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「ふ」の話

日本語の「ク」の「k」の音が宮古語では「f」の音に対応していることは、音韻対応という言語学の知識を特に改めて学習しなくても宮古語の話者なら子供のときから直感的に知っている。いくつか例をあげると…

あふた /afuta/ (塵) 〜 あくた(芥)
いふつ /ifutsï/ (幾つ) 〜 いくつ (幾つ)
ふぁーす /faasï/ (食わす) 〜 くわす(食わす)
っふぁ /ffa/ (子) 〜 こ (子)
っふぁ /ffa/ (黒-い) 〜 くろい(黒い)
ふぃー /fii/ (呉れ-る) 〜 くれる(呉れる)
ふぉーむぬ /foomunu/ (食い物) 〜 くいもの (食い物)
ふちばー /futɕibaa/ (朽ち歯) 〜 くちば* (虫歯)
ふさ /fusa/ (草) 〜 くさ(草)
ふさ /fusa/ (臭-い) 〜 くさい(臭い)
ふさ-り /fusari/ (腐る) 〜 くさる (腐る)
ふす /fusu/ (糞) 〜 くそ(糞)
ふすぅ /fusuï/ (薬) 〜 くすり(薬)
ふつ /futsï/ (口) 〜 くち (口)
まっふぁ /maffa/ (枕) 〜 まくら (枕)
ぬふ /nufu/ (温-い) 〜 ぬくい(温い)
つふ /tsïfu/ (作る) 〜 つくる(作る)
etc
http://www.kagimyaaku.jp (現在うまく引けなくなっている)

そして、宮古語が遅くに日本語から借用したもの(「車」「空港」etc)のようなものを除き、基礎語彙レベルですべて fu 〜 ku の対応が見られ、よく知られた「音韻法則に例外なし」をまるで地で行くようなものになっている。宮古語の fu はまた、日本語で「ふ」の音になっているものにも対応している( ふに /funi/ 〜 船、ふたーつ /futaatsï/ 〜 二つ )。

しかしいずれにしてもこの宮古語の「fu ふ」の音は日本語の 「ふ」の音とは異なる。日本語の 「ふ」はローマ字転写でヘボン式で "'fu"、訓令式で "hu" と表記するがいっぱんに他の言語で、そして発音記号で "f" や "h" で表される音とも異なるやや特殊な音である。国際音声記号では /ɸ/ と書かれ、無声両唇摩擦音と呼ばれる。唇を突き出すようにして両唇の間を狭め、空気がそこを通るとき上下の唇で摩擦されて出る音…と書くとものものしいが、普通の日本語話者ならだれでもがやっている発音である。だが、この音素をしっかりと音韻体系の中に持つ言語はかなり少数である。

実は私は生れ育った宮古語の影響で、この音ができなかった、というか知らなかった。日本語の 「ふ /ɸ/」が自分が「ふ」と思っていた /f/ と違うというのは20代になって音声学を勉強してからで、言わてみればなるほど違う。しくみが分かればできないことはないから、一時期意識して「ふ /ɸ/」でやっみていたこともあったが、いつの間に /f/ に戻っている。

宮古生まれ育ちの人で気づいていない人もいるのではないかと思って、先頃、同級生の集りの二次会で確かめたら日本語の「ふ」を見事に全員無意識に /f/で発音していた。宮古島出身のよくテレビに出ている女性タレント文化人のばあいどうかと思ってYouTubeで見てみたら、基本 /f/で、何かキーワードのような強調するところで /ɸ/ になっていて、何かなるほどなと思った。意識的に「矯正」しているのか、それとも耳が良く、順応性が高くて無意識にそうなっているのか。

私のばあい、意識的にやってみていた時期が過ぎて、フランスから帰ってきたらすっかりまた /f/ になっていたので、ふだんはもうそのままにしている。歌のとき、カラオケなんかで「ふたり」「ふしぎ」とかキーワードになっているときは、ああ、 /ɸ/ もヤマト風できれいかなと思うときと、自分の中で /f/ が自然かなと迷ったりするが、だいたいその場のノリで決めている。

70年代にすでに、日本の洋楽の影響を受けた世代の歌手が「ふ」を英語の発音から/f/と発音する傾向が出てきいると指摘されたこともあったが、傾向というほどのものにはなっていないようだ。が、/f/ で発音する選択肢があるかもと思うと、どっちかというのはいつも気になる。たとえば、杏里の「悲しみがとまらない」の中で「ふたりはシンパシー感じてた」の Sympathy を日本語にない発音でやっているのに、「ふたり」の「ふ」が完全に /ɸ/ なのは意外というか、わりあい個人的にツボの部分。

ただし、使い分ける以前に、大学生で、すでに何年も英語をやってきているはずなのに、この /f/ がみごとに /ɸ/ になっている学生に毎年数人出あうのには最初驚いた。が、生得的に自分にとってあたり前だからと言って、驚くほうが逆にいけないと思って、フランス語関係の授業では毎回ていねいに矯正している。

ところでまた、/f/ といっても、言語によってひととおりではない。英語のばあい、上前歯で、昔は、「下唇を噛むように」というように日本人向けの指南書には説明してあったりしたが、さすがに最近ではそれはちょっと大げさということか、「下唇にかぶせるように当てる」というような解説で、それはきわめて正しいのだが、フランス語のばあいはまったくそれとは違う。フランス語のばあいは、前歯の先は、唇の外側に被さるのではなく、内側の柔らかい部分に軽く当る。/ v /も同じで、その粘膜の柔らかい部分と前歯のほんの軽い接触、あるいは非接触における摩擦がフランス語の /f/ や /v/ の軽さのある柔らかな響きを特徴づけている。英語の /f/ は、唇の外側の部分にかなり幅広く接触し、圧力もやや高めで、そのことによって独特の「ふくよかな」な /f/ の音になる。

この二つの /f/ の発音のポジションの違い、実は歯を置く場所で説明するというのは、実際的にはあまり賢い方法ではなく、運動的にはむしろ唇の動きで説明したようがやりやすい。つまり、英語の /f/ のばあい、下唇が手前に「後退」し、前歯の下に巻き込まれるように潜っていく。これに対しフランス語の /f/ ばあい下唇が前にほんのわずかにめくれるように突き出されることによって、歯のあたる場所が自然と、唇の内側になる。唇の動きの方向がまったく逆になるわけで、速く話しているときでも、これに着目するとどちらで発音しているかが容易に観察しやすい。

聴覚上も、スペクトルで見ても 英語の /f/ のほうが雑音成分がかなり低いところに固まって、それによって /s/ とはっきり差別化されている。私の身体の中に入っている宮古語の /f/ は、フランス語の /f/ とほぼ同一といってよいのだが、、この /f/ は前歯と唇の接触の状態によって鋭く高い雑音成分が出るときがっあて、そのことで /s/ と聞き間違えられる可能性があるというのは、コンピュータにディクテーションさせて見るようになって気がついた。

英語の話者がフランス語を話すときこの /f/ の音の特性の違いに気がついていなくて英語式の/f/で通していることはままある。YouTube にのっているフランス語の発音講座のようなもので、/f/ のところをある英語話者のフランス語の先生がすべてみごとに英語式の/f/ で発音していて、仰天したことがある。マドンナが La vie en rose を歌ったものが YouTube にのっているが、/f/ も /v/ も見事に英語式のものになっていた。一方、アメリカ人で、英仏のほぼ完全なバイリンガルのジョディー・フォスターの動画を見ると、2種類の /f/ /v/ が使い分けられている。英語訛りの消えないジェイン・バーキンも /f/や/v/がフランス式に完全になっているのはゲンズブールにうるさく言われたのか。

たいした違いではないように思えるかもしれないが、フランス語で /f/ を英語のように発音することの不都合は、唇を巻き込む運動とそのあとの狭めの強さによって、調音にわずかの遅れが生じ、フランス語の均等な話のリズムが乱れることだと思っている。逆にアクセントを強調する英語のばあい、そのエネルギーが表現に都合がよい。


/f/についてはまだいろいろあるのだが、ひとまず置いて、日本語の「ふ」の音に対応させられているhuについてはどうか。これも発音で言うと /h/ と日本語の /ɸ/とは違う。/h/ は声門摩擦音で日本語では/ha/ /he/ /ho/ に出てくるが、日本語の「う」の母音が実際には /u/ ではなくあいまいな完全に円くも舌が奥でもなく緊張の弱い [ɯ]であるので /h/ とは相性が悪く、ほぼ発音できない組み合わせになっている。/h/ はフランス語になく、自分でもあまり追求したことのない音だが、日本語のと英語のとドイツ語のはかなり違い、個人差も大きい。実際には、別の発音記号で書かれる声門よりも入口に近い部分、咽頭から硬口蓋にかけての領域での調音まで含まれているように思う。日本語はかなり前のほう、ドイツ語のほうがかなり後ろで、英語では前後の位置の調節によってかなり音色を自由に調節しているようだ。というより、/h/の調音の位置は前後の母音によってかなり左右される。

「ふ」にあたるやつで、私がいちばん後に、その特殊性に気づいたのは、英語で "who"というときの "wh" のスペルを持つ単語の発音。whoは一般の英語の辞書では /hu:/と/hwu:/の二通りの発音が示してあり、現代英語では /hu:/の発音を普通と書いている人もいるが、明らかにドイツ語で /hu:/と発音したときと違うし、英語で /ho/ /ha/ と発音したときの/h/の子音の作りかたとも違う。その子音を便宜的に /hw/ と後のほうの表記では示しているわけだが、もっと厳密には、国際音声記号では /ʍ/ と /w/を逆さまにしたもので書かれ、無声両唇軟口蓋接近音と呼ばれる。声門のところの乱流でなく、口の奥のほう、軟口蓋でわずかな乱流を起こして/h/よりも弱い騒音でかなり多めに空気を送りながら、その空気が、緊張少なくやや狭められた両唇の少し後ろの柔らかい部分を撫でさするように通過するときに別の少し高めの周波数成分が加わってできる。

あるときまでこれの仕組みが分からなくて、まったくその音も聞きとれていなかった。きっかけは7年ほど前、Macの音声認識が今のsiriほど正確でなかったことの機能で、こちらからから相手にする質問で "Who's there ?" というのがあり、これが何度やっても認識してもらえなかったこと。ドイツ語ふうの /hu:/を基本に調音の位置を喉の後ろから口蓋のほうまでどう調節しても、そのときの雑音成分の強さや高さをどう変えても、認識してくれなく泣きそうになっていた。日本語の/ɸ/ も試しながらこれももちろん認識してくれなくて、あれこれやっているうちに、どうもその中間あたりに答がありそうだということで徐々に狭めていって、半日かけて正解、機械での認識率100%に辿りついた。/h/ と異なり両唇が関係していることは /ɸ/ に似ているが、 /ɸ/ が緊張させた唇の先端を使うのに対し、 [ʍ]は唇の奥の柔らかな部分を使い、開き加減と緊張が緩めのため、通る空気に受動的に撫でられるようになる。気がついてみると、その音も、そのときの口の感覚も気持ちがよい。

あれこれと、いろんなことを経て、今のところ個人的には、日本語の「ふ」であるものに対し、だいたい5つの子音 /f/ (宮古、フランス)、/f/ (英語)、/ɸ/ 、/h/、/w/の5つを区別するようになり、そしてそれで用が足りていて、他の言語もその応用でカバーしているが、まじめにやってみる言語を増やしていくとあといくつ増えるか楽しみではある。

そして、このときの経験上の鉄則は、「自分で調音の原理が分かり発音のできない音は区別して聴けない」で、肉体と耳は明らかに結びついている。そして肉体でできるようになると、区別しないのが気持悪いほどのものになるし、それぞれの音を発音することが肉体的な快に、区別の中に微妙な差異を感じながら、話し・歌っている相手の肉体の運動の様態を聴くことが耳の快につながる。そして、それが分からないと読み書きも含め一つの言語のまわりをぐるぐると回るばかりとなる。それぞれの母音、それぞれの子音、それぞの言語のそれら、それぞれの話者の発音のそれらは、独自の快を与える源になっている。それを分かってもらいたくて、フランス語講読の授業は講読とは言いながら、前期はそこのぶぶんを徹底的いやる。いつか分かってほしいなと思いながら。

ふう…長くてごめんなさい。最後まで読んでくだっさったかた、ありがとうございます。

(初出 FB 2017 July)

Coverphoto https://unsplash.com/photos/iGLfqWfEllg?utm_source=unsplash&utm_medium=referral&utm_content=creditShareLink

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