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パトリシア・カースの「ドイツ」

Patricia Kaas — D’Allemagne (1988年)詞 D. Barbelivien, F. Bernheim; 曲 F. Barbelivien

ドイツ、ヴァカンスに雨の音を聴いた
ドイツ、静けさの中ロックが聞こえた
ドイツ、向いがわの思い出のある場所
ドイツ、子どものころの思い出の場所
レーニン広場、アナトール・フランス

ドイツ、ここでは過去を語るのは侮辱
ドイツ、ここでは未来はひとつの冒険
ドイツ、ここで禁止の意味を私は知る
ドイツ、あそこに古い銃が眠っている
ドイツ、どこが甘えの限界が私は知る

Ref:
アウフ・ヴィーダーゼーエン、リリー・マルレーン
ゲッチンゲンのバラのことを私にもういちど話して
そのバラが私を違うドイツへと連れていってくれる
ハトとワシがお互い遠ざかっていこうとしている今
壁のどちら側の国境があなたを守っているのかしら

ドイツ、真剣に愛しあうことを知った
私はアポリネールの音楽に身を漂わす
ドイツ、ロマンチズムはもっと激しく
ヴァイオリンはここよりもゆったりと
いつも平凡なウィンナワルツを奏でる

Ref

Ich habe eine kleine wild Blume
Eine Flame die zwischen den Wolken bluht*
ドイツ、私は胸に小さな花をもらった
それはまるでしあわせの思いみたいで
一本の木になって育っていこうとする

Ref

*私は小さな野の花をいだく
そして雲の間に咲く炎を

Patricia Kaas — D’Allemagne (1988年)
D. Barbelivien, F. Bernheim; F. Barbelivien


D'Allemagne ou' j'ecoute la pluie en vacances
D'Allemagne ou' j'entends le rock en silence
D'Allemagne ou' j'ai des souvenirs d'en face
Ou' j'ai des souvenirs d'enfance
Leninplatz et Anatole France

https://www.paroles.net/patricia-kaas/paroles-d-allemagne
の勝手訳。


タイトルの文句で、かつ、行の頭で繰り返される "D'Allemagne"は「ドイツといえば...」というようなニュアンス。そして歌は、ドイツとの国境の町に生れ育ったカースに、ドイツへの個人的思いを語らせる趣向となっている。

作られ、歌われたのが1988年ということは、壁の崩壊前。あれ?と思う固有名詞やちょっととっぴょうしもないように見える単語は響きの類似による言葉遊び(つまりオヤジギャグ)や韻のために選ばれていて、これはは作者であるバルブリヴィアンという人の作るA級、B級の歌を問わない特徴。が、ちゃんと文化的、歴史的背景のつながり言及する形で選ばれている。たとえば「ゲッチンゲンのばら」は、バルバラがそのドイツ体験を歌った『ゲッチンゲン』の「ゲッチンゲンではなんとバラが美しいことか」から。 作詞者の一人としてクレジットされているバルブリヴィアンの相棒のベルネム F. Bernheim は明かに名前からしてドイツ=ユダヤ系だが彼の役割はいかに。

ためにすることば遊びがすぎるようなところもあるが、私自身の個人的な体験と重ねあわせても、フランス側の国境生活者がドイツ側へ行くたびにに感じることをじょうずにとらえているうに思う。ということで、変な語呂合わせに苦笑しながらも、聴くたびにけっこう感慨がある。

パトリシア・カースはロレーヌ地方のフォルバックという町で生まれ、その近郊で育った。父はフランス人、母はドイツ人。もともとこのあたりのことばは、ドイツ語系の言語である。もちろんフランスである以上学校や公式の場ではフランス語が用いられるが、多くの人が今でも家の中や親しい人どうしの親密な場では、ロレーヌ語とよばれるそのドイツ語系の言語を用いている。さらにザール・ブリュッケンあたりのドイツ語話者人口も。カース家もそうだった。

19世紀独仏音楽交渉史の研究の私の盟友がこの町の出身で、やはりバイリンガル。

カースをフランスのTVで最初見たときは、あまりべらべらとしゃべらないその様子に、気取っているという印象をうけたが、それは内気さからくるものだとしばらくして気づいた。とつとつとしたちょっとなまりのあるそのイントネーションが分かって、これはむしろ、公的な場に出てくったくなくしゃべるパリジェンヌのようにはふるまえないことからくるのだなと理解した。一度、ドイツのTVに出演しているのを見たことがある。ロレーヌあたりのなまりのドイツ語で流暢にしゃべっていて、フランスのTVに出てきたときよりももっとリラックスしているように見えた。

貧しい大家族の家計の足しに13歳のときから週末ごとに近くのドイツ側の都市ザールブリュッケンのキャバレーで歌っていたというから、プロとしての「デビュー」はドイツでのほうが先ともいえる。そしてロレーヌ人のドイツ人に対する、そしてフランス人に対する感情というのはとても複雑だ。そんなこんなのことを思いながら 動画サイトで見つけたヴィデオで、彼女が、ドイツについてのこの曲を、フランス人に対して歌うのを見、聴くと、やはりいっそうの感慨をもたずにはいられない。

1810年代のフランスにドイツ文学、ドイツロマン主義を伝えたスタール夫人の『ドイツ論』として知られる古典的著書のフランス語のタイトルは実は "De l'Allemagne"で単に『ドイツについて』。ハイネが1834-35年に最初フランスで発表し、ドイツ語版が Zur Geschichte der Religion und Philosophie in Deitschland で日本語では『ドイツ古典哲学の本質』というおそろしげなタイトルになっている書の元のフランス語のタイトルが実はやはり"De l'Allemagne"

そして、このカースのの"D'Allemagne"を20世紀末のフランス歌謡界における『ドイツ論』と実は前からひそかに呼んでいる。


(初出は2007年 Mixi 日記。改訂版2013 FB。いずれもお友達限定公開。本業の締め切りが忙しく、時間の猶予的にダブルブッキングぎみの状況にいき詰まったときは、やはり歌に逃げてしま(っていた)。)

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