京都、安井金毘羅宮から東本願寺にたどり着いた話。

色々あって、一人ふさぎこんでいた。

仕事で京都に行くことになり、京都について調べていると、安井金毘羅宮(やすいこんぴらぐう)という神社のページに辿り着いた。
悪い縁を切ってくれ、良縁を結んでくれるようだ。
スピや占いには興味がなく・・・いや、昔は興味があったが、ことごとく当たらかったため、信じなくなっていた。
今回は様々な記事や動画に触れて、行ってみるのは有りかと思った。

当日、仕事を終え、スーツのまま安井金毘羅宮へ。
友人も合流した。

本殿に拝み、

【悪縁や迷いや不安を断ち、良縁に恵まれるように】

と願いし、岩をくぐってお祈りした。

わたしは、この神社の成り立ちや、岩をくぐる話を友達にしたが、友達は??という顔。

友達は安井金毘羅宮に興味はないが、お願い事は叶えてほしいようだ。
それで叶うものなのだろうかと疑問がわいた。
わたしが真面目すぎるのだろう。

その後友達は帰ったが、わたしは一人ゲストハウスへ宿泊。
ゲストハウスBELL。 黒いプードル?がいてかわいかった。つかずはなれずの距離が心地よかった。

次の日は一人でノープラン。
もう帰りたかった、寂しかった。
でも知人とLINEしていたら、美味しいものでも食べて帰ってこいと言われた。

なので、検索し、京都駅近くの古民家のカフェ「食と森」を見つけた。

あまり食欲はなかったが、行く気になり、行った。
まだOPEN前で閉まっていたが、一人で並んだ。

予約していなかったため、不安だったが、OPENと同時に入れてもらえた。おばんざいプレートを食べた。

心と体に染みた、おいしかった。

今度こそ帰ろうと思い、
キャリーケースをひき、ガラガラ音を立て、さまよっていたが、道に迷った。
看板があり、
「京都駅まで〇〇M 〇分 東本願寺まで〇〇M 〇分 西本願寺まで〇〇M 〇分」とあった。
それを、ぼーっと見ていたら、後ろからおじいさんに話しかけられた。

おじいさん「東本願寺に行きたいんか?」

私「はい!」

何故か私は、はいと答えた。

おじいさんは東本願寺の行き方を教えてくれた。

ガラガラガラ・・・

東本願寺ってなんだっけ・・・
おじいさん、なんで東本願寺って言ってきたんだろう・・・

と思いながら歩く。

私は一体何をしているんだろう、みんな幸せそうだなと思った。

東本願寺に着いた。広い。ただ広い。すごい。
こんなところがあったなんて知らなかった。
京都の人はここにこんな気軽にこれてしまうのか、羨ましいと思った。

阿弥陀如来を目の前にし、畳に座り、佇んだ。
厳かで、泣けてきた。

その後、お堂をグルグルしていると、視聴覚室ホールの前にたどり着いた。


なんだろうここは…と思った瞬間にアナウンスが流れた。

「これから法要を視聴覚室ホールで始めます、誰でも参加可能です。うんちゃらかんちゃら〜。」

呼ばれた気がしたので、そのまま入り、お坊さんの話を聴いた。
親鸞聖人の教えについてだった。
人の願い事の種類は二つあり、片方は叶えることができるが、もう片方は叶えることができないというお話だった。

だから人は完全に満たされるのは難しいようだ。

今まで、親鸞という人物に興味を持ったことは一度もなかった。
家に帰宅し、親鸞について調べた。

東本願寺は仏教、浄土真宗の真宗大谷派であり、親鸞は浄土真宗を法然から引き継いで精錬した人物。

私の家は浄土真宗の真宗大谷派であったため、更に興味が湧いた。

要約すると、親鸞は9才で出家して、29才まで山に篭ったが、煩悩が消えなかった。
親鸞は「なんでや!!」となり、法然に聞いた。
すると法然は、「そんな苦しい思いしなくても、とりあえず南無阿弥陀と唱えたら大丈夫よ!」と言う。
親鸞は衝撃をうけた。その後は法然と…以下省略。

南無阿弥陀仏とは、お天道様にお任せします、私の力でどうにかしようと思いません、他力本願、という意味のようだ。

この教えを信じる人は迷いや不安を死ぬまでなくすことができる、とのことだ。

わたしは安井金比羅宮に迷いや不安を断つようにお願いした。
その結果、東本願寺に行き、親鸞の教えにまで辿り着いたのだ。

こじつけに思われるかもしれないが、わたしは人生を、自分の力だけで、どうにかしようとしすぎてたのだと、気づけた。

今はまだ、具体的に悪縁も切れてないし、良縁にも恵まれていない。

何か進展や気づきがあれば、投稿していこうと思う。

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