子供を通して、私の現時点。
子供のイチ(仮名)との実らない会話が気になっていた。
私が逃げてきたことから向き合う時とも重なり話した。
イチが、自身の繊細を一つ一つ感じてはとても生きにくい。それによって日常で起きることは、感覚など反応しているのに、無いものとする術を身に着けているように感じた。排出しないで溜め込んでいる為に、更に色んなモノが蓄積され、鈍感を装うみたいなイメージ。
それをし続けると、何か伝えても、
「あー、なんか言ってるな」で、その時間をスルーしてしまい、家族内においても不調和が生まれる。
イチの生まれながらに持ち合わせている優しさ、繊細さ、誰もを大切にできること。
そういうのが見えなくなっていた。
完全に反抗期とも言えるが、反抗期は良いけど、心を閉ざすのは同じ空間にいると苦痛である。
でも、それは私が映している世界で、自分のことを見ているような気持ちで、私こそが向き合う準備ができていなかったんだよな。
私も遅く来た反抗期は、未だにやってるしね。自立期かな?
何か伝えても、まるで自分の母親と同じセリフが出てくる気持ち悪さ。
言いながら、そんな自分にうんざりしたり。
母親は、私に◯◯ちゃんのこと信じているから!…と良く言ってたわ。
本当はどうかよりも、その「信じている」は呪いの言葉だよね。信じてもらってるからイケないことはしては駄目っていう。
社会的ルールを守るという部分ではストッパーと、なり得るけど。
それらを含めた、自分の中をみることがしたくなかったんだな、私。
はぁ、気持ち悪い、自分。
話して行く中で、イチの目つきが変わるのがわかった。
そして、明るくなった。
反抗する言葉が返ってくるのはどうぞっ。
次の日の三者面談。
先生からは家とは真逆なイチの学校生活の様子を聞いた。
そして、私とのやりとりを見て
「安心しました、学校での姿だけでなく、お母様に反抗する場面もみれて‥」と。
私も安心しました。
担任の先生がポジティブに捉えてくれていることに。
イチについて、いただいメッセージ
公文の先生
「きちんと成長しています。思いやりのある青年に。」
良美さん
「イチ、ほんとに 優しいと思う。」
「これから いろんな 愛を知って
変容していくよ^ ^」
表面だけでない言葉を伝えてくださる方々がいてくださることは、とても力になる。
本当に私が信じれる言葉とは、表面で無い言葉で、やはりココを大切にしたいし、循環させていきたい。
私が血迷う時はこれをまた見よう。
そして、落ち着こう。
きっとイチは、母親の私を目の前にしてまだ出せないこともあるだろう。
今の状態が全てクリアになったとは思わない。毎日、その日にできる最善であれば良い。