マイナスをゼロに出来る人間は評価されない

私は20代の頃、躁うつ病になった。
絵に描いたようなパワハラをされた私は、みるみるうちに精神を病んでいった。、
散財と、無謀すぎる旅行と、占い師への入れ込みと、引きこもりと、推し活と言う名の奇行という、恥ずかしすぎるコンボをキメて20代の後半を無駄にした。

そして30代も半ばを迎えた私に待っていたのは
「使えない大人」という、人間の残骸みたいなものになった。


と、言っても
ピーク時よりは鬱はひどくない。
だって寝られるし起きられる。
朝は6時30分に目が覚め、洗濯だってできちゃうぜ。
YouTubeで好きな芸人さんのチャンネルを見て笑ったり、地面師のキャラクターのモノマネをして一人でゲラゲラしたり、気分がいいとお出かけだってできちゃう。
1日に60万使って親を泣かせてたあの私が、一人で外に出て「スタバ高いな〜新作気になるけど今日はやめとこ」と、スタバ代を節約できるようにまでなった。
こんなにも自制心がある。えらい。偉すぎる。
こんなにもこんなにも偉いのに、

私はまだ精神の辛さが尾を引いている。

躁鬱のピーク時より辛くない。
メンクリに行ってないし、薬も飲んでない(仕事の関係で、病院に行く曜日休めなかった)

こんなにも自由。
こんなにも健康。

なのに心には希死念慮が宿っていて、一番ひどかった10年前と変わらず、私は今日も死にたい。

最近色々あって仕事を辞め、新しい仕事に就いたのも原因だと思われる。
とてもいい企業で、土日祝が休みだ。
みんな優しい。笑顔の絶えない楽しい職場。みんないつも楽しそう。

しかし私は、その「たのしそう」の輪には入れない。
仕事が思ったよりも覚えることが多くて大変だからだ。
私だけいつもキリキリ、ヒーヒー言いながら働いている。
教わる時「こことここを押していけばできるから」と簡単に言われるが、私は鬱になってから物覚えがより悪くなったので「えっ、、え、えっと、ここと、、あれ?何でしたっけ…?」を毎回やってしまい、遂に先日、あんなに優しかった教育係さんに「あなたのペースじゃ話にならないよ、頭大丈夫?」と怒られてしまった。
今まで「分からないのは仕方ないよー」や「間違えないと覚えないからね」と優しかったのに、
私が半年働いてもこの体たらくだから、ついに怒らせてしまった。

何の言い訳もできない。
鬱なんです。すいません。とは言えない。
それは私の都合だからだ。
社会から見たら、鬱だろうが何だろうが関係ないんだ。それはそう。
あと、オープン就労しないのもよくなかった。
ただでさえ年齢で弾かれるし、鬱だと言ったらもうどこも雇ってくれない。
嘘ついて働いた私の罪だ。普通の人の仮面を被った私の罪だ。
それでも、生きる為には働かないといけない。
私は休み時間や休日を使って、仕事で描いたノートを纏める程の真面目さは残っているが
それを活かす脳みそと体がないから、妙なところで間違えたり、変な質問をしてしまう。
これを毎日やられたら、そりゃあ会社の人も嫌になるよな…

躁鬱のピーク時よりは確かに私はマトモになった。
でも社会は「でもそんなの関係ねえ」なのだ。
鬱で引きこもりだったが外に出られるようになりました!は素晴らしい物語ではない。
むしろ「え!?うつ病だったの!?ちょっとそれは…」になる。
でも仕方ない。
10年経っても私はこの有様だ。
マイナス100だった人がマイナス30にする努力をしている間、
ゼロだった人は70になれるんだから。
マイナスをゼロに近づける努力は、世の中は見てくれない。

せっかくいい会社に入れた!と思ったけど、私はもう限界が近い。
世の中がどんどん便利になるにつれ、昔は「この人は単純作業はできるからやらせとけ」という仕事が減り、難しい仕事ばかりが残った。

私のように「きちんと働けない人」の居場所は、どんどんなくなってきている。
派遣だから楽な仕事やらせればいい、と言う話もない。
金をもらったら誰だって立派な「企業戦士」にやらなければならない。
健康で病気でなくて、休まなくて立派に仕事ができる人しか欲しくない。

私なりに努力はしている。
しているんだ。これでも。
まだまだまだまだまだまだまだ足りないのか。
どこまで頑張ればいいんだ?
そもそも、うつはただの言い訳で、私は病気を盾にして自分の不出来を棚に上げているのか…?
全てが疑わしい。
もう何も分からない。

マイナスの人の入れる余地は、この世には多分
もうない。


明日もまた仕事です。
もう、ぜんぶ辞めちゃいたいね。

おやすみなさい。

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