山田かまち美術館
先日、山田かまち美術館に良美さんと訪れました。
子供たちの恩師が亡くなられて、先生を偲ぶと共に、山田かまちさんへと繋がります。
私は3度目かな?
展示品はレプリカに変更されている部分もあり、全体的に「静、シ」を感じました。
その中でも前回も見た2017年に先生が、寄せた新聞記事。
「かまちくんの分まで頑張って生きます」と言う部分。(すみません、書きながらも合っているか不明、ニュアンスです)
前回にはサラッと読んでたのに、今回は涙が出た。
先生には、かまちくんがずっと心にあったのだろうなと想像してたけど、私は先生とかまちくんのことを話すことは一度も無かったので。
やはり、そうだったなと。
そう感じてはいたけど、やはり言葉として遺っていると確認できる。
そして、良美さんに教えてもらった驚いたこと。これはいつか良美さんが発信されるかと思う。
改めて、触れた山田かまちさん。
そして、先生に出逢えたこと。
全然違うところから繋がった良美さん。
色んな偶然が重なり今がある。
私は中学か、高校の時に山田かまちさんを知り、画集でかまちさんの
「逃げる」
という文字を見た時に、それも良いのだなと感じた。それまでだって、たくさんのことから逃げていた筈だけど、「嫌なことから逃げてはいけない」な風潮があった。今もね。
そして、最後の我が子に先生が伝えてくださった言葉は
「嫌な人がいたら逃げても良いのだよ」
(詳細は省きます)
だったらしい。
子供が大人になり、思い出す先生との時間はどんな風に見えるのだろう。
私は子供を通して出逢えた先生だけど、子供の先生の枠を越えて、尊敬する方でした。
帰り際に購入した
山田かまち著「17歳のポケット」
実家にも置いてあるが、子供へ。
まずは、私が読み、また泣く。
先生が亡くなり、私は何回泣いただろう。
近年は先生は体調が良くなくて、私もあまり相談しなくて良くなったこともあり、話すことは減っていた。街で会っても挨拶だけだったな。
そして、最後に送信したラインは既読にならないまま‥。
もう、その時が来てしまう予感でなかなか打てなかった。やっと送れたライン。
後に、その時はもう先生はかまちくんの所へ向かっていたと知る。
その時間、私は先生へと気持ちは向けていれたからか後悔はない。
近く、子供と美術館へ行こうと約束した。