描く映画が増えたのか? (最初章まとめ)
デジタル撮影技術の進化 → カメラが個人に密着できるようになった。
映画市場の変化 → 大作映画の支配とストリーミングの影響。
社会的変化 → SNSと個人主義の台頭。
映画の「主観的体験化」 → 観客を主人公の視点に没入させる演出が発達。
「大きな物語」より「個人の物語」の時代 → 1人の物語の方が、共感を生む時代になった。
この傾向は今後も続き、映画はさらに「個人の物語」を深く掘り下げていく可能性が高い。
では、その逆で、20世紀の映画には、「集合的な物語(歴史、戦争、革命)」を中心に描いた作品は数多く存在しました。
これらの映画は 「個人の視点」 ではなく、「社会全体」「国家」「歴史的出来事」 を前面に押し出し、
一人のキャラクターに限定されない広範な視野で物語を展開しています。
ここからは、「集合的な物語」を描いた代表的な映画 【第2章】をいくつかのジャンルごとに紹介します。
【第2章】「集合的な物語」を描いた代表的な映画
1. 歴史的叙事詩(エピック)
歴史上の大きな出来事や文明の盛衰を描く、スケールの大きい映画。
『ベン・ハー』(1959, ウィリアム・ワイラー)
古代ローマを舞台に、個人の復讐劇を軸にしながら、ローマ帝国という巨大な歴史の流れを描く。
キリストの時代背景とローマの圧政が絡み合い、歴史の大きなうねりを感じさせる。
『アラビアのロレンス』(1962, デヴィッド・リーン)
第一次世界大戦中のアラブ反乱を描いた壮大な歴史叙事詩。
主人公はT・E・ロレンスだが、アラブの独立運動という集合的な物語が前面に出る。
『風と共に去りぬ』(1939, ヴィクター・フレミング)
南北戦争を背景に、南部の没落を描いた壮大な作品。
個人の恋愛や人生の変化を通して、南部社会の崩壊という集合的な物語を描く。
2. 戦争映画(国家や軍隊の集合的な視点)
個人ではなく、戦争そのものの大きな流れ を描く作品。
『プライベート・ライアン』(1998, スティーヴン・スピルバーグ)
一見「個人の物語」に見えるが、実は第二次世界大戦全体を描く集合的な視点 を持つ。
戦場のリアルな描写を通じて、戦争の大きな構造を観客に体感させる。
『大脱走』(1963, ジョン・スタージェス)
第二次世界大戦中、連合軍捕虜たちがドイツの収容所から集団脱出を図る。
主人公が固定されず、捕虜全体の集団的な行動を描く。
『戦場にかける橋』(1957, デヴィッド・リーン)
日本軍の捕虜となったイギリス兵たちが橋を建設する話。
戦争の狂気と国家間の対立を集合的な視点で描く。
3. 革命・社会運動を描いた映画
革命や社会変革の過程を、個人ではなく集団の視点 で描く作品。
『戦艦ポチョムキン』(1925, セルゲイ・エイゼンシュテイン)
ロシア革命の象徴的事件を、個人ではなく集団(労働者、兵士、市民) の視点で描く。
「オデッサの階段」シーンは、集合的な映画表現の代表例。
『ドクトル・ジバゴ』(1965, デヴィッド・リーン)
ロシア革命を背景に、個人の愛と歴史の大きな変動を絡めて描く。
個人の運命は革命の波に翻弄され、歴史の流れが主役となる。
『Z』(1969, コスタ=ガヴラス)
ギリシャの軍事政権と政治的弾圧を描いた社会派映画。
一人の政治家の死を巡る事件が、社会全体の腐敗や弾圧を象徴する。
4. 集合的な群像劇
多数の登場人物を通して、社会全体の構造や時代の空気を描く 作品。
『グランド・ホテル』(1932, エドマンド・グールディング)
高級ホテルを舞台に、さまざまな立場の人々が交錯する群像劇。
「主人公が誰か決まっていない」映画の典型例。
『ナッシュビル』(1975, ロバート・アルトマン)
カントリーミュージックの中心地ナッシュビルを舞台に、さまざまな人々の人生が交錯する。
アメリカ社会の縮図を描く「集合的な物語」。
『バベル』(2006, アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ)
モロッコ、日本、アメリカ、メキシコと異なる国々の物語が交差する。
一つの事件をきっかけに、世界中の異なる人々の人生が絡み合う「集合的な物語」。
5. 「個人 vs. 集合的な物語」の対比
ここで興味深いのは、「個人の物語」と「集合的な物語」の違い を比較すること。
近年の映画は、個人に寄り添う傾向が強いが、かつては**「一人の主人公」ではなく、「歴史の流れ」や「集団の行動」** が映画の中心になっていた。
結論:「集合的な物語」は、かつて映画の王道だった
20世紀の映画では、「歴史」「戦争」「革命」「社会全体」を描く集合的な物語が主流だった。
しかし、近年は「個人の視点」が強調され、物語の語り方が変わってきた。
それでも、時折 『ダンケルク』(2017) や 『バベル』(2006) のように、集合的な視点を持つ映画は作られている。
今後、映画は再び「集合的な物語」に回帰するのか? それとも「個人の物語」がより強調されていくのか?
それが、映画の未来を考える上で興味深いテーマとなるだろう。