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映画監督になりたいなら、助監督をやるな!

映画監督になりたいのなら、現場で助監督の仕事ばかりしている場合ではない。確かに助監督は、映画制作の流れを学ぶにはうってつけのポジションに見えるし、多くの新人がそこからキャリアをスタートさせる。しかし、それは「監督になる」ための最短ルートでは決してない。むしろ、助監督を長く続けることは、自分自身のビジョンと向き合う時間を削り取り、結果的に夢を遠ざけることになりかねない。

それは「映画監督になる修行」ではなく「助監督になる修行」になるのだ。



黒澤明はかつて、「監督になりたければシナリオを書け」と言った。これは単なるアドバイスではなく、映画監督を志す者にとっての本質的な指針だ。映画は脚本がなければ成立しない。そして、脚本を書ける人間こそが、映画の主導権を握ることができる。助監督として現場で指示を飛ばし、雑務に追われる毎日を過ごしているうちに、脚本を書く時間はどんどん削られ、やがて「現場にいるだけの人」になってしまう。それでは、監督としてのキャリアを築くどころか、単なる「便利な補佐役」に終わってしまう。

もちろん、助監督を経験すること自体が悪いわけではない。しかし、助監督としての仕事をこなすだけで満足してしまうと、「自分が本当に撮りたい映画」が何だったのか、見失ってしまう危険がある。助監督の仕事を長く続けすぎると、「監督としての自分」を育てる時間を失い、結果として「助監督としての自分」だけが完成してしまうのだ。

では、監督になるために本当にやるべきことは何か?

① 自分の映画を撮ること。

どんなに小さくてもいい。スマホでも、短編でも構わない。脚本を書き、自分で演出し、自分のビジョンを形にする経験を積むことが最も重要だ。

② 脚本を書くこと。

映画監督の武器は脚本だ。自分が撮りたいものを明確にするために、ひたすらシナリオを書く。映画業界は「面白い脚本があるなら監督をやらせよう」という流れになりやすい。監督になる近道は、面白い脚本を持つことなのだ。

③ 自分の企画を発信すること。

SNSでも、映画祭でも、プロデューサーに直接でもいい。とにかく自分が撮りたい映画の構想を外に出し、実現へと動くこと。助監督を続けながら「いつかチャンスが来る」と待っているだけでは、永遠にそのチャンスは来ない。

現場経験は重要だが、それに縛られすぎて自分の創作を犠牲にしてはいけない。助監督の仕事は、映画を作ることではなく、「監督の指示を的確に現場に伝え、スムーズに進行させること」だ。つまり、どれだけ優秀な助監督になったところで、それは「映画を撮る」能力とは別物であり、監督になるための直接的な力にはならない。

映画監督になりたいなら、「現場にいること」ではなく、「自分の映画を撮ること」に時間を使うべきだ。助監督の道に迷い込むな。あなたがやるべきことは、脚本を書くこと、企画を立てること、自分の作品を世に出すこと。それ以外の時間は、無駄な浪費にすぎない。

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