SS「いき苦しさをのむ」
今日を生きたいと願いながら死んでいった誰かと、別に今日も明日も生きていたいなんて思わない私と、比べたらいったいどちらが幸せなんだろう。ふと、そんなことを思う時がある。
「さすがにそれ言ったら怒られそう。なんか知らないおばさんとか、説教臭いじじいが顔真っ赤にして怒るよ」
プラスチックの容器に入ったフラペチーノを、紙ストローでぐるぐると混ぜながら、向かいに座る友人は軽く笑った。SDGsのせいで変わった紙ストローが、私はあまり好きではなくて、私はわざわざプラスチックのストローに変えてもらった。地球温暖化の進行は、外の気温で十二分に感じているけれども、わたしはわたしのエゴを優先した。
「わかる。でも実際、代わってあげられるなら代わるし、無理なんだから仕方ないよね。それに説教たれてる人たちって、たいてい私よりも先に人生あがってくじゃん。無責任だよね。
若者とか言われるけれども、私はすでに社会人になっていて、さらにはアラサーになっている。それなりに働いて、仕事を押し付けられたりそこそこ理不尽に怒られたり、嫌みを言われたりすることに慣れている。けれども、生きているだけで増え続ける税金とあがらない給料、名前だけのリーダーという肩書に、求められる際限のない目標設定には、いつまでたってもなれないし、いつまでたっても少しずつ絶望は降り積もっていく。
晴れ晴れとした学生時代、というほど華々しくなかったとはいえ、希望に満ちた瞬間はずいぶんと前に終わっている。
終わっているけど、生きていて、搾り取られていく。
「新作うまいよ。これは救いじゃん。まずは飲もう」
「ご飯もスタバもおいしくても、ほんの数十分だよ。喜びは」
「かなし。もっと持続させればいいのに」
「ひもじくない?小さな幸せ細々とかみしめるの」
そうはいうけれども、幸せなんてものは小さくてしばらくしたら味の消えるガムのようなものだ。昔は何も知らないで、人間はだれしも何者かになる希望があって、輝ける場所があるだなんて思っていたなあ、と少し懐かしくなる。
絵馬や短冊にかいたへたくそな字。歌手に野球選手、アイドルや総理大臣。いまだと、ユーチューバーなんだろうか。
まだ希望があるそんな人たちがうらやましいのと、まぶしいと思う。少しの過ちくらい犯してしまえ。どうせその数年後には、こうやって小さく縮こまって、何者でもない大衆の中のほんのひとつぶになるのだ。この間やっていたニュースでは、子育てを終えた人は未来の若者たちのことなんてどうでもいいんだって言っていた。そんな人たちが生きる社会なんてものに、従う必要ないんだよ、と無責任に私は思った。自分はやりもしないのに。
「どうなったら幸せかな」
「わかんない。」
「だね。会社から離れて、ちょっと便利な田舎とまではいかないけど都会じゃないところで、貸し畑で家庭菜園しながら適当に生きたい」
「それは結構、マイナーなんじゃない。幸せのかたちてきには。」
いまだに大衆の幸せって、結婚して子供を作って育てて仕事を定年退職して夫婦で余生を暮らすことなのか、私にはよくわからない。そもそも、それが幸せなんて、誰が言いだして、本当にみんながそう思っていたのかも、よくわからない。
とりあえず私は、こんな世界に生まれてきてしまったら子供はかわいそうだと思うけれど。まあ、人それぞれだし社会の圧力は意外に強い。
「じゃあ、幸せってなによ」
「わかんないって。とりあえず、推しのライブ見てるときは幸せだよ」
「メンバー脱退するって先月泣いてたじゃん」
「最推しじゃないから生きられた」
「命もろいじゃん」
人間なんてそんなものだ。神様よりも緩くて次が見つかりやすい推しは、こんな世の中を生きるのに現れた、それこそ偶像なんだろう。
私は大した人間ではない。私は才能に恵まれているわけでも、自慢するほど努力をしてきたわけでもない。ただただ平凡で、面白みもなく、ひとつの歯車として生きている。けれども、生きているうちに「なんでこんなことができないんだ?」と思うこともある。それは相対的に私は恵まれている人間ということになるのかもしれない。でも、私はやはり、大した人間ではないと思う。それはとても、苦しい世界だった。
「明日、もし世界が終わるなら、それはそれでいいんだ。もう。」
「私も。それでいいよ。世界が、世間がとかもうわからないし、私と私の周りの人たちがほんの少しでも幸せなら、そのまま消えちゃうのがいいよ。」
「自分勝手かな。」
「自分勝手だと思う。」
私たちは今日を生きているだけでうっすら苦しい。地球環境を大事にしたい人たちは、生きているだけで息をして世界を消費している人間がこの世にはびこっていることに対してどう考えているんだろう。若い人に怒鳴り散らすおじさんたちは、そういう矛盾できれいごとを言ってる偉そうな人たちに怒ってほしい。ちょっと叩いたら倒れそうな人だけに強い、醜い大人たち。私も優しい人なのかという問いには答えたくない。都合が悪いから。政治家だって都合が悪
いことを有耶無耶にして、勝手に独自ルールでごねてるんだし許してほしいと思う。弱い人間だけが踏みつぶされてかわいそうな世界に、かわいそうといって保護団体が動いてくれないかな。地球とか動物とかよりも自分たちを助けてほしいと思う私のことを叫んだら、誰か聞いてくれますか。
「もし死ぬならさ、あんたとまたスタバ飲んで、ズッてストローで吸える最後の一回が終わった瞬間がいいな」
これからも夏は異常なほど煮詰まって、何かが好転する兆しなんて一ミリもない。地球のどこかで今日を生きたいと願っている誰かに思いをはせて、私はストローを吸った。ただズッと濁った音が響いただけだった。
end
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