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交換可能性、あるいは、いわゆる「東電OL」事件

[2012年4月11日に書いたものを再録。FBに私がかつて書いたなかでも最もディープなテクストの一つ。]

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昨年の封切時に見そこなった「恋の罪」(園子温監督)をやっていると知ったので、大学の用事の合間を抜け出して遅まきながらやっと見ることができた。

いわゆる「東電OL」事件を題材にしていて、過激な性描写があるということで話題になった映画だ。見てみたら、実際の性描写の場面は様式化され、生々しさを欠き、戯画的でさえあり、私自身はさほど過激とも思わなかった。でもまあR18というのは妥当だろう。

1997年にこのいわゆる東電OL事件が起きたときは私は日本にいなくて、当時ネットも発達していなかったので、同時代的にはそんな事件があったことは知らなかった。ふとしたきっかけでネットでそれを知ったのが2005年あたりか。

こういうところでこんなことを書くと「ひく」人がたくさんいると思うが、この事件のエピソードを読んだとき、とっさにやってきたのはある種の 「身につまされる」という感じで、それはずっと尾を引くものになった。

彼女のことを「身につまされる」という女性は少なからずいて、また、男性にも女性より少数だとは思うが存在する。彼女の行動、最後のほうになってくると狂気じみてくる行動をほんとうの意味で理解することはもちろん私にはできない。ただ、その「身につまされる」感は、必ずしも、売買春やあるいは別の形の性的放逸を共通項としなくても媒介されることはある。

「身につまされる」感覚は、私のばあい一種の時代感覚と結びついている。

実際の事件の当事者の女性と私はほとんど同年代で、彼女が私より1つ上である。

彼女が東電のキャリア社員でありながら、ホステスを始めたのが1989年ごろだという。最初は風俗営業の店に勤めていた。そして最もとりざたされる部分であり、映画で描かれているような円山町で一人で立って客引きをする時期は殺される前の数年間のことだという。

日本の景気のピークは1989年だったが、その絶頂の中に、何か空疎なもの、漠然とした不安があったことを私は思い出す。旺盛な活動は実際はその空疎な不安を覆い隠すようにしてもあった。経済のピークが過ぎて、糊塗していようとしていた空疎感がしだいに色濃くなってくる時代があった。人はその中で多少なりとも、空虚な何かを埋めようと、別の自分を求め、そのため時には日常の自分から遊離し、かつての自分とのねじれさえ感じさえした。

ある者には宗教がそこを埋めた。

恐らく彼女のばあい売春という行為をそこに見つけることができた。それは、肉体的な接触行為と金 —— 彼女のばあい生活に困っていたわけではないから、自分の行為の達成度を示す、具体的に手に触れられる物質でもあり正確に計量可能な絶好の指標 —— の二つを確実に与えてくれ、それが、殺されるまで自分の心身を犠牲にしてまで追求すべき営為であり続けた。

不幸な死に方をした人間をだしにて、自分が安全地帯にいる幸運を確認するという愚を犯したくはないが、言ってしまえば、おそらく、私のばあい、その時期に、音楽や研究ということをどうにか取り戻し、そしてさらには、異文化の言語やコードを身につけるという更に新しい挑戦的な目標を見つけることができた。それが「何か」の代りとなった。

にもかかわらずと言っていいのか、だからと言っていいのか、神様のいたずらで私が彼女の境遇に生まれて同じ時代を生きたなら、39歳で円山町のアパートで殺される彼女になっていたかもしれないと思い、そして、それが「身につまされる」原因となる。彼女の営為と私の営為は何か裏表の等価のものではなかったのかという気さえするし、そして、私よりも彼女のほうが規則的、勤勉にその営為を追求していったと言える。

恐らく1995年の阪神・淡路震災やオウムの事件は、空虚な不安がもはや糊塗できない生々しいものであることを告げたのだと思う。私はその少し前から日本にいなくて、それからの時期を体験していない。それは、彼女の売春の営為の最後のフェーズ、円山町に立つ時期のことでもある。だから、私は彼女のその時期の日本や渋谷の街を知らず、それが、もしかしたら交換可能だったかもしれないと思う人間との切断の感覚を強くする。

事件の現場のアパートは井の頭線神泉駅の近くにあり、映画でも雰囲気は模されている(ただし映画のように廃屋ではない)。2年ほど前だか、この事件にかかわる場所の画像を集めたサイトを見たとき、よく見覚えのある場所であるのに驚いた。日本に帰ってきてからときどき行くようになった馴染のビストロが神泉にあり、神泉の駅からそこへの行き帰りに何度も目にしている建物だった。それ以来、そこの脇を通るたびに、ますます事件のことが思い出される。そして不在の時空が妙な感じで埋められていくような気がする。

主題について、そんな個人的な関心を持っていた映画ということで「恋の罪」は興味を持って見に行った。

日本版144分の長丁場の間飽きはしなかったが、個人的にはかなりの部分で期待はずれだった。

園監督は1961年生まれで私より若いが、彼が前衛パフォーマンス・演劇から受けついだろうと思われる日本の60前代末、70年代の様式がちりばめられている、というより、感性の基礎がそこに置かれている点において、私が90年代の空気に感じ、期待したクールさとはかなり相容れなかった。強い感情のほとばしり、激しいセリフ、様式化された大仰な演劇的な動き、戯画的な説明、性描写の男性中心的視点による暴力性、etc。実は日本映画のうちいちばん個人的に苦手な要素がふんだんにあった。

主人公の奇矯な行為は狂気であったに違いないが、彼女の客であった人々の証言によれば、風変わりではあったが理知的な態度であったというし、日記には、毎日克明に自分の営業を記録している。私もそうした彼女の行為、そして静かに壊れている点に、同時代性を感じている。

最も心理的にエロテックだったのは水野美紀演じる女刑事のエピソードだったが、不思議なことに、日本版以外では、この部分はカットされているという。

もっとも彼女のエピソードを自分なりに解釈している人ほど、それを題材にしたフィクションや、ノンフィクションの分析の視点に、違和感を感じているという。とらえようのない彼女の像を、だれもが自分を投影しながら作り上げているのだ。だからこの映画の中で描かれた彼女の像もその一つである。

映画の中にカフカの『城』の話が出てくる、彼女こそその『城』なのではないかと映画を見終ってから思った。願わくば今度は女性監督が『城』に迫ってくれないかと思う。そしてできるならフランス映画として。

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このころはまだ、この時期なのに大学を抜け出して映画を見にいく時間があったらしい。

そういえば映画の中ではヒロインは電力会社の会社員ではなく、「大学准教授」に変えられていた。2012年の私の職位で、もとのテクストにはそのことは書かなかったが、中で触れた「交換可能性」の概念は映画の中でも不思議なかたちで導入されることとなっていた。

これをプライヴェート公開でFBに投稿したとき、一般公開してはどうかとある人からコメントをもらったが、そのときはとてもできないと思った。いま、歳をとって臆面がなくなったのだろうなというのと、やはり自分の書いたものを残したというという気持とで、こちらに転載。

4月というのは、こういうのを書きたくなったり、書いたことを思い出したりして、どうもいけない。その数日前に書いたのが岡田有希子についてのテクストだった。

交換可能性ということで言えば、このとき私が持たなかった視点は、その殺人事件の犯人として無実の罪で15年間捕えられていたネパール人男性と、自分も交換可能な存在かもしれないということついてのものだった。

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